メンタルがたいへんです

「浦飯チームがホテルに到着したらしい」

窓から海を眺めていた私に、戸愚呂弟はそう告げた。

「…………」
「これを持っていきな」

本気の配慮なのか、煽っているのか。彼はスッと小さな白い板を差し出した。A4くらいのサイズのホワイトボード。御丁寧にキャップに字消しがついたマーカーまで添えられている。マグネット式で、ボードに貼れるやつだ。
少し逡巡したが、たしかに必要なものだと思って受け取る。
この状態、お兄ちゃん達になんて説明しようかなぁ。

「せいぜい大人しくしてることだね。あんた本調子じゃないんだろ」

本調子?まぁ、2ヶ月の監禁で精神は摩耗してるし体力も多分落ちてるけど。

「……ああ、知らないんだったな。しかし、この場合どっちなんだろうねえ」

さっきからなんなのかよくわからない。私が喋れないせいで、戸愚呂弟がつらつらと喋ることになっている状況も不思議だ。鴉といい、戸愚呂チームはみなさん案外よくしゃべる。

「自分のことを知らないってのは……普通なら悪いことなんだろうが、あんたに関しちゃ知らぬが仏ってやつかもねえ」


浦飯チームの部屋だと教えられたのは404号室。うーん、縁起が悪い感じ。
開催中はずっと滞在もとい監禁されていたスイートなルームに引き続いて居てもいいが、ご家族と過ごされても構わない、なぜならみんな数日後には死ぬから。あと首輪で位置情報を確認できるから。
なんて言われたので、私はとりあえずホワイトボードだけを持ってやってきた。戸愚呂チームの思惑通り、家族と感動の再会をするなんて嫌だったからだ。どこにいようと心臓をわしづかまれているのは同じである。何食わぬ顔で「お兄ちゃん?会いましたけどなにか?」って顔で部屋に帰ってやる!
ノックをしようと手を掲げたところで、部屋の扉は前触れもなくひとりでに開いた。

っ!!」
「っ…!」

飛び出してきたのはお兄ちゃんだった。よく知ってる顔が近づいてきて、私をぎゅうと抱きしめる。ちょっと高い体温と、私をすっぽり覆ってしまえる背丈。お兄ちゃんの服からは懐かしい、お家の香りがした。

……よかった!……本当に、よかった…!!」
「…っ………」

お兄ちゃん。呼びたかったけれど、しかし私の唇はがらくたのように、はくはくと動くだけで声なんて出ないのだった。
代わりに喉がきゅうと鳴って、目頭が熱くなる。一瞬前の覚悟なんてもはやなかったあたり、私は鴉の言うひどい嘘つきなのかもしれなかった。

「っ……ぅ……」

わあわあと声を上げて泣けないかわりに、瞳からはぼたぼたと涙が止まらない。震える喉が嗚咽をこぼす。自分で思っているよりもずっと、私は疲れていて、お兄ちゃんに会いたかったのだ。麻痺していた気持ちが、ようやく動き出したようだった。

こうして私の2ヶ月の神経衰弱は幕を閉じ、漸くお兄ちゃんの腕の中で、安心して眠ることができた。
いやなんか、あまりの安堵に寝落ちしちゃったんだって。