神が捨てたサイコロの行方

新しい会場は、より大きくてグロテスクだった。ていうかあの外観、性器……いや、多くは語るまい。思春期の旺盛な好奇心が見せた悪夢ということにしとこう。
観客席は一般向けだけでも4階席あるし、内装の悪趣味さも増している。
円闘場の中央では、知らない妖怪の女の子がスポットライトに照らされている。
《審判の樹里でーーーす》
《さぁいよいよ準決勝開始です。準決勝から実況に専念することになりました、小兎がお伝えします!!》
今までの審判兼実況進行の女の子、小兎さんは観客席のほうに備えられた特設の実況席にいる。あの人、ちょっと好きだったんだけどな、隔てなく審判してくれてて。
入口が開門して、両チームが入場する。円闘場の上に整列すると、観客がざわめき出した。
「ん〜〜〜?どういうことだ、浦飯Tの人数が足りねェぞ」
「オイどーしたァ!逃げたかァ!臆病者!!」
幽助と師範は、結局戻ってこなかった。私はいつ戻ってきてもいいように出来る限りの手当の品を鞄に詰めてきた。ルール上、私に出番が来るとしたら今この場にいる3人のうち誰かが死んでしまった時だ。この三人はもちろん、いまこの場に居ない幽助と師範だって、誰が死んだって嫌だ。なにかあっても、絶対に蘇生させなければ。
「残りのふたりはどうした、おじけづいたか?フフフフ」
「お前らじゃ役不足だとよ」
誤用されがちな言葉を、しかしお兄ちゃんは正しく使う。両者の間に走る緊張を押しのけて、樹里さんは対戦方法を決めるよう促した。それに反応したのは暫定的大将に当たるはずのお兄ちゃんではなく飛影さんだった。
「ごたくはいい。さっさと始めるぞ」
「ケッ、威勢がいいなボウス。1番手はお前か?」
ガムをずっと噛んでいる、メジャーリーガーみたいな男は煽る。
「オレで最後だ。ひとりで十分だぜ。──最近のオレはゴキゲンななめだ。ストレスがたまってるんでな」
それに対し、飛影さんは殺気を飛ばしながら低い声で言う。
深夜の馬鹿騒ぎがいけなかっただろうか。雪菜さんと同じ空間に居られるからいいと思ったけれど、おせっかいだったのかもしれない。そんなにストレスが溜まっていたなんて。浦飯Tの(自称)メディカル担当として失格だ。
いきりたつ飛影さんに、余裕そうな笑みを浮かべたままのイケメンさんがサイコロを提示する。ふたつのサイコロには、それぞれのチームのメンバーの名前と、ひとつだけ“自由”という目が書かれている。
「目が出れば何度でも戦える。生きている限りな。そっちのチームの誰かが死ねば、そいつの目はそこの女の子ってことになる」
キミは補欠だからね、と場に不似合いな軟派な微笑みを向けられ鼻じらむ。
「ヒマなヤツらだ、勝手にしろ。幽助と覆面の目が出たらオレが代わりにやってやる」
それから横目でちらり私を見る。考えれば、この三白眼と目が合うのも久しぶりな気がする。ばちりと合った目をいつも通りすぐにそらし、飛影さんは続ける。
「それから、コレが出るのは万が一チームが全滅してからだ。べつに補欠はいつ投入してかまわんのだろう?」
《ま、まあ……交代条件を満たしたあとなら、ルール上は補欠交代のタイミングはチームの判断に任せられますが……》
「うちのチームの“隠し玉”だ。最後までとっておけ」
「ふぅん……」
イケメンは愉快そうににやにやと笑う。私に戦闘力が皆無な事なんかもうとっくに気付いているんだろう。飛影さんは私が途中投入されることを事前に阻止したのだ。
「ひえーさん……」
「阿呆ヅラで情けない声を出すな」
思わず鼻につんときた。泣きそうになるのを頑張ってこらえる。だってあの飛影さんが、私をかばう素振りを見せるなんて……。
「まあ、よかろう。不戦勝で勝っても名は上がらぬし……それに、楽しみは最後に取っておく派なんでな」
……でもこれ、変に煽ったから本当に万が一私の出番が来た時大変なことになるな……。死ぬ気でみんなを蘇生しよう。AEDとか、ホテルのヤツ借りて持ってきておけばよかった。
イケメンがサイコロを振り、出目は飛影さんと魔金太郎さん。飛影さんの望み通り、最初からの出番だ。
「くっ、小細工が裏目に出たな」
「ケッ、口先だけのチビスケが」
魔金太郎さんはふんどしの大男だった。たしかに彼から見れば飛影さんは小さいけれど、準決勝まで上がってきた相手をよくそこまで見下せるものだ。
……私みたいにベンチを温めているタイプならともかく、飛影さんはずっと、即決で試合を終わらせてきたタイプだし。
《始め!!》
「さぁ、どこからでもかかってきな。おチビちゃん、くくくくく」
尚も煽る魔金太郎さんに、飛影さんはスッと剣を構える。
飛影さんがそっと呟いた。
「………勝負、あったな」
「?」「?」
私とお兄ちゃんは思わず顔を見合わせた。確認するためにもう一回リングに視界を戻すと、信じられない光景が目に入った。
魔金太郎さんの片腕がない。しかも魔金太郎さんはそれに気付かず、余裕そうに笑い続けている。
「さあかかってきやがれ!!」
「もう行った」
飛影さんが魔金太郎さんの丸太のように太い腕を掲げる。そうして漸く魔金太郎さんは、己の身に起こった惨事に気がついたのだった。
「ああああ!!!!」
「もうやめとけ」
飛影さんはポイとゴミかなにかのように彼の手を放り捨てる。
「おのれェエ!!貴様よくもォォオ!!魔唆狩拳!!」
魔金太郎さんは残った片腕を斧に変え、素早く飛影さんに切りかかる。一瞬、飛影さんが分断された気がして、思わずお兄ちゃんの腕をつかんだ。しかし一瞬後には、斬られた筈の飛影さんは魔金太郎さんの肩の上に乗っていた。
「残像だ」
己になにがあったか、きっと魔金太郎さんは最後まで理解していなかっただろう。飛影さんの剣がその頭を貫いてもなお。
お兄ちゃんも私もあんぐりと口を開け、相手チームのイケメンさんまでもがぽかんとしている。蔵馬さんだけが、当然だとでも言うように澄ました顔をしていた。
勝者は不敵な笑みを浮かべて言う。
「さあ、サイをふれ。またオレが出る気がするぜ」


次の賽の目は“自由”と“黒桃太郎”
飛影さんは当然のように前に進み出て、彼を止めるものは居なかった。私は黒桃太郎さんとその仲間の話に聞き耳を立てる。結構な苦痛を伴った能力開花だけれど、今のところ三田村先生を見つけた以外は盗み聞きにしか役立たないのが私らしい小物感。
怨爺さんというご老人があちらのブレインらしい。飛影さんが病み上がりでガス欠だと言っている。黒龍波が撃てないことも見抜いてしまっている。
「ヤツの炎殺拳をお前の体が記憶した時、黒桃太郎お前の勝ちさ」
記憶……どういうことだろうか、ベタな展開だと、炎殺拳をコピーするとか?ともかく、気をつけたほうがいい。
飛影さんに伝えようと、大きく息を吸い込み、そして──
「ひぇっ……ゴホッ、ごほっ!」
──これ以上無いってくらい大きく噎せた。軽くしようともたしかに残っている呪いの影だ。すごい速さで動く乗り物に急ブレーキをかけたように、呪いによって止められた声の反動が喉で暴走した。
お兄ちゃんが呆れた顔で突然咳き込んだ妹の背中を撫でてくれる。
「おい、大丈夫かよ。虫でも飲んだか」
「ぞんっ、なんじゃ……ないっ!!」
「無理にしゃべらない方がいい。落ち着いて、ゆっくり息を吸って」
締まらないなぁ、私。飛影さんも円闘場の上から呆れ顔だ。


しかし、私の伝えようとした事はいとも簡単に敵の口から、詳しい解説付きで語られた。
「オレの体は受けたダメージから敵の攻撃力を完璧に記憶する。そして今の奇美団子はその攻撃力に耐え、それ以上の力を与えてくれるオレ専用のアイテム!!」
飛影さんの剣で自らの指を切り落とすという蛮行のあと、彼は奇美団子とやらを食べて猿のような姿に変化した。そうして、驚くべきことに飛影さんに一撃食らわせたのだ。
観客は一気に沸き立ち、声を揃えてお決まりの“コロセ”コールをする。
「さあチビ野郎、邪王炎殺拳を使え!!この肉体がその攻撃力を記憶した時!!それが貴様の最期だ!!」
飛影さんは簡単に挑発に乗り、額あてを外す。妖力を右手に集めるが、しかしあちらのチームの怨爺さんが言うことが正しければ、黒龍波は撃てないはずだ。
当然黒龍波を期待するお兄ちゃんに、蔵馬さんは否定する。
「飛影の妖気は今、六分から七分の状態だ。あれでは黒龍は呼びたくても呼べない」
「六分!?あ、あれだけすげェ妖気で飛影はまだ六分だってのか!?」
たしかに、飛影さんの妖気は凄まじい。私ですら、首筋がぞわりと嫌な汗が伝うほどだ。彼が味方であって本当に良かった。例え本人の言うように一時の関係だとしても。
飛影さんが邪王炎殺煉獄焦で黒桃太郎さんを殴るが、彼はそれに耐えてもうひとつ奇美団子を食べる。
「武獣装甲其の二、魔雉の装」
禍々しい妖気を身にまとい、その姿はさらに異形へと変化していく。大きく飛翔し、飛影さんを殴り飛ばす。素早く体勢を立て直して殴り掛かるも、飛影さんの拳は先程より効かなくなっているように見えた。それどころか、更に増したスピードで飛影さんに襲いかかる。
「とどめの奇美団子を使うぜ!!──魔犬の装!!」
黒桃太郎さんの姿はもはや原型はなく、鋭い牙に尖った耳の生えた大男の姿へと変貌していた。大きく裂けた口から息が盛れる。
「ふしゅるしゅるりィイイイ──これで攻撃力はさらにアップしたぜ」
飛影さんは動じることなく、足元に落ちていた折れた剣を拾う。
「やれやれ、この技だけは使うまいと思っていたが……」
「くくく、つまらん心理作戦はよすんだな。思わせぶりな言葉で大技があるように見せかけ、動揺させるつもりだろう」
「いや…ひどく気のすすまない、かなりイメージの悪い技だ」
その言葉に、お兄ちゃんが隣で青ざめる。
「飛影がちゅうちょするほどの恐ろしい技…!い、一体どんな技を使う気だ!?」
「それがお前のこの世で最後の言葉だ!!さえないセリフだったな!!」
黒桃太郎さんの大きく伸びたマズルが飛影さんの右肩にくらいつく。しかし、次の瞬間四散したのは黒桃太郎さんの体だった。
「邪王炎殺剣!!」
「炎の剣!?」
折れた剣の先に、飛影さんの妖気と炎の刃が形作られている。
まるで、お兄ちゃんの霊剣のように。
……イメージ悪いって、そういうこと?
「コラてめぇ!!ってことはイメージが悪いってのはオレのことか!!」
私に一拍遅れてそれに気がついたお兄ちゃんの憤怒に、飛影さんは当然のように言った。いつもの好戦的な笑みと少しだけ違う、どこか愉快そうな口許で。
「フン、ほかにいるか?」