どうぞあなたのお気に召すまま

じきに2回戦目がはじまってしまう。コエンマ様と別れた私は慌てて闘技場へ向かった。
数分の遅刻でたどり着いたのだけれど、なんと試合はもう終わっていた。
「し、信じられねェ…」
時を同じくして辿りついたお兄ちゃんに、同意するように頷く。蔵馬さん曰く2分で決着がついたという。
強い。深刻な気持ちになるが、しかしシリアスさはいまいち決まらない。周囲の観客がざわざわとこちらに注目しているのも理由の一端だけれど、だいたいは幽助のせいだ。お兄ちゃんがやけに厳しい顔をしているが、多分あれは笑いをこらえている顔だ。飛影さんもたまらず尋ねる。
「どーでもいいが、頭の上のふざけたものはなんだ?」
「説明もしたくねー」
ペンギンとうさぎを足して二で割ったみたいなひょうきんで可愛らしい生き物が、ちょこんと幽助の頭に乗っている。
(か、かわいいー!おいで!)
「女子ってこんなの好きだよな…」
その可愛らしい生き物に手を伸ばすが、生き物は「ぷ」と鳴いただけで幽助の頭から離れようとはしなかった。あーあ、振られた……。
「ところで、蔵馬。ケガはいいのか?」
「大丈夫だ。ちゃんに手当してもらったし、明日中には治る」
「ボコボコのツラでやせ我慢はよすんだな。凍矢に貫かれた手足の痛みがそんなに早く治るものか」
「ガマン強さは貴方といい勝負でしょ」
「〜〜〜〜〜〜」
蔵馬さんの言葉に飛影さんはぐうの音も出ない。この間、私も私でぷーぷー鳴く謎の生き物に完膚無きまでに振られ続けている。ぐうの音も出ないコンビということで。
「そーだ!!蔵馬よ、雪菜さんの治療をうけろよ!彼女の治癒力とお前の薬草をあわせりゃ鬼に金棒だぜ!」
兄はさらりと私の治癒力を軽視した。包帯に包まれた右手を軽くつねってやると、「いててて、そーゆーとこがお前治療向いてねーんだよ!」と言われる。こういうところを見せるのはお兄ちゃんだけです。
蔵馬さんは軽く微笑んで「いや、ちゃんで充分よくしてもらったよ」と言ってくれる。これがモテる男モテない男の違いだよ、お兄ちゃん。
「実は彼女、兄貴を探してきたそうでよ───この大会が終ったらオレも探すの協力すんだ!!」
(えっ?)
雪菜さんについて語る兄に驚いてしまう。お兄ちゃん、まだ知らないの……?一方、蔵馬さんはとぼけた態度で飛影さんを煽る。
「ほぉぉお、それは大変だ飛影!!オレ達も手伝おうじゃないか!」
驚きの白々しさ。これは確実に知っている態度だ……。
逆になにも知らされていないお兄ちゃんが哀れでもある。合掌。


そんな和やかな雰囲気の中、俄に会場がどよめく。
誰かが叫んだ。
「おお!?向こうを見ろよ!!」
「戸愚呂チームだ!!」「こ、こっちを見てやがるぜ!!」
「浦飯Tだ!!奴らを見てるんだ!!」
一同は急に緊張し、宿敵を見据えた。
私はそのうちの1人から視線がそらせない。相手もまた、私を見据える。感情の読めない瞳で。
「…………から、す……」
小さなつぶやきが漏れた
急に世界が遠ざかって、騒がしい観客の声援や怒号がきゅうと離れてゆく。まるで私と彼の2人きりだけが切り離されたみたいで、足がすくんだ。
鴉、あなたは一体何を知っているの?

─────玉兎。

風に乗って鴉がそう呼ぶ声が聞こえた、気がした。

幽助を挑発して彼らは去っていく。お兄ちゃんは、その妖気の強大さに戦いた。
「敵の強さがわかるのも強さのうち。あのヤローの受けうりだがな」
確かに、私はいまだに彼らがどれくらい強いかもピンとこない。お兄ちゃんもかつては私と同じだっただろうけれど、ずっと強くなった今ではわかるようだ。頑張ってたんだな、お兄ちゃん。


「おいおい、オレ達を忘れてんじゃないか?」
左手から、五人の妖怪がやってきた。金髪の、桃のマークの鉢巻を巻いた男がガムを吐き捨てる。
「正義の味方気取りか?ヘド出るぜ」
君が出したのはヘドじゃなくてガムだ。なんていうわたしのスルースキルは当然当事者であるお兄ちゃん達にはなく、幽助とお兄ちゃんは不良らしくガンを飛ばす。
「おい、レディの前で汚いことをするものじゃないよ」
髪の長い、美形な男の人が私にほほ笑みかける。保護者蔵馬さんはそっと私を隠すように前に立った。
「……おやおや、こわーい狐がいるようだ」
蔵馬さんを煽るように、男は笑う。蔵馬さんは何も答えない。
男はそんな反応に興が冷めたように真顔になり、それから去り際に幽助に語りかける。
「覚悟しとけ、お前らはオレ達の名を轟かすための踏み台だ」
捨て台詞のようにそう言って、クールに去ろうとした彼に幽助は吐き捨てた。
「眼中にねーんだよ、ヒョットコがよ。名を売りたきゃTVにでも出ろよ、色男」
ずっとすました顔をしていた男は、豹変したように瞳をぎらつかせる。頭から耳を生やし、唇からは鋭い牙が覗く。本性をさらけ出し、地獄の底から響くような声で呪詛を告げた。
「今の言葉、必ず後悔させてやる……」


いつからか降り出した雨が、部屋の窓ガラスを叩きつける。
雨だというのに、覆面師範と幽助は帰ってこない。
お兄ちゃんと蔵馬さんはトランプゲームをして、飛影さんは窓の外を見ていた。私はぽつぽつとお菓子を食べてお兄ちゃんたちのゲームを見守っている。今のところ蔵馬さんの連戦連勝。
戸愚呂Tと裏御伽Tとの邂逅に、雨が止めを刺したように部屋の空気は重い。
そんな陰鬱な空気を、変えてくれる人たちがやってきた。
「じゃんじゃじゃーん!遊びに来たよ──」
やっと合流できた女性陣だ。幽助ママは両手に酒瓶すら持っている。
ちゃん!大変だったわね、大丈夫?」
(螢子さん!)
深い慈愛の心を持つ螢子さんが、私を見つけてぎゅうと抱きしめてくれる。柔らかいなぁ、螢子さん。グラマーだし、お姉ちゃんとはまた違った女性らしさがある。
「準決勝はあさってでしょ!?もー、今日はバンバン飲むわよォ!」
幽助ママははやくもハイテンションだ、ものすごいアルコールの臭いがする。螢子さんが困った顔で説明してくれる。
「もうすでにできあがってるの」
(な、なるほどぉ……)
「特にあんたはこの世で最後の宴になるかもね」
「血が繋がってるとは思えねー言い草だな」
お兄ちゃんとお姉ちゃんは相変わらずだ。これがお姉ちゃんなりの声援だというのは、お兄ちゃんもわかっているところだろうけど。
「あらぁ、何この子!あんたたち女連れ込んでんの!?」
私の存在にようやく気づいたらしい幽助ママ、温子さんは私の頬を掴んで顔をのぞき込む。お酒を含んだ呼気が顔にかかってちょっとクラッときた。
「まぁー!べっぴんさんだね!私の若い頃にそっくり!!」
温子さんは今もお若い。いったいおいくつなんだろうか。幽助、何歳の時の子なんだ?
お姉ちゃんが「あたしの妹、ですよ。話したでしょう」と言うが「そーだっけ!忘れちゃった!」とあっけらかんと答える。
さすが母親、なんだか幽助に似てるみたい。


みんなでお酒とタバコとトランプゲーム。堕落と退廃を感じる。最初はみんなでポーカーに興じた。私と雪菜さんは2人で1チームになりゲームをした。途中、雪菜さんがこっそり「さんと和真さんは、どういうご関係なんですか?」と聞いてきた時は面食らった。ただの兄妹だというと、驚いた顔をして「似ていらっしゃらないんですね!」と正直な感想を述べた。
そのうち雪菜さんがコツをつかんできたので私は群れから抜けてお茶を飲む。気づいた螢子さんと、飽きてきていた温子さんとぼたんさんもおなじく輪から抜けた。

ちゃん、飲まないのぉ?」
(うわっ!)
温子さんに肩に腕を回して引き寄せられる。そして、飲み干したばかりのお湯のみにドバっとお酒が注がれた。
真面目に見える螢子さんも、未成年飲酒を止める気は無いらしい。事実、お兄ちゃんももう出来上がってるし、お姉ちゃんの煙草にも無反応だ。この人たちにいちいちつっこんでたらキリがないのかもしれない。
注がれた以上飲まなきゃね、と少しうきうきしながら私はそれに口をつける。13年と少し振りの飲酒だ。お兄ちゃんとお姉ちゃんの非行に付き合ってたらいけないと自分を律してきたのだ。しかし、もうこうなれば今更であろう。うんうん、温子さんに注がれちゃったしね、残すのももったいないし、年上からのお酌を突き返すわけにもいくまい。尤もらしい言い訳をして、のどを焼くような液体を流し込む。美味しい。
「なにちゃーん、イケる口なの?」
「い、いえ……!」
ほどほどにしとかないと明日に響く。慌てて声を出して静止するが、再び注がれてしまった。その液体を、今度は舐めるようにちびりと飲んだ。この1杯で引き伸ばそう。適当な紙コップを引っ張ってきて、チェイサー代わりにお茶を注いだ。ついでに螢子さんにも。

「ありがとう、ちゃん」
「しっかしちゃんも大変ねー、こんなムサっくるしー男どもの中にいなくちゃいけなくて!」
むさっ苦しいかなあと思ったけど、恐らくむさくるしさの筆頭であるお兄ちゃんに慣れているため、あんまり感じないのかもしれない。温子さんは顔を寄せてひそっと私に尋ねる。
「で、この中でだれが一番好みなの?」
(!?)
目が点になった。そんなこと、考えたこともなかった。確かに年頃の異性に囲まれているとなると、保護者としては気になってくるのかもしれない。
ちゃん、幽助だけはやめたほうがいいわよ!」
おお、これは正妻からの釘差しかな?思わず顔がにやける。
大丈夫、幽助は私の好みじゃないし、螢子さんと争って勝てる気なんてしない。
「じゃ、どんな人が好みなの?」
「────お兄ちゃんみたいな人!」
お兄ちゃんみたいに、背が高くてユーモアがあって、優しくて強い人がいい。理想が高い?13歳なんだからいいじゃん。
温子さんは返答がお気に召さなかったらしく、ふーんと気のない返事だ。面白いこと言えなくて申し訳ない。
「じゃ、じゃあ、蔵馬みたいな人はどうだい?」
なにがじゃあ、なのか、ぼたんさんが指を立てて提案する。ちろりと蔵馬さんを見るが、聞こえていないのか聞こえないふりをしているのか、ポーカーに興じている。雪菜さんに優しく教えて、面倒見の良さを発揮している。
楽しそうだ。
(……別に。)
傍から見て、蔵馬さんと雪菜さんはお似合いに見えた。カップリングの人気がどうなっているかは知らないけれど、ぼたんさんとか雪菜さんとか、そういう可愛らしい女の子とくっつくのがちょうど良さそうだ。
私なんかじゃなくて。
「……カッコイイよね」
当たり障りなく笑って返すと、ぼたんさんは何故か安心したように笑った。


「おうさまだーれだ!!」

唐突に始まった王様ゲームは、良識の範囲内で危険な色を見せながらも和やかに進む。一部のメンツはアルコールが入っているので、多少危ない話に差し掛かるのは仕方がない。
その一部の中にがいる事に蔵馬は驚いたが、兄を見て納得した。彼に至ってはもうへべれけである。その姉も顔には変化は出ていないが当然のように飲酒と喫煙を行っている。どうやら桑原家は未成年の飲酒について少しばかり甘いらしい。蔵馬としても、別にそういう行為に目くじらを立てることはない。なんていったって元盗賊だ。それに比べれば大体の事は可愛いものだ。

「まあ、私です」

なんどか繰り返すうちにルールを把握した雪菜は、少し悩んで「3番が5番をおんぶ、してください」となんとも平和なことを言った。
「オレが3番だ!」
(わたし5番!)
名乗り出る桑原と呪ゆえに口パクしながら手を上げるに、その姉はつまらなそうな声を出す。
「ふつーじゃん」
普通、といってもしかし兄は酔っ払い妹もどうやらほろ酔いである。兄は「こい!」と背を向けて妹を誘った。
(は〜い!)
平素より些か瞳が据わった彼女は、躊躇わずに兄の背に体を預けた。桑原が「おめぇー、重くなったんじゃねえ?」と言うと、周囲は知らぬことだけれど監禁生活が結構自堕落だった彼女はムキになって、背中側から兄の頬をつまんだ。
「ってて、落とすぞてめぇ〜」
(いや〜!)
振り落とされぬようにぎゅうと兄にしがみつくと、それを合図にしたように彼は部屋をトコトコ駆け回る。ミニロデオだ。
兄のささやかな暴虐は妹にとってはエンターテインメントでしかなく、楽しそうにキャッキャと喜声をあげた。
「おふたりは本当に仲がよろしいんですね」
「カズはあたしに虐げられてるからね、妹には優しくするって決めてるのさ」
じゃあ弟に優しくしてやれよ、と蔵馬は思ったが、当然口には出さなかった。かわりに、放っておけばいつまでもぐるぐる回っていそうな二人に声をかける。
「もういいんじゃないですか。ねえ、陛下」
「ふふ、そうですね。仲のよろしいのがよくわかりました」
ふざけて雪菜をそう呼べば、大分打ち解けた彼女は楽しそうに笑う。飛影はそれを遠くから眺めて、ひと心地ついた。
「私も兄が見つかれば、ああいう素敵な関係になれるのでしょうか……」
「さあ……でもきっと、雪菜さんとお兄さんなりに、素敵な関係が築けますよ」
蔵馬は雪菜のいじらしい願いにそう答えながら、飛影のほうをちらりと見た。彼の安堵を目ざとく見とがめ、自分も穏やかな気持ちになる。桑原家の面々を見ていると兄弟だとかそういものが羨ましくなるのだ。
自分にも兄や姉や、あるいは弟妹がいたらどんな気分だろうか。ちゃんのような可愛らしい娘が居れば、母もきっと心が休まるだろう。良い息子として暮らしている自覚が蔵馬にはあったが、やはり女親というのは娘に憧れるのかもしれないと常常思う。母になったことなどなく今後もなる予定がないので、的はずれな想像かもしれなかったが。

「…………」
一方、は言い知れない気持ちに襲われていた。お酒の力のせいなのか、もやもやと癇癪めいた感情に苛まれる。しかし頭の中の冷静な部分はきちんとそれを抑えつけた。
なにやら考え込んでいる蔵馬を見つめているとぼんやりと感情が沸き立つ。
───面白くない。
それなりに仲良く付き合ってきた。途中2ヶ月のブランクがあり、実際顔を合わせて話した期間は意外と少ない。二人きりでとなればさらに減るだろう。しかし事の特殊性のせいか、兄がよき仲間としてきちんと彼に認められていることもあるのか、その質量は濃密だと感じていた。人と人との付き合いは時間の問題だけじゃないことを、は知っている。
彼はいつだって優しく、桑原を大切にしてくれる。もちろん、それに“仲間の妹”という感情以上が込められているなんて思い違いなど、は絶対にしない。
ただ、お兄ちゃんの妹で、顔見知りで、年下の女の子で。だから、優しくしてもらって当然とまでは思わないけど、甘やかされがちな立場であるのはしょうがないのだ。
そして、まったく同じく立場である──そのうえ、お淑やかで可愛くて、過去を背負いながらもひたむきに兄を探す彼女にも同じように接するのは当然だし、むしろ私なんかよりもっと優しくされたっていいくらいだ。恥ずかしいやつだな、私。勝手に勘違いして自惚れて。自重しなきゃ。別に自分だって、蔵馬さんを特別に好きって訳では無いのだ、多分。
むしゃくしゃする気持ちを、アルコールで流し込む。こんな気持ち、誰にも覚られてはいけない。大人気ないなぁ、わたし。

雪菜さんに嫉妬するなんて、最低だ。


「2番が3番を抱きしめる!10分間!!」

焼酎を片手に温子が高らかに命令すると、2番であるところの蔵馬は内心驚き、3番であるところのは目に見えて動揺した。2番はとっさに彼女の兄を見たが、シスコンの保護者は酔いつぶれていびきを立てて寝ていた。指名されたばかりの相棒も、瞳はアルコールで滲んでとろんとしている。頬が紅潮しているけれど、それは一時間くらい前からずっとだ。は中一だから……13歳か。普段は飲まないらしいから、慣れぬ酒にさっさと酔っているのだ。自制できるのでそこで止めたのはやはり偉いとしか言いようがない。そもそも偉い子は飲酒なんてしないが。

「っ………ムリ!!」
「なによぉ、王様の命令は絶対なのよ!」
「圧政!!」
健気な民が王政に苦しんでいる。喋りづらそうにしながらも、断固した拒否だ。蔵馬としては別に、をたかだか10分ホールドすることくらい簡単だ。しかし、からしたら蔵馬という兄の友人に10分も抱擁されるのは難しいことなのだ。蔵馬は納得する。年頃を思えばさもなりなん、女性としての自覚が芽生え出す頃だ。
「温子さん、オレからもお願いしたいんですが」
「なぁーによ、蔵馬クン。あんた男の癖に度胸ないわねぇ」
断られるのがそれはそれでショックらしい、複雑な乙女心に揺れるを蔵馬はちらと見た。目が合った乙女はピクと肩を跳ねさせる。以前から思っていたが、兄姉に比べて慎重で臆病な娘だ。むしろ上がああだから下がこうなのだろうか。
(──あぁ、いや……)
違うな、と蔵馬は頭の中で彼女の人物像をこねくり回す。吏将の前に立ったのは随分と大胆だった。開き直りにも近い、あれはなんだったんだろうか。ずいぶんと的確に敵を煽っていた。妙に好戦的なところは、間違いなく桑原家の子3人に共通している。
そんな彼女も今は、目の前で蔵馬の顔色を伺っているだけの女の子なのだが。
蔵馬はその姿を見て、どうしようもない衝動に駆られた。昔からの悪い癖と言える。どのみち今も昔も嫌がる女の子を抱きしめる趣味はないし、場を白けさせるのもよくないだろう。それに、この子を弄り倒すのが案外楽しいと言うことを知っている。キツネは鶏の味を覚えると必ず再びやってくると言うが、まさしくそれだ。味を占めてしまったのだ。
「オレの心臓が持ちそうにないので、手をつなぐくらいで勘弁してくれませんか」
計算しきった蔵馬の言葉を、温子をはじめ話を聞いていたメンバーははたっぷり時間をかけて検算した。そうして同じようなタイミングで同じ答えにたどり着く。みるみるうちにの頬の紅潮が耳まで広がる。ぼたんが「まぁー!」と言い、蛍子が「きゃあ!」と嬉しそうに頬に手を当てた。温子は「あんたも隅に置けないじゃーん!」との背を酔っ払い特有の遠慮の無さでバシンと叩き、静流は「ふーん」と静かに感心した。雪菜だけが、読み取れずにぽかんとしている。
「そーかそーか!つまりあんたはそーゆうやつなのね!じゃあ特別に、三十分手をつなぐだけで許してあげよう!!」
王は鷹揚に命令をした。


───な、なにこれ。なにこれ。なに、これ?
もうずっと頭が事態に追いつけない。私の左手はいま物凄く生暖かい。あ、手汗とかかいてないかな……。かいてるな、でもそれは彼も同じか、生きているんだから仕方ないと思って諦めて頂こう。残り時間は23分だ。
ふと隣を見上げれば、蔵馬とばっちりと目が合う。反らすのも変だし、そもそも私がこんなに意識するのだって変なのだ。確かに蔵馬さんはイケメンだけど、肉体的にはちょっと年上だし、精神的には年下だ。あ、でも蔵馬さんって転生した妖狐なんだっけ、じゃあ精神年齢も彼の方が上かもしれない。

ちゃん。つぎ、どれにする?」
「………右端」

そういうと、蔵馬さんはお姉ちゃんの手札から一枚カードを引く。ハートの7。蔵馬さんは私の右手から器用にスペードの7を抜き取って捨てた。
温子陛下の命令でみんなある程度王様ゲームには満足したらしく、次は簡単なトランプゲームをすることになった。みんな大好きババ抜きだ。片手が塞がってのカードゲームは至難の技なので、私と蔵馬さんはコンビプレイ。私が手札を持ち、蔵馬さんが札を引く。
やっぱり蔵馬さん、キスしたこと怒ってたりするのかな……、あるいは……いや、ポジティブに考えよう。私がハグを嫌がったから、うまく妥協させるための作戦だったとか。うん、それだな。そういうことにしとこう。蔵馬さんみたいな素敵な人に怒られたり嫌われたりするのはかなり消耗するし。
ちゃん、チョコ食べる?」
ほら、その証拠に気を使ってくれてるじゃないか。蔵馬さんの問いに私は首を縦に振る。蔵馬はマカダミアナッツチョコを摘んだ。
────箱ごと渡すとかではなく、チョコレートを、その白い指で直に摘んだのだ。
その指はそのまま私の顔に近づけられる。
「はい、あーん」
「!?……っ……じ、自分でっ……」
「カードを置くのが面倒でしょう?」
遠くで女性陣が色めき立つのが聞こえた。
やっぱりこれ、なにかの罰なんじゃないかな……。
ていうか蔵馬さん、お兄ちゃんが寝てるのをいいことにやりたい放題かよ。

空気というものは恐ろしいもので、私はやむを得ずそっと唇を開いた。チョコレートが私の唇に触れて、それから口内に転がりこむ。おいしい。なめらかなチョコレートと、マカダミアナッツの歯触りが心地いい。蛍子さんたちの視線はとてもとても居心地が悪い。
蔵馬さんは楽しそうに笑って、次の弾を装填した。


立て続けに3つチョコレートを食べさせられたちゃんは、口を動かしながら顔を赤くさせたり青くさせたりしている。せわしない。オレのせいだけど。
とろけて指に付いたチョコレートを舐めると、ちゃんの顔色は赤で固定される。といっても、おなじく中学生の雪村蛍子や、気の持ちようが近しいらしいぼたんや雪菜さんも頬を染めているが。
「美味しいチョコだね」
というと、彼女は「そういう問題じゃない」とでも言いたげに少しじとっとした目でオレを見る。そういう目つきだと、確かに静流さんの妹だということがよくわかった。
「ごめんごめん、つい」
これ以上やるとさすがに怒らせてしまいそうだ。今だって不機嫌そうだが、これは本気で怒る前に不快さであることを示しておこうというポーズに見えた。その証拠に、まだつないだ手は離されていない。
「あーあ、蔵馬くん、年下の女の子怒らせたー」
「温子さんも悪いんですよ……」
まぁ、十中八九オレの方が悪いけれど。
ちゃんはヤケのようにぐいぐいと酒を煽る。ババ抜きも中止され、現場は流石に解散の雰囲気だ。
「残り10分、ちゃんと手をつないでなさいよ!」
「じゃ、おふたりさん。あとは仲良くね」
温子さんが念押しし静流さんがおよそ姉らしくないことを言って、女性陣は部屋を出ていく。扉がしまった瞬間、ちゃんは手を振りほどいた。
「あ」
(何考えてるんですか、蔵馬さん!)
「何を言ってるかわからないですねぇ」
とぼけて見せると、ちゃんは「もー!」とでもいいたげにぶすくれた。そういう顔を見ると、やはりポーズで怒っているなと感じる。
彼女は立ち上がりベッドへと足を向けたが、アルコールに足を取られてふらついた。とっさに体を支える。「んっ…」と小さくうめき声が聞こえた。
「飲みすぎです 」
「……ん…」
自分が転びかけたことにも気づいていなかったのか、彼女はぼんやりと視線をさまよわせた。オレの身体に掴まって体勢を立て直し、そのまま、まるで興が冷めたようにベッドに潜り込んだ。
切り替えの速さは瞠目ものだ。
時折、この13歳の女の子はなにか大きな隠し事をしていて、誰のことも──オレも、ひょっとしたら桑原和真をも──視界に入れてないんじゃないかと思うことがある。
オレが周りと一線を引くような、大人が子供を相手にしないのとはまた違う。強いていうなら……この世界に参加していない。
そう、まるで本を読んでいるときのように。物語の主人公に感情移入をしてどれだけ作品に入り込んでも、それは現実じゃない。本を閉じれば世界は消えるし、バッドエンドだって所詮は他人事。そこに発生する感情は決して嘘ではないけれど、本物とは質が違う。 だから一時的に怖いと感じても、すぐにその気持ちを捨てられるのだ。
吏将の前に立つことが出来たのだってそうだ。あのときは、桑原であることを捨てたのだ。雰囲気も人を食ったような笑みも、普段のおとなしさとはまるで違った。
気持ちも捨てて桑原であることも捨てて、あの時の彼女は、一体誰だったんだ?