待ちわびた男

「安心しろ、使い魔は御主人様が死んだと同時に逃げ去った」
「気づいていたのか…」
「バカな野郎だ、あれは殺してくれといっているのも同じ作戦だ」

私と同じく事態を把握していた飛影さんが、額当てを戻しながらそう告げる。
私は、蔵馬さんがなぶられるのは指をくわえて見つめていたのに、彼の所業からは目をそらしてしまった。その気まずさから、蔵馬さんの方を見れなかった。味方なのに、気持ちが追いつかなかった負い目だ。代わりにまだ眠っている幽助が目に入る。うらやましい、私なんて度重なる恐怖と不安とグロテスクでもうずっと肝が縮っぱなしだ。



《中堅、前へ!!》

大将だと思われていた男は、中堅として姿を現した。彼を目にした観客はザワザワと歓喜する。有名らしい。

「……やつが、大将じゃないのか」
「じゃ、あとのふたりはもっと強いのかよ!?」
「いや……ヤツがあの中で一番強いのは間違いない。ふざけた奴等のことだ。順番もジャンケンで決めたんだろうぜ」

飛影さんは、やっと自分の出番だとばかりににやりと笑う。今日一番いきいきしている顔だ。

「オレが行く。あいつ昨日はなめたマネをしてくれたからな」


試合はものの数分で終わった。
飛影さんの邪王炎殺拳が繰り出す黒い炎が、是流さんを影だけ残して焼き尽くしたのだ。

(これが、不完全な技──?)

目をそらす暇さえなかった。これが邪眼の力で、魔界の炎。

《勝者飛影!!》

実況の女の子が高らかに宣言する。お兄ちゃんはガッツポーズをキメたが、顔はこわばっている。

「飛影はいつ敵にまわってもおかしくない……その上、あんなスゲー技が…」
「くく、安心しろ。この大会が終わるまではこっち側にいてやる。オレの邪王炎殺拳もカンペキではないからな」

殺意の尾を引きながらリングを降りた男は、狂喜を孕んだ瞳で兄にそう告げる。それから、1度だけ私を見た。びくりと身体が強ばったが、私も目をそらさずに見つめ返す。雪菜さんの所在を知った時の方が、よほど恐ろしい気を放っていたのだ。それこそ、リングの上に居る時のような。それに比べればまだ耐えられた。肝っ玉は冷え冷えたけれど。
冷や汗を流す私に興味をなくしたのか、飛影さんが先に目をそらしてしまう。


あまりの出来事に言葉をなくした敵チームの残るふたりは、踵を返して去ろうとした。そんな2人の首を、誰かが薙ぎ払った。人形の首をもぐよりも簡単に飛んでいったそれらが血を流して倒れるのが、スローモーションのようにはっきりと見えた。
むわりとした血の臭いと、酒の臭いが拡がる。

(え……?)

何が起こったのか、一瞬わからなかった。しかし答えは明白である。モヒカンの、お酒臭い大男が彼らの首を掻き切ったのだ。
素手で。

「ウィ〜〜ック」

酔っぱらい特有のしゃくり上げをして、アルコールで赤みがかった頬をした男は、ゆらりと立っていた。

「遊びは危ねーからおもしろいのによォ。しらけさせるマネしやがってバカどもがよォ」
「酎!!」

鈴駒くんがその名を呼んだ、つまり彼がこのチームの6人目だ。

「おい実況、不慮の事故でふたりが死んだ。この場合どうなるんだったかな?」
《補充ができるのは仲間がなん人死んでもひとりだけです!し、したがって残った者だけで後は戦っていただきます!!》
「ん〜〜ナイス。んじゃあっちのチームの残り3人はオレが相手をしていいわけだ」
覆面さんと、幽助と……私がしっかり数に入っている。
彼の妖気は是流さんよりも弱い気がするのだが、妙な不安が胸をぐるぐると渦巻く。軽い車酔いをしたときの、もやもやとした気持ち悪さみたいだ。

「よっと……すげー酒の臭いだな。目がすっかりさめちまったぜ……」
(幽助!)
「ヘイ、怖じ気づいたのか?3人いっぺんに相手してやってもいいぜ?……まーオレとしちゃあ、そこのちびっこい嬢ちゃんは、うっかり殺しちまう前に酌でもして欲しいがな」

この場にちびっこい嬢ちゃんとされる人物は私しかいない。男はそれを証明するかのようにリングのうえでしゃがみこみ、私に視線を向ける。殺気はまるで無くて、この気持ち悪ささえなければ警戒できなかっただろう。
お兄ちゃんが私を庇うように前に立ち、蔵馬さんは彼を睨みつけて告げる。
「補欠はメンバーが死なないと補充されない。キミと彼女が相対する事は永遠にない」
「おいおい、つれねぇなぁあ。ま、いいけどよ」
「あん?おまえ、補欠なの?」

私が合流してからのことをなにひとつ知らない幽助は、あっけに取られた顔をした。驚きですよね、わたしがいちばん驚いてる。

《副将…前……》
「ハリーアップ!!オレは早いとこ優勝して死ぬ程酒をいただきてーんだ!!」
「オレが行くぜ!体がうずいてしょーがねー。寝起きに軽く運動しねーとな」


“殺せ”コールが鳴り響く。会場中の殺気が私たちに向けられていた。幽助さんはそんなもの気にしていない、目の前の戦いにだけ意識が向いている。飛影さんいわく“カエルのツラに小便”

酎さんがゆらりとよろめいたような不思議な動きで、一瞬で審判からマイクを奪い、血走った目で“チームでオレが一番強い”宣言をした。どうやら本当にジャンケンで順番を決めたらしいのだ。実況の女の子のプロ意識の塊である補足情報が無ければ意味がわからなかった。完全に酔っぱらいが管を巻く態度だ。お兄ちゃんも蔵馬さんも、味方である鈴駒さんも呆れ顔だ。

《いいか!先に言っておく!!オレの技は酔拳だ!酔うほどに強くなる!!その不規則な動きで不意をつかれたり油断した敵を翻弄する拳だ!!いいな!?なめてかかるなよ!!》

引き続きマイクを持ったままなので、会場中に彼の手の内が響き渡った。幽助は余裕を保ったまま、好戦的な瞳を向ける。

「ただの酔拳じゃ芸がねーな、オメーにしかできねーとっておきの裏技がある。でなきゃあおもしろくねーよなぁ?」

酎さんは同じく瞳を戦意できらめかせ、ゆらりと身体を動かした。体重が無いみたいな、不思議な動きだ。

《始め!!》

審判のコールで、その揺らめきは流れるように素早いものに変わる。
「!!流れるような動き!!我流のようだがムダがない!!あれはとらえにくいぞ」
蔵馬さんの解説の間にも、その身体は右に左にふれ、手のひらが素早く幽助に襲いかかる。反撃する前に打ち込まれる拳。幽助は応戦するが、強い蹴りで場外に飛ばされて場外のブロックにのめり込む。

《すっ、すさまじいです!口を挟むすきますらない華麗な連続攻撃!!浦飯1発も返すことなく場外に激突!!》

しかし、幽助はカウントを取り終える前に瓦礫から素早く飛び出てリングに降り立つ。楽しそうに、腕を回しながら。

「やべ〜〜やべ〜〜、ガードしなきゃ死んでるぜ、今のケリ。なのになんでだろな、すげ〜〜楽しいんだよ。──オメーもそーか?」
「……ああ、そうだ。バトルマニアよ」