君を見てるといらいらするよ

“人質は無事でなければ意味がない”という精神がかなり徹底されているのか、あるいはただ痛めつける価値もないのか、人質としては上等な扱いを受けた。学校の出席は危ういが、そこにはなにかうまいこと手を回したらしい。一体どんな手だろう。死んだはずの人間が復学できるような学校だから、なにかしら打つ手はあるんだろうな。
厚遇っぷりは、神の祭壇に祭り上げられる生贄もかくやというレベルだ。毎日三食きちんとホテルのルームサービスが届けられる。なんなら、デザートまで美味しくいただける。テレビも自由に観れるし、衣服も綺麗なものが予め用意されていた。夜はふかふかのベッドで爆睡することが出来るし、スパやマッサージルームも使っていいと言われた程だ(丁重に断った)。このままじゃ太りそうだから、こまめな室内運動が欠かせない。趣味がテレビ体操になった。
それでも勿論、部屋に四六時中誰かしらの監視があるという事実は、ただでさえナイーブな気持ちをさらに萎えさせる。
累計××歳とはいえ気持ちはセンシティブな13歳だ。実際、万が一億が一、お兄ちゃんが来なければ大会開催時には死が待ちうけている。あるいはお兄ちゃんが来たところで、役目が終わったとばかりに殺されてしまうかもしれない。しかもその時は残虐な方法で、お兄ちゃんがあらん限り傷つくように。とびっきり陰惨な演出で殺されるだろう。そういう人生のスポットライトの当たり方は嫌だ。今回は長生きして老衰で死ぬのが目標なのだ。

監視が武威さんか戸愚呂兄弟の時はマシだ。武威さんは身体が大きいが、とても寡黙だ。無視すればいい。戸愚呂弟は同じく大きいけれど、気配を消している。最初はびっくりしたけれどそのうち慣れた。ふいになにか興味を持ったように問いかけてくることがあり、その時は必要以上に驚いてしまうが、基本的には無害だ。一番最近聞かれたことは「学校は楽しいか」だった。親戚のおじさんのようだ。その楽しい学校から無理やり引き剥がしたのは彼なんだけど。
兄の方は、随所で自分の存在をアピールしてくる。ことあるごとに話し掛けてくるし、ノートを覗き込んだり、テレビのチャンネルを勝手に変えてしまう。セクハラじみた下衆な質問をされたりもする。しかしまぁ、これも、精神的に全く負担にならないとは言えないが最悪ではない。

問題は、鴉さんだった。

彼はとても怖いし、なぜか驚くほど嫌われているのだ。



「女、私はお前が嫌いだ」

初めて顔を合わせた鴉さんの第一声はそれだった。マスクで半分隠れていてもなお鮮烈な美しさと、なによりも雄弁な瞳の怜悧さに、私はすっかり気圧されていた。差別的な目だ。養豚場の豚を見るような。その哀れな末路を目前に浮かべたような。

「お前は、自分が何で出来ているかも知らない。自分が何であったのか、なにが自分であったのかを忘却している。人の皮をかぶって、そのようにのうのうと生きている様を見ると嘔吐が出る。かつての己を捨て、そんな風に身をやつし、汚し、醜く生きながらえている。よくもまぁ、それほど無力な娘のフリをして、守られ、慈しまれていられるな。これはまったく詐欺と言っていい。ひどい嘘つきめ。その醜悪なまでに白々しい様が、嫌いだ。」

ひと息で、結構な長ゼリフ。ここまでしゃべるのか、この人は。そして、ここまで私が嫌いなんだ。ここまで、言葉を尽くし、悪意を奔流させるほどに。
まるで私が人生2度目だと、見抜いたような語り口だった。

「そうだろう、玉兎」

ぎょくとって、だれ?



ギョクトがなにかもわからないまま、日々は進む。
こんなとき、インターネットがあれば簡単なのだけれど、残念ながらそんな世代ではない。奇跡的に載っていないかと新聞をひっくり返しても、あるのはただ島外で起きた事件の記事ばかりだ。ちなみに流通の関係で、この島に届く新聞は一日遅れている。

「やあ、調子はどうかね」

瞳は少しも笑わないまま、律儀に面談に呼び出した左京さんが言う。週に1、2度、五体満足で生きていることを確認するように彼は私を部屋へ呼び出す。マホガニーのデスクに座る彼と、その背後には戸愚呂弟。私は尋問さながらに、目の前の木製の椅子に座らされている。
調子はというと、もちろん頗るいいとはとても言えない。今日で拉致されておよそひと月。だんだんと自分が荒んでいっていることがわかる。まともに社会生活を送れないと、人は変になるものだ。鴉さんからの精神攻撃も当たり前だが効いている。
ことあるごとに「醜い」「嫌い」「美しくない」と言われるのだ。彼に好かれたいとは思っていないが、悪意の言葉を投げつけられ続けるのは普通に辛いのだ。こんなに陰惨極まる悪意を受けたのは、生まれても死んでもまた生まれてからも、初めてのことだ。

「普通、です」
「顔色が良くないな、きちんと寝ているか?」
「はい」

頷くと、言質を取れたことで満足したのかそこまでで体調についての質問は終わる。生活に不自由が無いかという質問がいくつかされ、暇だという嘆きを受け止めた彼は「なにか本でも差し入れさせる」と約束してくれた。これは毎週の恒例といっていい。隔絶された環境では娯楽が少ないので、自然読書に力が入るのだ。あとは筆記用具とノート。律儀に私が勉強を続けるのでこれだけは切らさないでいてくれる。学生の本文は勉強であるという主義のようだ。

「オレの両親も、勉強は好きなだけさせてくれた」

そう言って彼は言葉を切り、タバコを吸った。続く思い出話が出てくると思ったが、吐き出す煙が掻き消えてもその時はやってこなかった。

「もう、戻っていい」

立ち上がるとき、ふと彼の背後の戸愚呂弟を見た。サングラスに阻まれているのに、たしかに目が合った気がした。