わらう筋書き

お兄ちゃんは雪菜さんのことを好きになったみたいだ。半ば暴走しながら救出に向かい、なんとか助け出すことができたというのが幽助の談。

「だからあんなに、なんというか、ちょっと雰囲気しぶいんですね」
「ま、雪菜は氷河の国に帰っちまったし、失恋みてえなもんだろ」

昼休み、屋上でタバコを燻らせながら幽助はせせら笑った。ちなみに、お兄ちゃんは黄昏モードなのか教室の窓際で空を見上げているらしい。舎弟三人も律儀にそれに付き合っている。というわけで屋上には私と幽助さんだけだ。

「雪菜さんって、飛影さんの妹なんですよね」
「あれ、知ってんのか?」
「飛影さんにビデオ見せたの私ですもん」
「お前なんか最近飛影と妙に仲いいよな……」
まぁ、きちんと対話してくれてるなという自覚はある。もしかしたら友達なのかもしれない。友達だといいな、私男の子の友達ってすくないし。
妙に仲がいいというのは私と幽助の間にも言われていることで、真面目な桑原妹が乱心したと囁かれている。まぁ、お兄ちゃんが幽助と仲良くなったのは公然の事実だから、その流れだろうと多くの先生生徒は静観しているが。
というか、桑原の妹で浦飯が目をかけているというポジションのわたしに、周囲はあんまり口出しできないのだろう。私自身にはそう問題は無いし。虎の威を借るなんとやらである。
「あ、そうだ。今日飯食いに行っていい?」
「いいですよ!なにか食べたいものってあります?」
「肉肉肉。肉がくいてえ」
「あー、じゃあ、肉じゃが」
「肉じゃがを肉料理とは認めねェーよ!」
冗談半分でドツかれる。そうだね、じゃがいもの含有量が多いもんね。私もそう思う。
しかし肉じゃがのネーミングって雑だと思う。肉とじゃがいもという条件ならば広義的にはカレーだって肉じゃがになり得るのでは?なんて。協議の結果、夕飯は生姜焼きになった。飛影さんは当然夜中に来そうだけれど、南野さんはどうだろうか。電話してみようかな。帰ったら、パパとお姉ちゃんが居るか確認して、それから買出しに行こう。なんならお兄ちゃんや幽助に手伝ってもらおう。


しかし私はこの日、家に帰ることは出来なかった。


「ん……」

ひどく身体がだるい。深くねむっていた気がする。頭がぼーっと霞がかって、うまくかんがえることができない。
ここは、どこだ、いまは、いつだろう。
ぼんやりと見上げた天井は、見知らぬものだった。六本足の小ぶりのシャンデリアが目に入る。
再び眠りに落ちそうになる思考をどうにかたたき起こし、記憶を揺さぶる。たしか、委員会を終えて学校から帰る所だった。いつものように校門を出て、いつものように角を曲がったら。
そこにいたのは───。

「……とぐろ、きょうだい……?」
「目が覚めたようだねェ……」
「っ!?」

つぶやいた言葉に、男の声が帰ってくる。そこにいたのは、大きな体躯をしてサングラスで顔を隠した、戸愚呂弟だ。
私は彼を、そして彼の兄を、彼らの雇い主を“知っている”。雪菜さん事件の当事者だ。お兄ちゃんと幽助さんと戦って、死んだふりをした。実は雪菜さんを監禁していた男とは別の人を雇い主としている。現状ではここまでが、桑原になる以前のおぼろげな知識をひっぱりだせるぎりぎりだ。
下校中にこの男が立っていたのだ。待ち伏せるように。
そこからさきの記憶は無い。強いていえば今に繋がっている空白がそれだ。
どうにか体を起こすと、びりと身体がしびれた。頭の先から足の指先まで、麻酔をかけられたように感覚が鈍い。

「ここ、は……」
「まだ動かない方がいい。あんたに使った薬がまだ抜けてないはずだ」

重力に負けて、私の身体は再びベッドに倒れ込む。ふかふかとした、寝心地の良さそうなやわらかなベッドだ。やたらと身体が沈んで、今の私が起き上がるのをさらに阻害する。

「くす、り……?」
「単なる痺れ薬だ。そのうち楽になるよ」

楽にって、治るってことだよね、死なないよね?
問いただしたいけれど今の私にはそんな度胸も体力もない。

「依頼主をお連れする。質問はその方にするんだな」

そういって、生まれたての子鹿といった様相の私を置いて彼はどこかへ行ってしまう。
おかげで緊張がとけて、なんとか長い時間をかけて身体を起こし、周囲を把握することができた。
ここは、どこかのホテルのようだった。
一方の壁1面はガラス張りで、外の景色が一望できるようだがいまは夜空しか見ることが出来ない。ベッドはダブルどころかキングサイズではないかというほど広く、清潔でふかふかしている。部屋の隅にはソファと観葉植物、鏡台があり、そこに私のスクールバッグが置かれているのが見えた。
気絶させられていたようだが、いったいどれくらい寝ていたのだろう。家族が心配しているかもしれない。外が暗いので、少なくとも下校時間からは数時間過ぎているだろう。

「失礼するよ」

ベッドにへたりこんでいる私を前にして、扉が音もなく開く。
右目にかかるかたちで大きく傷跡がある長髪の男性と、その後ろに戸愚呂兄弟が控える形で入ってきた。
思い出した、この人が戸愚呂兄弟の雇い主だ。

「気分はどうだね」
「……あな、たは?」

まだ本調子ではないかすれた声が喉から響く。男はそんな女子中学生を無様に思ったのか、低く喉を鳴らして笑った。

「知る必要はない。が……それではあまりにも哀れだな。私は左京というものだ」

男はソファに座り、そう名乗った。大物らしく足を組んでゆったりと。
そうして、場の支配者は言葉を続ける。聞きたいことが山ほどあるが、彼の持つ雰囲気がそれを許さない。

「桑原、くん……だね?遠いところまで御足労いただいてすまないね。少々手荒な真似をしたが、身体に大事無いといい」

“人質は、無事でないと意味無いからね。”
そう言って彼はタバコを取り出して火をつけた。漂う煙に弱った身体が拒否反応を起こして少し咳き込んでしまったが、彼はそんなことどうでもよさそうだ。

「聞きたいことがあるなら一つずつ問いたまえ」

人質である私は許可を得て漸く質問を許されたようだ。冷ややかな瞳に萎縮して、ただでさえ霞がかった頭が真っ白になるけれど、なんとか必要な情報を聞き出さなければいけない。

「ここ、は?」
「首縊島のホテルだ。なかなか良いところだろう?」

首縊島、なんて不吉な名前の島だろう。地理が苦手なのでどこにあるのかはわからないが、日本語なのでまぁ日本だろう。

「いまは、いつですか」
彼は日付の後に丁寧に21時18分48秒と答えた。わたしの記憶の翌日の日付だから、1日と数時間たっていることになる。完全に無断外泊だ。

「なん…で……」
「暗黒武術会というものがあってね。君のように善良な女子中学生には本来関係のない裏社会のイベントなのだが……だが、君のお兄さんは違う」

そうして、暗黒武術会の概要と、お兄ちゃんたちがゲストとしてよばれた事をとうとうと語り出す。半分くらい理解出来なかったが、とりあえずゲストにされれば出場してもしなくても死んでしまうらしい。生き残りたければ、戦って勝つだけだ。

「念には念を、ということだ。君のお兄さんが逃げないようにね」

なるほど人質だ。お兄ちゃんが、確かにこの大会に参加するように。家族の命を人質にする。なんと卑劣で、最低な手だろう。これを知ったお兄ちゃん、いったいどんな気持ちなんだろう。想像もつかない。彼は優しいから、きっと激怒しただろう。あるいは、妹を案じて泣いたかもしれない。……その両方なのかもしれない。目に浮かぶようだ。自分のせいで妹が死ぬかもしれない、優しいお兄ちゃん。
──だけど。

「こんなこと、しなくても……兄は、来ました」

売られた喧嘩を買わないわけがない。考えなくたってわかる。わたしのお兄ちゃんだから。
今のままじゃ負けて死んじゃうから、しっかり特訓して妹と一緒に生きて島を出る気なんだ。そしてお姉ちゃんもなんだかんだでついてきてしまったりするんだ。危ないだろうに、いつもみたいに飄々と。
そんなこと、見なくたってわかる。

「ばかにしないで、お兄ちゃんたちは、勝つんだから……」
「さあ、それはどうだろうね?」

左京の高笑いが部屋に響いた。