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「ん、元気そうじゃん」
(おねえ、ちゃん……)
お姉ちゃんは、私の頭からつま先までをじっくりと見て、それからなにか納得したように口角を上げた。お姉ちゃんらしい、ささやかで静かな笑顔だった。お兄ちゃんよりも細く私よりも長い腕が柳のようにゆらりと持ち上がり、ぽんと私の頭をひと撫でする。
「よく頑張ったね」
お姉ちゃんは、私に優しい。お兄ちゃんにももちろん優しいのだが、その優しさはスパルタだ。それはお兄ちゃんに対する親愛と信用の表れとも言える。お兄ちゃんと私のそれと、お姉ちゃんと私の関係はちょっと違うのだ。もちろん年齢的なギャップというのもあるだろうけれど、それだけが理由ではないとかんがえている。
まだ生まれたばかりで戸惑っていたわたしが、もう物心ついていたお姉ちゃんの瞳にどういう風に映っていたのか。今よりずっと上手く“妹”も“こども”も出来ていなかったから、気味の悪い子どもだと思ったかもしれない。それでも、妹として慈しんでくれたことには感謝しかない。優しいからきっと、心配してくれていただろう。
「カズのこと、頼むね。あんたと違って馬鹿だからさ」
(うん!)


幽助は榮子さんと離脱して、お兄ちゃんは雪菜さんを連れて治療に行ってしまった。お兄ちゃんはへたれという名の紳士だから、二人きりにしてもなんの間違いもおこらないだろう。
残る私たちはというと──。

「桑原さん!」
「みた、むら、せんせい」
「無理にしゃべる必要は無い」

私の言語能力、というより単純にしゃべる力が今どの程度かというと、一時は快方へ向かったけれど調子に乗って喋りすぎたのでまたこじらせた、という感じだ。試合が終わり気が抜けたこともあったのか、喉が空振ってしまう割合が増えたので、いっそのこと黙っている。成功率3割。打率にすれば高いけれど、私は元々十割バッターだ。
部屋に戻ろうとしたところで、三田村先生一派が来てくれたのだ。先ほどの試合をずっと見ていたらしい。「気が気じゃなかった」という感想を賜った。
そういうわけで、場所は移動して部屋へ。ぼたんさん達はどこか行ってしまったし、お姉ちゃんも幽助のお母さんも自分たちの部屋へ帰ってしまった。自主性の強いメンバーたちが各々離脱していった結果、部屋には私と蔵馬さんと三田村先生一派だけだ。
ルームサービスに注文した温かい烏龍茶を手に、先生は話す。

「軽呪といっても、結局は姑息的療法でしかない」
「原因の除去は無理なんですよね」
「無理だな。力及ばず申しわけない。呪いというのは、呪われている人間の中に原因がある訳では無い。患部がここに無いのなら、治療だって出来ない」

親側である鴉をどうにかしなければ。子側である私にいくらアプローチをかけたところで回復はしない。
蔵馬さんは、冷ややかな声で一番現実的な案を告げる。

「……かけた相手を殺せば、いいのか」
「それが、呪いの解き方としては一般的だな。相手に解かせるのが無理である以上」

私が黙っている間にも、三田村先生と蔵馬さんはどんどん話を進める。物騒なことを言い出したが、鴉は戸愚呂Tの者であるからやがて殺し合うことになるのは当然に思えた。
そろそろわかってきたけれど、蔵馬さんは私のことについて責任を負おうとしている。負う必要の無い責任。当事者である私と、せいぜい家族であるお兄ちゃんにしかかからない責任を。
……真面目、というより、全部背負い込むことで管理しやすくしている感じだ。
不穏な空気を感じ取った三田村先生は、少しでも前向きになるよう話を逸らした。

「それでも、少しは恩を返せただろうか」

三田村先生は、恩を感じてくれていたらしい。蔵馬さんやチームのみんなのおかけで病気が治り、弟子も無事なのだ。そのお駄賃として呪いを弱めてもらったのだから、私としては何もして無い申し訳なさを感じつつも万々歳だ。
そんなわたしの浅はかさには気付かず、三田村先生は続ける。

「キミには感謝しているんだ、桑原さん。この先も、なにかあれば頼って欲しい」
「!」
「病と罪悪感でくず折れそうな老人の手を、ずっとキミは握ってくれていた。その手に縋らなければ、わたしは闘技場にはたどり着けなかっただろう」
そんなわけがない。三田村先生は立派な人だから──それにわたしは、イレギュラーな存在だから、わたしなんていなくたって三田村先生はちゃんと病を克服して闘技場までたどり着けたはずだ。先ほどの試合だって、私が出しゃばらなくても、乱闘になる前にきちんとお兄ちゃんが起き出して試合を始めたはずだ。
わたしのやることなんて、いつだって蛇足で邪魔で、余計なお世話だ。この世界にいる限り、それは永遠に続く。

「ありがとう、桑原さん」
「……先生、助かりました。」(──ありがとうございます)
お礼一つまともに言えない今の私に、感謝される権利なんてないのに。


三田村先生達が出ていき、部屋には沈黙が降りる。
蔵馬さんと二人きりになるなんて、なんとなく久しぶりだ。戦いのあとの小休憩。少しだけのどかな時間だ。そうだ、お兄ちゃんは雪菜さんに手当されているんだっけ、わたしも蔵馬さんの傷の手当の続きをした方がいいだろう。
……したほうがいいんだろうけどなぁ!
手当と思うと、数時間前のわたしの所業を思い出してしまう。居た堪れない。
蔵馬さんのほうをちらと見上げたら、こちらを見ている彼とばっちりと目が合った。慌てて視線を烏龍茶へと戻す。なんで見てるんだ!?わたしのせいだね、多分!!
気まずい私に蔵馬さんは優しく声をかける。

「……治療の続きを、お願いしてもいいですか」

彼にそう言われたら断る理由なんてない。こくりと頷いて、医療品のセットを取り出す。蔵馬さんは治療のためにぼろぼろの戦闘着を脱いで、傷だらけの上半身を晒した。
特にひどい腕の怪我に、軟膏をすり込んでいく。弾が貫通していたのだから、治るのには時間がいるだろう。シマネキ草がなんとか枯れたからよかったけれど。
包帯を巻こうと回した腕を、蔵馬さんはふと掴んだ。痛かったのだろうか。見上げると、特に痛くも痒くもなさそうな普段通りの表情の蔵馬さんがいた。いつも通りの余裕そうな顔だ。

「もう、キスで治してくれないの?」
「!?」

やっぱり怒ってる!当然だ、好きでもない異性から治療にかこつけて接吻されたんだ。これは切腹モノだ。応急処置でキスなんて、少女漫画の王子様か仲西弘樹くらいにしか許されない。
私はそっと包帯を置いて、土下座の構えをとった。
「も、申し訳ございまっ……!!」
「謝罪が一足飛びすぎる。」
勢いよく下げた私の頭に、こつんと優しく手刀が入った。見上げると、呆れた顔の蔵馬さんだ。
優しい人を呆れさせてしまった……。
「別に、キミが思ってるほどオレは優しくありませんよ」
それは……そんな気はたしかにしてた。私がお兄ちゃんお姉ちゃんの妹らしくあろうと意識してしているように、蔵馬さんもまた人当たりよく“優しい母親の優しい息子”らしくしようと努めている。優しいところもきっと偽らざる蔵馬さん自身なのであろうが、お母様を人質にとられたときの冷酷さは、より根深いところで蔵馬さんそのものなんだろう。優しさを引き算しても蔵馬さんは蔵馬さんのままだが、冷徹さを引いては彼は彼でなくなってしまう。

「だから中学生の女の子から応急処置でキスされても、なにも感じない。罪悪感なんて感じることないんだ」

めちゃくちゃ子供扱いされているけど、それくらいのほうがこちらとしても楽だ。ほっと胸(子供サイズ)を撫で下ろす。

「特に君は、ね」

なんだか念押しされてしまった。
とりあえずはこれで無罪放免、蔵馬さんが気にしていないなら私としても気にすることは無い。覚悟の上だし、今更キスのひとつやふたつしたくらいで恥じらう年じゃあない。相手がとびきりのイケメンという点では、むしろいい思いをさせていただいたくらいだ。ありがとう、そしてありがとう。お礼を言ったら確実に不審がられるから言わないけど。

いつも通りの、お兄ちゃんの友達とお兄ちゃんの妹という距離感に戻った私達は、おだやかな雰囲気の中手当を進める。蔵馬さんの左頬にガーゼを貼って終了だ。蔵馬さんは「ありがとう」と微笑んだ。貼ったばかりのガーゼがひきつった。


ちゃん、ちょっと来とくれよ!」
「!」

部屋にやってきたぼたんさんは、大人しくテレビを見ていた私と新聞を読んでいた蔵馬さんを見て、「熟年夫婦かい!」と律儀に突っ込んだ。そして、私の腕をひっつかんで蔵馬さんに言う。
「霊界探偵としてのお呼び出しだよ!」
「ボディーガードは要りますか?」
「コエンマ様もいるから大丈夫、借りてくよ!」
「ええ、どうぞ」

私の了承ではなく蔵馬さんを真っ先に話を通すあたり、力関係みたいなのが見えてしまう。完全に蔵馬さんは保護者だ。あれ、蔵馬さんと飛影さんってどっちが年上なのかな。雪菜さんに百年に一度の分裂期が来てないから、飛影さんって意外と若い妖怪なのかもしれない。蔵馬さんは人間の受精体に憑依して御年16歳だから、精神年齢はそれよりも上だろう。そう思うと、蔵馬さんと私は案外立場が近いのだ。


ぼたんさんに連れられ、辿りついたのはティーラウンジだった。席には青年の姿のコエンマ様だ。おしゃぶりをしているので、微妙に浮いている。ぼたんさんも着物を脱いでカジュアルな格好だからシックなワンピース姿の私が逆に浮いている気もする。しかし妖怪も闊歩するホテルなので、ドレスコードなんて今更すぎる話なのだが。

「まっていたぞ、
「あたし達の上司に当たるコエンマ様だよ!」
「………」

ぺこりと頭を下げる。そういえば、実物に会うのは初めてだ。私をゴリ押しで霊界探偵サポーターに仕立てた人物。彼に勧められて椅子に座る。頼んでいいと言われたので、とりあえず紅茶をお願いした。

「ケーキも頼んでかまわんぞ?」
なんて言ってくれるが、紅茶だけで遠慮する。ぼたんさんは「いいなー」と言うが、コエンマ様はそれには厳しく「おぬしは仕事中だろう」と叱責した。部下には厳しい男らしい。

「突然呼び立ててすまんな、おぬしに会えるタイミングがなかなか無くて」
「……いえ…」
「ああ、呪いの事は聞いておる。無理に話す必要は無い」
そっちのお言葉には甘えることにして、こくりと頷く。コエンマ様はふっと、瞳を伏せて「随分お主にぴったりな呪いをかけられたものだ」と告げた。
首をかしげて続きを促すと、コエンマ様は少しだけ言葉を選ぶそぶりをして、漸く口を開く。
「玉兎、という名を知っているか」
「!」
「……その反応は、きっと知っているのだな。……もしお主をそやつと同一視する者がおったら、気をつけろ」
真っ先に、鴉のことを思いだした。最近はそうではないが、彼は執拗に私をその名で呼んだ。
「それはお主の前世の名だ。名に引っ張られるな、今のお主は桑原だ」
ぽかんとした私の顔を、気遣うようにぼたんさんが覗き込む。
前世じゃなくて前前世じゃない?なんていう私の的はずれな感想を、きっと2人は読み取れない。
「前世の話などされても困るだろうが、この先きっとお主を玉兎として扱う者が出てくる。気を強くもたねば、あやつが行ったことが無駄になるかもしれん。……それは、避けたい。」
“あやつ”が玉兎さんとやらであることが、私はなんとなくわかった。玉兎さんが尋常ではないなにかをして、今の私が居るのだ。玉兎さんと桑原の間に、××の人生が挟まってしまっているのがまったく不思議だけれど。コエンマ様すら把握していないイレギュラーなのだ。
「……ぎょく、とって、なに?」
「古い妖怪の名だ。詳しく知る必要は無い」
切り捨てたように聞こえるコエンマ様の言葉に、ぼたんさんが慌ててフォローを入れる。
「詳しく知れば知るほど、ちゃんが前世に引っ張られてしまうかもしれないんだ!だから、気になるだろうけど……。」
教えられない、ということか。
私は物わかりのいいふりをして、温かい紅茶を嚥下する。
自分の事なのに秘密にされるなんて、という気持ち自体が咎められるべきことなのだろう。自分のことじゃない。玉兎さんとやらは、他人だ。
ただ、私の前前世というだけの。
……間にもうひと世代入ってくれた方が座りが良かったなぁ。

もう1度、玉兎と呼んでくる者には気をつけろと念を押された私は、なんだか少しだけうんざりした。少しだけ、ほんとうに少しだけ疲れてるのだ。鴉の事はもちろん、戸愚呂弟さんや幻海師範の意味深な言葉はきっと全部ここに繋がっている。玉兎さんが全部の原因で元凶で、もしかしたら前世の記憶を引き継いで桑原で強くてニューゲームしているのも、玉兎さんが原因なのかもしれなかった。そうだとしたらとんでもない。なんてことをしてくれたんだろう。
私の人生になんてことしてくれてるんだ。むしゃくしゃした気持ちを、誰かにぶつけたくて──でも、コエンマ様達にぶつけるのは違うから、私は開いた口を閉じた。どうせろくに喋れない身だ。
代わりに、短い言葉をどうにか口にした。
「……やっぱ、ケーキ……頼んでいいですか」