おざなりに破壊

久方ぶりに、かつて敬愛し今は軽蔑の念を向ける軽薄なる知人に再会したと思ったら、女はすっかりと自分のことなど忘れていた。
すべて忘れて、安穏と生きていた。かつての苛烈であり硝子の糸を引き伸ばすような限界の美しさを失い、己の本質すらも失った女。むしろ、強さを削ぎ落とされた姿は薄くて軽い本来の女であったのかもしれない。しかしオレが美しいと思った女は、もう永遠に失われたのだという事実は変わらなかった。遠い昔に、穢い自家撞着の末自らを消した女妖怪。その低劣な行いをするまでは、あまりの美しさに手に入れたいと執着したのは確かだった。
そしてその残り滓は、救いようがないほど醜かった。

「い、いたいっ」

問答の末、気づいたら女の身体はオレの下にあった。毛足の長い絨毯の上でもんどり打つ幼い身体。愚にもつかない光景だ。

「どうした兎。いや、妹とやら。噛み付くのはもうやめたのか?」

優しく、あくまでも殺さない(人間はすぐ死ぬ)よう優しく首を握ると、桑原は苦しそうにうめく。小さい手がオレの手をほどこうと必死になってひっかいてくる。煩わしい。
「っは、ぁ」
解放してやると、桑原は慌てて体をひっくり返して四つ這いでオレの下から這出る。ベッドにしがみついて立ち上がろうとする上から再び覆いかぶさると、窮鼠は「いやっ」と鳴いてシーツの裾にしがみついた。

「敵対している相手に隙を見せるのが趣味なのか?」

怯えるつむじに声をかけると、桑原はびくりと身体を震わせる。弱いだけの生き物だ。美しさの搾り滓。見目ばかりは整っていようと、なんの意志も強さも感じられない。

「敵に背中を向けるのは得策ではないな」

それでも、ここ1ヶ月で必死に噛み付いてくるようになったのは予想外だった。当初は傷つけられるだけの無力な娘だと思っていたが、やはり最低限の悪意や敵意は持っているようだった。その野生性には、見るところがなかった訳では無い。
むしろ、桑原に唯一価値を見いだせるといったら、その生殺しにされた蛇が噛むような、消える前の蝋燭が一際輝くような、弱々しくも確かな抵抗だけであった。

「ほら、無防備な背中に傷をつけられるぞ」

襟元をつかんで軽く引っ張ると、女の服はすぐにビリビリと裂けた。顕になった背中に気付き、いやだいやだと暴れるそいつをおさえつける。興味深いものを見つけたのだ。

「おい、これはなんだ?」

背中の中程より上、肩甲骨の下に引っかかった細くとも衣服よりも頑丈そうな布。真ん中には金具がついている。左右から垂直に幅広の紐が肩へとのびていて、それぞれの布は胸側でも交差しているのであろうと想像がつく。衣服の一種のようだが、見たことが無いものだった。

「ほう、これで留めるのか」

金具に指をかけると、桑原は先ほどにも増して慌てたようだった。

「いやっ!やめてっ!」

「人間の女は皆このようなものをつけているのか?拘束具のような」

ぷつりと金具を外す(力加減を間違えて金具が曲がってしまった)と、桑原はとうとう啜り泣く。言葉で責められるよりも首を締められるよりも、こんなちゃちな拘束を外される方が嫌なようだ。
前はどうなっているんだろうと純粋な興味で、軽い身体を抱えあげて寝台の上に下ろすと、濡れた瞳でこちらを睨んで後ずさる。

「おい、貴様のその服の仕組みが知りたい」
「は?」
「貴様の粗末な裸体になど興味無い。脱げ」
「何を言ってるの!?」

一丁前に女らしい警戒をしていたようだ。まったくの心外だ、こんな人間臭い女に対して、このオレが欲望など抱くはずがない。だからこそ、人間の女の衣服の仕組みなど初めて知った。服の下にあのような拘束をつける女妖怪を、オレは知らない。

「なに、抵抗しなければすぐ済む話だ」
「っいた!」

邪魔する両手をまとめて掴んで頭の上におさえつける。背面にそうした時と同じように、胸元を布地をつかむとやはり紙を裂くように簡単に肌が露になった。胸側の拘束具は、三角形の布が2つ、それぞれの乳房を覆っている。そこに胴に回る布と肩から回ってきた紐がそれぞれくっついていた。本来は乳房に添うように立体的に裁断され縫い合わされた布は、背面の緊張を解いたせいか、はたまた女が暴れたからか、胸からずれて浮いていた。

「なるほど、これで乳房を吊っているのだな」
「っ……うぅ、やだよぉ……お兄ちゃん……」

繊細かつ優美に飾られた乳房の布をつまむと、恐慌した桑原はわあわあと耳障りに泣き出した。胸のひとつやふたつ、なんだと言うのだろう。むしろオレの本懐ではないとはいえ、幼稚ながら女の身で人質にされておいて身体を暴かれることを予想していなかったわけではあるまいに。

「おい、泣くな。オレがお前とまぐわおうとしたみたいではないか」
「っ、だって!だって…!!」
「わかった、もう触らん」
「ふええ!!」

せめてしとしとと枕を涙で濡らせばまだ華も可愛げもあったろうに、精神の統制を欠いた女はえぐえぐと泣きわめく。解放された身体を寝台の隅に縮こまらせ、オレを睨みつけながら衣服をかき抱いた。
そんな姿に妙に心が掻き乱された理由は、自分でもわからない。


「おい、いい加減泣きやめ」

体中の水分が無くなるのではないかという程泣き続ける桑原。軽く小突くとキッとこちらを睨まれる。

「なにするのよ!」
「その乳を吊る帯は知らんのでな。調べた」
かつて魔界にいた頃は、妖怪の女は胸には布を巻いていたものだが。魔界は広いのだから、この女が着用しているような形態のものもあったのかもしれない。
桑原は確かめるように背中に手を回す。
「ホックが壊れちゃったじゃない!」
「金具のことか?もろいな」
「あなたが無理やり外すから!」
すっぽりとシーツを被り、白い蓑虫のようになった女は甲高い声で喚く。
「もういや!あんた人質にこんなことしていいわけ!?」
「駄目とは言われていない」
言うまでもなかった、というのが本意だろう。オレが人間の女になど興味無いのは左京とて知っている。元人間で、女ならば誰でもいいというような戸愚呂兄はきっちりと言い含められていたが。
「その乳吊りの帯は人間の女は皆しているのか」
「知るかよぉ!そんなの!」

狂乱しきった桑原はもはや性格が崩れていた。この女の本性は案外こちらなのかもしれない。耐え症のない、小煩い女。突けば引っ掻くし、唾棄すれば返ってくる。弱くとも、反抗的なのだ。
大人しく調和的だとかいう人に聞く桑原の性格など、むしろこの女に架せられたただの設定のように思えた。自らそうあるべきだと、過度に倫理的であろうと言い聞かせているような。


「お前、玉兎でないとしても、本質は桑原でも無いな?」


お前は一体誰なんだ?
その問いに、小煩い女は答えはしなかった。