正解は沈黙

「さいあく……」

寝起きのわたしの呟きを、戸愚呂・下衆・ビッグブラザーは聞き逃さなかった。というより、気づいていたけれど私が目覚めるまで黙って待っていたのだ。
下腹部に響く鈍痛と、体の気だるさ。足の間の違和感。白いシーツに染みなかったのは幸いだった。二次性徴から長く続く宿命、どう考えても産む人数に比べると供給過多なのではないかと思うが、それは人間が自然とかけ離れた生活をしているからだ。
つまり、月経。

「桑原チャン。ずいぶん機嫌が悪そうだがどうしたんだい?」

戸愚呂兄は愉快そうに笑う。私は不快そうに眉を顰めた。
近頃なんとなく感情が不安定なのは、生理周期のせいもあったのだろう。前回から計算すると少し遅れている。環境の変化に身体が戸惑っていたのだろう。女性の体は繊細なのだ。

「血の匂いがぷんぷんするぜ?オレが十月十日止めてやろうか?」

このテンション、戸愚呂兄のデフォルトである。疲れそうな人だ。あるいは、周りを疲れさせる人。弟は慣れているようだし鴉と武威さんはスルーを決めているので、被害者はもっぱら私だ。
私は直接コンシェルジュに話を通すことを許されていないので、必要なものは目の前の戸愚呂兄を経由して伝える必要がある。戸愚呂兄に、サニタリーショーツやその他用品をお願いしなければいけない。ううん、困ったなぁ……消去法で戸愚呂弟がよかった。せめて武威さん。

「このオレに頼みたいことがあるのではないか?」
「……えっと……」

頬がひきつる私を戸愚呂兄はとても楽しそうに見ている。ここには女子中学生を虐めて楽しむ人間が多すぎる。あ、人間ではないのかな。
足を動かした拍子に、水気のあるものが足の間で動く感覚がした。はやくケリをつけないとだめだ。汚してしまう。心と衣服とシーツを。

「な、ナプキンを……生理用のナプキンが、ほしいです」
「ほう?羽根ありか、羽根なしか?」

く、詳しい!なんでだろう、男の人には本来縁のないものなのに!女兄弟に囲まれたお兄ちゃんだってそんなこときっとわからないはずだ。トイレのサニタリー置き場は目隠しをしているし、専用のゴミ箱も便器の裏にひっそりと置いている。さすがに存在すら知らないというわけはないだろうが、当然兄と父は不可侵を決めていることである。

「は、羽根ありで……」
「蟻の話をしているのか?」

私がそう口にした時、コネクティングルームからさっそうと現れた第三者は、今最も会いたくない人ナンバーワンだった。
戸愚呂兄がその名を呼ぶ。

「鴉」

現れた黒ずくめの美しく不吉な男は、何故かもう1度「蟻の話か?」と聞いた。なんでだろう、好きなのかな。

「いや違う。この娘がオレに恥を忍んで懇願していたところだ」

合っているけど、そう客観的に言われるとやる気がなくなる。無くなったところで困るのは私なんだけれど。ほんとうに辛いなぁ、この面子。

「ところで、血の匂いがするな」

鴉は確かめるように私に顔を近づける。接近されたからと言って、もう後ずさる気力も余裕もない。ところでもなにも、ずっと話の本題である。

「月の障りだ。幼くともこの娘も立派に女の身体ということだな!」

私の身体のことなのに、戸愚呂兄が説明してしまう。しかし、私の口からは言いづらいことなので、これに関しては少しだけ助かったかもしれない。
ところが、鴉は納得せずに首を傾げた。こてんと。別に可愛らしくはなかったけど。

「月の障り……?」
「ああ、妖怪には無いのだったな」

えっ、それは羨ましいなあ。
戸愚呂兄はそれきり私を弄る方に舵を切った。鴉も鴉で、おとなしく静観することにしたらしい。男ふたりに見守られながらサニタリー用品を要求させられる女子中学生というセクシャルハラスメントが、この部屋では繰り広げられている。助けて、お兄ちゃん。妹のライフはもうゼロです。

「ふむ、じゃあ待ってろ。」

そういって戸愚呂兄は部屋を出ていってしまう。仕事が早いのは助かるが、いま鴉と二人きりにされるのはいやだ。というか、鴉と2人きりなんていつだって嫌だ。しかし無情にも、戸愚呂兄を吸い込んで扉は閉まる。

逃げ場なんて元々ない上、身体の不調で身動きが取れない私は、ちらりと鴉を見上げる。男は当然のように、私が寝たままのベッドに座る。スプリングが揺れた。

「怪我か?」
「い、いえ……」
「月の障りとは、一体なんだ?」

切れ長の瞳がまっすぐとこちらを見つめる。この男は、こんなふうに幼い子供や動物のような瞳をすることが稀にある。人間の文化や生態に著しく未知なのだ。そして、好奇心が強い。

「ええと……」

この人がその好奇心から目を通していた私の本に、それに関する事は載っていなかったのだろうか。生物の本とかあったんだけどな。あるいはティーンズ向けの恋愛小説とか。読み物が欲しいと言った時にミステリーやファンタジーとともに渡されたものだが、結構描写が過激なのだ。常常思っているが、本当に誰のチョイスなんだろう、あの本たちは。

「あ!教科書!保体の教科書に載ってます!」

拉致された日は保健の座学があったので、教科書を持っていたのだ。これならきちんと、初心者にもわかりやすく書かれているだろう。よく考えたら拉致してきた相手になにを懇切丁寧に教えてるんだ?立ち上がりたくない私に代わり、なんと鴉は素直に本棚に立てられた大きめの書籍を取りに行った。よっぽど気になるらしい。
使い込んで表面の艶が陰った本を開く。ぱらぱらと捲って該当ページを見つけると、それをそのまま鴉に差し出す。

「これ!です!」
「“生殖に関する発達と働き”……」

しゅっせきばんごういちばん、鴉くんは視線を動かして内容を黙読する。カラー印刷の紙には、男性と女性それぞれの身体の図解と、特に生殖器をピックアップした図が本文と一緒に載っている。

「ほう、人間とはこのような仕組みなのか」

月の障りについて得心がいったらしい彼は、ぱらぱらとページを捲る。向学心が強いのかもしれない。あるいは、武術会前に敵について把握しておくつもりなのか。だとしたら私はいま結構なキラーパスをしてしまったかもしれない。もしくはオウンゴール。
しかし彼が「妖怪とそう変わらんな」と言ったのでその心配は杞憂だったようだ。これもまた、妖怪の多様性のうち鴉が認識している一部と照らし合わせただけの結果でしかないだろうが。妖怪という分類は、霊長類という分類よりもさらに広く深い多様性に満ちているのだ。それはいつかの飛影さんの話しぶりや、ここでの生活で得た知識ではっきりと言えることだった。

「とするとお前、子を孕めるのだな」
「うん……」
「なるほど、あの男の巫山戯た態度にも合点がいく」

あの男、とは戸愚呂兄のことだろう。それにひきかえ鴉においては、私に対して性的な欲求など抱かない事は言葉の上でも経験の上でもわかっているのでそこだけは唯一安堵できるところだ。

「待たせたな」

話の切れ目を見計らったのか、あるいは私と鴉が珍しく見解を一致させたせいなのか。きっとそのどちらでもないが、ちょうどよく戸愚呂兄が戻ってきた。手には紙袋が下げられている。

「ありがとうございます……」

五体投地で拝すると彼は満足そうに笑った。JCをさんざん虐めたが故の充足感なのかもしれない。

「バスルームまで運んでやろうか?」
「け、けっこうです!」
「なんだ。つまらん。」

下腹部を刺激しないように、ゆっくりと起き上がってのろのろバスルームへ向かう。鴉と戸愚呂兄はまだ部屋に居座る気らしい。あの2人って普段は一体どんな話してるんだろうな。