水面に石を投げて、それから

バトルマニアであるところの幽助は、酎さんを見習い正々堂々と自分の手のうちも明かした。これはもう、殺し合いをスポーツに昇華したふたりの戦いだった。酎さんは応えるようにさらに酒を深くし、完全体になる。
霊丸と錬金妖術の一騎打ちは、ナイフエッジ・デスマッチにもつれ込み、ヘッドバッドで結末へとたどり着いた。
ゴツ、とおよそ額同士を打ち付けあったとは思えない鈍い音が鳴り響き、会場中がふたりの勝負の行く末を固唾を飲んで見守る。
酎さんの巨体が、ゆっくりとリングにしずんだ。
《……3、4、5───8……10!!勝者浦飯!!よって3-1で浦飯Tの勝利です!!》
「よっしゃあ──!!一回戦突破だぜ───!!」

どくどくと頭から血を流し、それでも生きているらしい酎さんに鈴駒くんが駆け寄る。

「よォ、ボーズ。目ェ覚ましたら行っとけや、またやろうぜってな」
「は、はいよ……」

バトルマニアとかそういうものの一線を、もはや越してしまっていた。味方ながら、飛影さんとは違う意味で恐ろしい。



そんなささいなやりとりすら、観客は気に食わぬばかりと声を荒らげる。
「くそ〜〜〜てめェら口先だけじゃねーか!!」「せっかく応援してやったのによォ!」
「殺せ!殺せ!」「オレ達がとどめさしてやるぜ!!」「鈴駒も酎も殺せ!!」


「勝手なやつらだぜ!さっきまであれだけ肩入れしてたくせによォ」
「ケッ、勝手に吠えてろ。お前らはこわくておりてもこられないくせに」
身勝手なヤジに、鈴駒くんの対応はドライだ。
「うるせェェェ───!!!!」
そんな鈴駒くんよりも、もっとずっと大きな声で、怒りを抱き叫ぶのはバトルマニアとして彼らと何かを共有した、幽助だった。
「ぐたぐた言ってねエでおりてこいやコラァ!!文句あんならオレが相手だ!!とことんやってやんぜ!!」
「オレらだ、オレら」
幽助も、お兄ちゃんも、飛影さんも覆面さんも蔵馬さんも、全員が観客席に向かって睨みつける。あまりの迫力に場内は一瞬
、水を打ったように静まりかえった。

「浦飯……」

唯一、彼らとリングの上を交互に見ていた私だけが、鈴駒くんのなにかを感じたような表情と、うっすらと意識を戻した酎さんを見ていた。


酎さんは医務室に運ばれ、鈴駒くんがそれに付き添う。私もチームのみんなを連れていこうとしたのだけれど、幽助は「こんなんツバつけときゃ大丈夫」と言い、蔵馬さんは「オレも遠慮します」と言い、飛影さんに至っては無言で立ち去ってしまった。お兄ちゃんはあれだけ痛めつけられていたというのに何故かぴんぴんしていた。頑丈だ。

『薬だけでも貰ってこようか?』
「いや、キミを1人で行動させるわけには……」

確かに、いつ何が起こってしまうかわからない。これ以上足でまといになってしまうのは避けなければ……と思ったところで、なぜか覆面さんがぴったりと私に寄り添っていた。

「……おめぇがと行ってくれるのかよ?」
覆面さんはこくりと頷く。
「そういや、はなんで喋らねえんだ?」
「それについては、部屋に戻って説明します……」

とりあえず、覆面さんつきで行動を許可された私は、彼だか彼女だかと一緒に酎さんたちのあとを追った。


廊下に人はいなかった。私より背の小さい覆面さんは、しかし歩幅を合わせずとも素早く歩く。
この覆面さんについて、心当たりがひとつだけあった。

『幻海師範ですか?』

私の文字に、覆面さんはしばらく沈黙した後に「やっぱりわかるかねぇ」とつぶやいた。なぜか、声がものすごく若い。
しかしそれについては説明せずに、師範は話を続ける。
「あんたも、また随分と巻き込まれちまったね」
私の妙についていないところは、師範も知っているところだ。巻き込まれ体質とでもいうと主人公みたいでかっこいいが、実際たまったものではない。師範のところで霊気の抑え方や霊能力の扱い方を教わった時も、なぜか暴発して変な霊を呼び寄せてしまったりしたものだ。
「まぁあんたの場合は、必然みたいなもんだろねぇ……いや、今はまだ言うべきじゃないかね」
(……?)
師範は時折思わせぶりなことを言うから、わたしはまったく付いていけずにもやもやとした気持ちだけが残る。戸愚呂弟さんだってそうだ。思わせぶりに口を滑らすのはやめてほしい。気になるから。
「とにかく、あたしのことについては時が来るまで秘密にしといてくれよ」
こくりと頷くと、会話を切り上げたような雰囲気を出されたので私は慌てて文字を書く。
『声若くないですか?』
「霊力をかなり高めているからね。細胞が活性化して若返ってる」
ということは、声だけでなく姿も若いのだろう。見たい……しかし幻海師範が私ごときにそんな真似をさせるはずがない。触れようとした瞬間床に沈められそうだ。


医務室では、酎さんが白いベッドに横たえられていた。まだ1回戦が済んだところなので、重症患者は酎さんしかいない。鈴駒くんが私に気づいて声を上げる。

「あ!あんた浦飯Tの!」

せっかく声をかけてもらっても、私には返せる声がない。ぺこりと頭を下げると、彼は首を傾げる。そうしていると、本当に幼い子供のようだ。お兄ちゃんをあれだけ痛めつけたことなんて、悪い夢みたいだ。

「ずっと思ってたけど、あんた喋れないの?」
『今は、一時的に』
「ふーん、そっちのちびっこいのは?」
『無口なだけ』

ちびっこいといっても、鈴駒くんといい勝負だ。
察しが良くて気が利くらしい鈴駒くんは、私たちが怪我に効きそうな薬を欲していることにすぐ気づき、無口コンビの私たちの代わりにお医者さんに話をつけてくれた。

「でもあんたらのなかに、誰かひとりくらい治癒術使えるヤツいないの?」
(!!)

盲点だった。師範は当然できるし、師範の霊力を温存するのであれば、教わりさえすれば私だってできる。蔵馬さんの薬草もあるだろう。師範を見ると、今更気づいたのかいとばかりに鼻を鳴らされた。
鈴駒くんは小馬鹿にした顔で「あんたバカ?」と言ってきた。そのセリフが許されるのはアスカ・ラングレーちゃんだけです。

「鈴駒……酒ェ……酒くれよォ……」
「酎!」

酎さんの酎はアルコール中毒のチュウ……じゃなくて普通に焼酎とかに使われる酎だけれど、まさしくアルコール中毒のように彼は呻く。鈴駒さんは呆れながら「今は我慢しろよ」と言った。彼もなかなか苦労するみたいだ。

「アん……?さっきの、ちびっこい嬢ちゃんじゃねえか」

私に気づいた酎さんに、ぺこりと会釈をする。額に包帯を巻いた酎さんはむくりと身体を起こす。瀕死になったからか、気味の悪い妖気もあまり気にならない。だけどとにかく酒くさい。臭いだけで酔いそうだ。

「浦飯に伝えとけよ……またやろうぜ、ってな」

こくりと頷くと、彼は歯を見せてにかりと笑う。なんだか嫌いきれない笑顔だった。


医療品を抱えて部屋に戻ってきたちゃんは、『治療をします』と言葉を掲げた。
頬の出血はもう止まっているし、打撲だってだいぶ癒えているが、それでも気になるらしい。兄の服の袖を掴んで見上げる。これは付き合いの浅いオレにもわかる。脱げってことだ。

「いや!オレぴんぴんしてんじゃねーか!」

そうはいうが、やたらと頑丈であっても彼は人間だ。ちゃんは滅多に見せない押しの強さで彼の衣服をひんむくと、両手を重ねて患部にあてた。
霊力を的確に操り、その傷を癒していく。

「驚いた……心霊医術じゃないか」
「お前、そんなことできたのかよ…!」
『幻海師範にならった』
「はー、そういやお前、姉貴と一緒に幻海師範のとこ通ったことあるっつってたな」

目立つキズだけを治し、それ以外にはオレが渡した薬草と医務室から貰った医療品で治療をしていく。どこか付け焼刃のようなぎこちなさはあったが、それでも桑原くんは随分とマシになったようだ。

「んじゃ、オレにも頼むや!」

ソファにどっかりとすわり、幽助は快活に笑う。彼女が医務室に行っている間に“くちなしの呪い”については説明したが、ちゃんが喋らないことにもうすっかり適応しているらしい。頭の傷を治してもらって御機嫌だ。一番大きな負傷を直してもらっただけだというのに、中学生男子ふたりはもう全快したかのような勢いで「おい桑原、組み手しようぜ!」「どひェー!?お前まだ戦い足りねえのかよ!」と言いながら部屋から出ていった。
ちゃんは呆れたような顔をしながら、オレの隣に座るが、オレはかざそうとしたその手を制す。

「そんなに一気に霊力を使ったら疲れるでしょう。オレは大したことないから大丈夫です」

彼女はすこし困ったような、寂しそうな顔をする。女子中学生の純粋な善意を無下にしてしまったのかもしれない。

「……普通の治療だけ、お願いします」
(!)

ちゃんはこくこくと嬉しそうに頭を縦にふる。彼女の気持ちはなんとなくわかった。人質で、無力で、足でまといな己が嫌で、そんな恥ずべき自分でも漸く役立てることが見つかり嬉しいのだ。確かに補欠であり、先頭をする必要が無い彼女だけが唯一この場で治癒に霊力を惜しみなく注ぐことが出来る。
その表情は、先程までの兄の死闘にふらつき、オレの所業から目をそらし、飛影の行いに青ざめた少女と同一人物だとは思えなかった。気持ちの切り替えが上手いとかいう、そんな次元の話ではない気がする。なにか大きな不安があって、それから目をそらしているような。そんな必死さがあった。

頬の傷に一生懸命ガーゼを貼る彼女の手を掴む。ちゃんは突然のことに大きな黒い瞳をこぼれ落ちそうな程見開く。

「無理に役に立とうとしなくたって、だれもキミを責めたりしないよ」

ちゃんは、しばらく言葉の意味を噛み砕いて理解するようにぽかんと口を開けていたが、しばらくしてその唇はきゅうと閉じられた。どうせ今の彼女は語れる言葉を持たない。
それからホワイトボードに向き合って、文字を書いた。長く書くのが大変だからか、喋るよりもずっと砕けた口調だった。

『くらまのお母さんが人質にとられたとき、怖かった』
「怖かった?」

こくりと頷いて、文章は新たに書き直される。もどかしい時間だったが、急かしてしまえば彼女は2度とオレに向き合ってくれない気がした。しかし、飛影はともかくよく彼女があの事態を把握出来ていたな。それなりに密談めいて交わされた脅迫は、リングに近かったとはいえ人間である彼女に聞こえていたとは到底思えない。

『私があんなふうにお兄ちゃん達を困らせることになりそうで』

正直にいえば、既に人質にされ続けている彼女にも、その可能性は十分にある。戸愚呂Tはこれ以上手を出してこないだろうが、戦いそのものの意義をすっとばして勝ちに執着する者にとって彼女は非常に都合がいい。その点については本人の予測する通りだ。

「それで、不安になった?」

こくりこくりと頷く彼女は、弱々しい。
戦闘特化した参加選手の妖怪に相対されれば太刀打ちはできないだろう。今は言葉だって封じられている。助け一つ呼べない。
手が掛かるし、足を引っ張る。
かつてのオレであれば見捨てていたはずだ。だけれど、そんな気持ちが起きないのは桑原くんの妹だからだろうか。彼女のために2ヶ月特訓を続ける兄を見てきた、その思いがオレの打算に楔を打つ。
そしてそれ以上に、怒りがオレを引き止めた。

「……オレは正直、キミがそんなふうに言葉も喋れなくされたことを、意外と怒ってるんですよ」

そうは見えないかもしれないけれど。

困惑する彼女の首輪を撫でる。継ぎ目のない、呪いの首輪。
大会に出場さえすれば無事に会えると思った兄の心を裏切り、妹の期待を裏切り、彼らへのオレの思いを裏切った。
人も殴れず、上手く恨むこともできず、ただ無力なだけの害のない女を──今だって自分がどれほどコケにされているのかを理解しきれていない哀れな女を、こうも辱める。
それは同情と言うよりも、きっと兄心だ。彼女の兄と共に過ごすうちに、俺自身にも彼女を妹のように思う気持ちが芽生えていたのだろう。そうでなければ、母を人質にされたことと同じように冷たい怒りを湛える、この気持ちに説明がつかない。

「母さんにそうしたように、キミのこともオレが守るよ」

絶対に。