名前も知らない君へのはなし
愛猫の永吉がいなくなった。お兄ちゃんが特に可愛がっている子で、まだ子猫の名残のある小さな猫だ。車に轢かれて死にかけているところをお兄ちゃんが拾って、大事に大事に看病した。くるりとした大きな瞳と人懐っこさで家族みんなに可愛がられていたのに、ある日突然いなくなってしまった。
「永吉……どこいっちゃったのかなぁ」
お兄ちゃんは“心配しなくていい”なんて言ったけど、きっと兄が一番心配しているはずだ。そういうわけで、今日も今日とて好物のおやつを片手に町内で永吉が行きそうなところをうろうろと探し回っている。最近の放課後の日課だ。
「はぁ……」
疲れて公園のブランコに座る。もう薄暗いので子供の姿はない。この公園もよく永吉と遊びに来ていたのに、やはり永吉は居ない。もしかしたら、野犬やカラスに襲われたのかもしれない。そう思うと不安でたまらなくなる。
「っ!」
がさり、と音がして顔を上げた。そこにいたのは猫ではない。猫なんていう、可愛いものではなかった。
「…………桑原、だな」
「あ、あの……?」
男だった。私服だが、きっと中学生か高校生くらい。
剃り込みが入っていて、手には煙草。不良だ。でも兄の周辺では見覚えがない人だった。
「来てもらうぜぇ……」
その手には、夕日に照らされて輝くナイフが握られていた。
「外出ておもしろい事しよーよ」
永吉を質に桑原に脅しをつける累中の番格は、薄気味悪い笑みで人気の無い空き地へ呼び出した。こっそりとあとをつけた幽助は、久しぶりにとても胸糞悪いものを見た。
「お、おにい、ちゃん」
「!!テメェら妹になにしてやがんだ……」
桑原の妹は、累中の不良に後ろ手に捕まれ、首もとにナイフを突きつけられていた。
桑原は飛び掛かりそうになったがすんでで止めた。ナイフがすっと彼女の頬に添えられたからだ。
「テメェ……なんてことしてやがる……」
「最後の命令にしてやるよ。そいつら、殴れ。さっきからオレのことすげェやな目で睨むんだよね。オレがいいっていうまで殴れ!」
当然桑原は手を握りしめて拒否をするが、男は吸っていた煙草を捕まれた猫の目に近づけた。
「まずはこいつにやらねえとまだ立場がわからねえのか?お前に似てねぇマブい妹の顔に傷をつけてやってもいいんだぜ……?」
「っ……永吉は離してっ……!」
「うるせェ、黙らせろ」
「っもが……」
不良の手で口を押さえられ、桑原妹は苦しそうにもがいた。
「殴れっていってんだよ!!」
もはや我慢の限界だった。
猫を捕まえる男の頬を殴り飛ばし、呆けるもう一人の不良を蹴飛ばした。妹はつられて倒れたが、はずみで手が離れたことに気づいて慌てて桑原のほうへ這い寄った。
「よぉ…地獄から舞い戻ってきちまったぜ」
「うっ……浦飯ィ!!!!??」「浦飯先輩!!??」
そこからは普段の喧嘩とそう変わらない。桑原一味と共闘するのも悪いもんじゃなかった。
「動物と女のコをたてに取るたぁとんでもねーヤローだ……ん?」
気を失った累中のヘッドの口からひょこり、と生き物が出てきた。逃げようとしたそれをつい掴む。わさわさと動くそれは、虫のように小さい。体内から出てきたと言うことは、ぎょう虫や寄生虫の類いかもしれない。
いつのまにか背後に来ていた桑原妹が「な、なに、それ……」と呟いた。
『ばかな……普通の人間にはオレの姿は見えないはず、なにより、手でつかむなんて絶対に不可能かはずだ』
「変わったぎょう虫だな、しゃべってやがる」
「小人……小鬼?です、かね」
『こっ、言葉までわかるのか』
思わず桑原妹と顔を見合わせる。“なんだろうこいつ”“わからない”そんなやりとりを目だけて済ませた。幽助はもちろん、桑原妹もなかなか考えが顔に出やすいタイプのようだ。
「そいつは邪鬼、前科5犯の指名手配犯だよ、霊界のね」
薄闇から、どこかで見かけた占い師が現れる。霊界探偵だのというわけのわからない話をしながら暑そうな衣装をばさりと脱いで現れたそいつは、案内人のぼたんだった。
「探偵助手のぼたんよ、よろしくね」
「な、なんだって〜〜〜〜〜!?」
事情がつかめない桑原妹はきょとんとした顔でことの成り行きを見ている。火事のときも思ったが、姉共々桑原には似ていない。
「しっかし、まさか妹ちゃんも邪鬼が見えるなんて、あんた結構霊感強いんだね」
「は、はぁ……えっと、そうかもしれないです」
「ふうん、もしかしたらお兄ちゃんよりも強いのかい?あんたも霊界探偵の素質あるかもねぇ」
突然話を振られた桑原妹は、ついていけずに困ったように幽助を見上げた。
「あ、あの、なにがなんだか」
「あー……話せば長くなるんだけどよォ……」
「っ!」
「お、おにいちゃん!」
血相を変えた桑原が妹をガッシと抱き締める。
こいつの名前、っていうんだなとぼんやりしていると桑原の舎弟の誰かが叫んだ。
「や、やべえ!サツだ!!」
「!?まじかよ、逃げるぞ!」
「え、あの」
「浦飯!学校で覚えてやがれ!!」
桑原一味(妹を含む)は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。俺も生還早々警察に捕まるわけにもいかず、事態が飲み込めないぼたんを連れてその場を離れた。