あでやかに君は

会場は熱気に包まれていた。
私は部屋で大人しくしていたかったのだか、「桑原様は本部の意向によりチームの皆様と同じくリング側でご観戦ください」というメッセージがとどいたのだ。
翻訳するならば「大好きなお兄ちゃんの死を間近で見ろ」ということだろう。左京さんの嫌な笑みが目に見えるようだ。
おかげ様でこうしてベンチ入りである。

「生きて帰れると思うなよ!!」
「おい!女がいるぞ!」
「裏切り者の飛影と蔵馬てめーらは肉切れをクソにしてくれるぜ」
「あのアマの手足もいでブチ込んでやれ!!」

こんなに沢山の人に殺気を向けられるのは初めてである。ひどいセクハラも混じっている。幽助をおぶっているせいで手の使えない兄の代わりに、蔵馬さんは私を私を背中にかばった。
さすが蔵馬さん、この罵声にまったく堪えていない。綺麗な顔──まだ高校生であるからか、甘いフェイスはどこか女の子みたいな透明感とかわいらしさがある──に乗った形のいい眉を1ミリも動かさず「仲間意識のない奴等に裏切り者扱いされるのは心外だなァ」とのたまった。
仲間意識ないのか。と思い戸愚呂Tのことを思い浮かべる。確かに、浦飯Tに比べるとビジネスライクというか、なんなら機会があるなら戦いたいという風でもあった。その場合は戸愚呂兄弟VS鴉&武威さんという組分けになりそうだが。
そういえば戸愚呂T、4人しかいないな。左京さんはオーナーだから別枠だし。

《両チーム中央へ!》

注目も浴びたくないし、私はおとなしくリングの外に控えておく。といってももう既に注目なんて浴びに浴び、注視も凝視もされにされ、パンダの気分をあじわっていたのだが。

《そこのあなた、本部が言ってた補欠の方ですよね?》

「!?」

司会の女の子はまっすぐこちらを見て言った。エントリーされてる!?
たしかに、リング内に赤の他人を入れるわけにはいかないのかもしれないが、そこは左京さんのマネーパワーでなんとかしたのかと思っていたのだけれど。
補欠という事は、誰かが死んだら、代わりに私が出るということだ。この役回り私でいいの?ストーリー的には別の誰かが入ったりしない?でも補欠が必要な時は誰かが死んだときだから、主人公チーム補正で誰も死ななければストーリーラインには関係ないのか、な?

「大丈夫、絶対キミはオレが守るよ」

こうなったらもう仕方ない、揉めてるだけキミが注目を浴びてしまう。と蔵馬さんは私の手を引いた。温かい手でつよく握られる。思わず胸がときめ──

「イチャついてんじゃねェーぞ!クソアマ!!」

──けなかった。
観客の罵声に胸の熱がスッと冷める。野次の皆さん見逃さないなぁ……。

相手チームは、多種多様な男性5人組だった。一番目を引いたのは小さな少年だ。飛影さんより小さい、ほんの子供だった。
私と目が合って、ひらひらと呑気に手を振ってくる。反射的に蔵馬さんに繋がれていない方の手を振ると、蔵馬さんにぎゅうと強めに手を引かれる。緊張感がないという叱責なのだと解釈しておこう。
大将の幽助が寝ているので、代わりとしてお兄ちゃんが駆り出される。相手の大将らしい男性との話し合いで、試合方法は5戦方式のタイマン勝負となった。
野次の妖怪たちのせいで、なんとなく対話不能の可能性を危惧していたけど、普通にコミュニケーションとれるじゃないか。安心した。そういうところは妖怪も人間も変わらないのか。
そう思い、リングから降りようと背を向けた、のだが。

「!!」
「っ!」
「うおお!や、 焼けるような妖気だ!!あきらかに幽助を挑発してやがる」

背中を向けた瞬間、恐ろしいほどの殺気を浴びせられた。私にというより、チーム全員にだ。
焼け付くような妖気。一瞬自分の背中が燃えてしまったのかと思うほどビリビリと降りかかるそれに、驚いて前のめりにバランスを崩した私を、まだ手をつないだままだった蔵馬さんが支えてくれる。

「オイ 浦飯起きんか!!」

しかし、こんなおびただしい妖気を浴びても、幽助はまだ寝たままだ。死んでるんじゃないかと不謹慎なことまで考えてしまう。しかし、覗き込めば健やかな寝息を上げていた。呑気だ……。

ちゃん、大丈夫?」

蔵馬さんは支えるようにわたしをリングから下ろしてくれた。
呆然としたままの私を気遣い、背中をなでてくれる。
びっくりしただけで済んでいるのは、飛影さんや鴉に殺気を放たれたことがあるからかもしれない。耐性ができたのだろうか。知らぬ間に成長しているものだ。
リングの上でお兄ちゃんは「トップはオレしかいねーだろ!!」と仁王立ちだ。ついでに背中越しに振り向いて「蔵馬ァ!を頼むぜ!」と私に気をかけてくれる。蔵馬さんは片手を上げてそれに応えた。
お兄ちゃんの相手はさっきのちいさな男の子らしい。先ほどの男性とちがい、殺す気というよりはどこか飄々とした、遊ぶ気のような軽さを感じる。
だけど、遊びで殺しそう。子供が昆虫を弄り殺すような軽さで。
《ああーっと 鈴駒すごい身のこなし! 早くも私実況の小兎、動きを追うのがやっとです》
身のこなしも素早くて軽い。ひょいひょいと身体を動かしている。
しかしお兄ちゃんはズイと少年に近づき、殴りつけた。焦った鈴駒少年はどうにか持ち直すが、それにもお兄ちゃんの優勢は揺るがない。

「ボケェ 弱ェヤツはひっこめ!!」

妖怪同士でも野次られるようだ。
「いや……桑原が強くなっているんだ。特訓に付き合わされてわかったが、彼は実戦ではじめて本気が出せるタイプ」
激しく同意。お兄ちゃんはやればできるのだ。本番に強いタイプ。ところで蔵馬さんいまお兄ちゃんを呼び捨てにした…?
「……バカが。武士道でも気どるつもりか。今のうちに霊剣でつき殺せばいいものを」
お兄ちゃんの拳が鈴駒くんのお腹に入る。これは決まっただろう。
しかし、一瞬鈴駒くんの身体はフッと姿を消した。次の瞬間、お兄ちゃんは首を蹴飛ばされた。思わず私は誰にも聞こえない悲鳴上げる。
(おにいちゃん!!)
「はっはっはっーーどう?ハラハラした!?ただ倒したんじゃおもしろくないからちょっと演出してみました」

あっけらかんと鈴駒くんは言う。
わざと油断を誘ったというの?倒れたままカウントを取られているお兄ちゃんから目を話せず、思わず傍にあったものをつかむ。それは蔵馬さんの服だった。

「カウントしてもムダだよ、首折っちゃったからねー。もうそろそろ死ぬんじゃない?」

しぬ。お兄ちゃんが、死ぬ。
視界が真っ暗になって、自分が今何を見ているのか理解できない。お兄ちゃんが死ぬ?お兄ちゃんが。
残虐な彼に対して、先程までやじを飛ばしていた観客は絶賛の嵐だ。
──なんだこの場所は。狂っている。
ちゃん、落ち着け!」
気付いたら、リングに駆け出そうともがく私を蔵馬さんが抑えていた。その腕に爪を立ててお兄ちゃんとさけぶ。声が出ないことがこれほどもどかしかったことはない。離して!と懇願する声も、蔵馬さんには届かない。
「見るんだ!」
蔵馬さんはわたしの顔をつかんで上を向かせる。いつの間にか視界から外れていたお兄ちゃんの姿を、私の瞳が捉えた。
お兄ちゃんは、ゆっくりと立ち上がっていた。


ちいさな肝が冷え続ける時間は、お兄ちゃんの敗北で終わった。すっかり腰が抜けて膝が笑っている私は、蔵馬さんにしがみついて漸く立っていられる状態だった。本当に情けない。もうずっと、だれかの足を引っ張ってばかりだ。
その罰なんだろうか、だから。こんな恐怖を私はずっとそばで見続けないといけないのは。お兄ちゃんが目の前で殺されてしまうかもしれない。お兄ちゃんだけじゃない。いま私を支えてくれている蔵馬さんも、飛影さんも覆面さんも眠り続けている幽助も、死んでしまうかもしれない。どうして彼らがこんな目に遭っているんだろう。主人公だからだろうか。
でも主人公って、結局幽助じゃないか。世の中には主人公が死んでしまう作品だってあるるし、主人公の仲間はそれより更に死にやすいだろう。味方を失うのは残酷でドラマティックだから。
幽白のストーリーがうまく思い出せないことがこれほど恐ろしいことだとは。未来がわからないなんて誰だってそうであるはずなのに。下手に筋書きがある世界なのだとわかっているせいだからか、世界に殺されてしまうような絶望に襲われる。


だって死ぬのって、とっても痛くて怖いことなのに。


「バカ野郎ふざけんな!!オレはまだやれるぞ!!」

ぼろぼろになりながらも食いかかる兄に、勝ったはずの鈴駒くんは逃げ腰だ。
リングから降りてきた兄に駆け寄って抱きつくと、「アホ、いてぇよ」と言いながらお兄ちゃんは頭を撫でてくれる。
お兄ちゃんの匂いと混ざって、つよい血の臭いを感じる。

「次はオレがやろうか」

私が散々に乱してしまった服を整えながら蔵馬さんはそう言った。微かに口角をあげて微笑んですらいる。この人、好戦的なのだ。試合中何度もお兄ちゃんが死にそうになったのにずっと冷静だった。
格が違うのだ。見えている景色も違う。


リングに立った蔵馬さんに、飛影さんは「2度と刃向かう気にならんようにしてやれ」と告げた。少し仲良くなっていた気がしていたけれど、急にふたりを遠く感じてしまう。それだけ自身の強さに絶対の自信があるのだろうか。お兄ちゃんが今までやってきた喧嘩とちがう、本当の殺し合いに彼らは慣れているのだ。

「あ……特訓してて不思議に思ったけどよ、蔵馬のバラのムチっていったいどこにかくしてんだありゃ?」
「あれは正真正銘ただのバラだ。やつは植物ならすべて妖気を通して武器にすることが出来る。道端の雑草も蔵馬にとっては鉄より鋭いナイフだ」

かなり汎用性高い能力だ。たとえ砂漠であろうと、地中には種が眠っている。地球上で植物の皆無なところなんて、北極や南極くらいではないだろうか。武器はもちろん日常でも便利そう。希少種を育てれば手っ取り早くお金に変わるし、そうでなくても家庭菜園とかしてないのだろうか。

《次鋒 蔵馬VS呂屠 始め!!》

呂屠さんは、一見普通の人間に見えるが耳は尖り目は白目であるところまで黒い。ジョジョでいうとリゾット・ネエロだ。ポルポとか、ああいう人達は黒目がちなんだっけ。と、思っていたら手からジャキンと大きな鎌が生えた。もう全然人間ではない。しかし、振りかざされた刃を蔵馬さんは身軽に避けた。



「話にならん、完全に蔵馬が見切っている。運が悪かったな、お前が戦った鈴駒はどうやら奴等のNo.2だ」
「三本勝負だったらオレが勝ってたわい!!」

それでも、鈴駒くんとかなり善戦していたのだから我が兄ながらすごい。強いうえに頑丈だ。私だったらとっくに死んでいた。



蔵馬さんが呂屠さんの背後を取り、勝負は決まるかと思われたところで、急に蔵馬さんの動きが鈍った。白い頬に一筋、大きく傷が刻まれる。その鮮血にめまいがして、世界が蔵馬さんの顔を中心にグラグラと回るような感覚──そして、急にリング上の会話がはっきりと聴こえた。

「くくくく 見えるか?このスイッチを押せばオレの使い魔が、あんたの母親を食い殺すように尾行している。この意味がわかるね、優しい優しい秀一くん」

(なにそれ!!!)

そんな事ありなのだろうか。お母様を人質にとるだなんて。
母のために命すら捨てようとした蔵馬さんが逆らえるわけもなく、彼は拳を下ろす。

「よ〜〜くできました、それでいいんだよ!人間想いの秀一くんよォォ!!」

呂屠さんは無抵抗の蔵馬さんを殴りつける。蔵馬さんは逃げながらも小さな何かを彼の顔に投げつけた。

「……なんのマネだ?小石を投げつけることでささやかな犯行をしめしたつもりか?これからはわずかな抵抗も許さねーぜ!!手を後ろに組みな!!てめーはオレに殴られるだけのダルマだ!わかったか!?あぁぁん?」

小石を投げつけられたことに逆上した男は、さらに蔵馬さんに命令を続ける。蔵馬さんは大人しく後ろ手に腕を組んだ。しかしその瞳は、今まで見たことないくらい……桑原には決して向けられないくらい、冷ややかで尖っていた。

「おおっと、怖い目だねぇ。戦いたいならやってやってもいいぜ?だが、ほんの少しでも妙な素振りを見せたら押すぜ」


「オイオイ、どうしたんだ蔵馬は!?いきなり敵のいいようにやられちまってるぜ!」
(お兄ちゃん……聞こえてないの?)

どうやら、兄には舞台上の会話……といより、呂屠さんの一方的な命令が聞こえていないようだった。会場の野次は呂屠さんが蔵馬さんに催眠術をかけたとか言っているが、それは的はずれである。しかし比較的リングに近く、私と同じく会話が聞こえているはずの兄がどうして事態を把握出来ていないのだろう。戦いを終えたばかりで怪我だらけだもんな、疲れているのかもしれない。



脅迫はなおを続き、呂屠さんは蔵馬さんの胴に足を打ち込む。抵抗できないのをいいことに、なぶるように殴りつけ、楽しそうに笑う男。見ていられない、だけど、目をそらしてはいけない。いい加減暴力沙汰に慣れなければいけない、戦えないからと言って、戦いから逃げてはいけない。この人たちがこの場にいる原因の一端は私にある。いま蔵馬さんがお母様のために動けないように──浦飯チーム、少なくともお兄ちゃんが、傷付くのは私のせいなのだ。その仲間のことだって、無関係だなんて言えるはずもない。

どれだけなぐられようとも、蔵馬さんの瞳から冷たい光は消えなかった。まっすぐと敵を睨めつける。

「気に食わんなァ〜〜その目が。オレは屈辱に満ちたツラを見て楽しみたいんだ。わかったか?」

呂屠さんの刃が蔵馬さんの頬をゆっくりと滑る。既に刻まれた傷の上から、バツを描くように切っ先は動くが、蔵馬さんは動じない。

「その目をやめねえか──!!」

顔を引いて刃の威力を相殺した蔵馬さんは、やはり怒りに震える敵を見据えたままだ。逆鱗に触れられた男は足を掲げる。蔵馬さんに屈辱を与えたい一心で。

「まずは土下座してオレのクツをなめな」
「きれ〜〜いに舐め終わったらオレ様が首をはねてやるぜ」
「それでボタンを押すのだけはかんべんしてやる」
「いやとは言えねえよなァ、優しい秀一くんはよォォ」
「育ての母親の命がけかってるからなァ。へへへ、いい話だぜ、笑っちまわァ」

──この先、わたしの命がこうなることがあるんだろうか。今でさえ十二分に人質として兄達の足枷になっているが、そのカードが勝敗に関わってしまうことが。戸愚呂Tは純粋に闘いたいのだというが、ここにはただ勝ちたいだけの奴らが大勢いるのだ。この先そんな奴らに目をつけられてしまったらその時には、蔵馬さんのお母様の件よりも最悪になるのだろう。元々私の存在は筋書きにない。イレギュラーな存在がイレギュラーなイベントを引き起こしてしまったら……。
一瞬奈落に落ちかけたそんな思考は、蔵馬さんの冷涼な声で引き戻される。

「断る」

(!!)

「もういい、押せよ」

命令通りの腕組みを解除した蔵馬さんは、ぽんぽんと服の汚れを払う。

「へ、へへへへへへへへへ。言ったな、とうとう本性をあらわしやがったぜ。偽善者ぶってもちょっとゆさぶればこの通りよ。オレ達と同じだぜ!!」

(嘘……!!)

「押せ」
「ケケケケ────!!押してやるぜらぁぁあ!!!てめェもやはり妖怪だァ!!カッコつけてんじゃねーぜ!!!」
(やめてェ────!!!)
「う!!?」

私の声無き声が届くはずもなかったが、しかし男の指は苦しげな呻きと共に止まった。大きく開いたジャケットから覗く胸元が、変色しているのが見える。
「……ゆ、指が……体が動かねェ!」
「うんざりだが、今まであきるほど言ったセリフをくり返そう……」
蔵馬さんは体が硬直した男の手からスイッチを奪い取り、口の端をすこしあげた。勝利を確信した笑みだ。
「最も危険な賭けなんだよ……キミが一番楽でてっとり早いと思っている手段は、最も危険な…。さっき、お前にシマネキ草のタネをうえこんだ。体の自由がきかないほど、根が全身にいき渡ったようだね…」

シマネキ草──死を招く草?きっと、人間界の植物ではない。石を投げて気をそらした隙に植え込んだのだ。

「おれがある言葉を発すれば爆発的に生長し、体をつきやぶる。キミが外道でよかった。オレも遠慮なく残酷になれる。」
「死ね」

そう言った瞬間、男の身体中を突き破るように植物が顔を出す。まるでエイリアンが腹を突き破り生まれてくるように。男の悲鳴が耳をつんざいた。ぶちぶちの皮膚の裂けるグロテスクさにぎゅうと目を閉じる。大きなものが──物になってしまった者が──倒れる音がした。
そして、静寂のなか蔵馬さんがぽつりとつぶやいた。

「皮肉だね、悪党の血の方がきれいな花がさく…」