03

荷物が少ないと必然荷造りもすぐに済みました。私は半年ほど過ごした部屋をもう1度ぐるりと点検します。名残惜しかったのではなく、ただ忘れ物が嫌だったのです。荷物が少ないということは、必要なものしかないということと同義なのですから。
様、お支度は済みましたか?」
「はい」
ドアのところで私を待っていたフレデリコさんは、四つ這いでベッドの下を見る女を見ていられないかのようなタイミングで声をかけてきました。気まずい私は立ち上がって取り繕うように笑います。
「では、パッショーネの方がお待ちですから。行きましょう」
見上げる程大きい彼は、少しだけ言葉を切って私を見つめました。私の倍もある手のひらが少し躊躇ったように動いたあと、ぽんと肩を叩きました。
「どうかお元気で」


お迎えの方は屋敷の前に大きくて真っ黒な車を停めて、同じように黒い服を着ていました。スーツに、妙にカジュアルでヘルメットみたいな帽子を被るアンバランスな装い。手持ち無沙汰そうに足を組み、銃をいじっていました。
銃を、いじっていました。
銃を。
──……こっわぁ! できれば近寄りたくない人ですね。しかし彼は私を迎えに来ているので、声をかける他ないです。なんと言おうか無意味に唇を震わせていると、彼はきょろりとした瞳で私を見ました。
真っ黒な瞳でした。
「よう」
「……こ、こんにちは」
あれ、意外と気安そうな人。彼は音もなく銃をしまい、それから私の頭の先からつま先までをじっくりと眺めてふいに荷物を見ました。
不思議と嫌な気持ちはしない視線でした。
「それだけ?」
「はい?」
「荷物、そんだけかよ」
私のスーツケースは2つ。一つは服や衣類が入っていて、もう一つは生活用品。通常旅行の感覚で言えばスーツケース一つが相場なのでそれを思うと私荷物多いなぁと考えていたんですが、引越しと思うと少ないということには思い至りませんでした。
まったくもって、輿入れする自覚がないですね。私。
「まあいいや、ほら乗れよ」
追い立てられて乗り込む車は、いやにごつくてドアが分厚いです。防弾ですね、そうですね。


 辿りついたのはかの有名なパッショーネの本部、ではなくて有名なホテルでした。なんというか、ロイヤルでエグゼクティブなやつ。私でも名前を知っているような所です。古風なイタリアの街並みの中でも高いビルが立ち並ぶ通り、そこにひときわ輝く建物でした。鳥がうっかり窓にぶつかって問題になりそうなほどの輝き様。エレベーターもフロアごとに違います。恭しく案内され、一際奥にあるケージに乗り込みます。相当な数字の階数をものすごい速さで上昇していきますが、残念なことに外の景色は見えません。重力だけが私の居場所をおぼろげに伝えてくれます。知らぬ間に昇っていく身体。昇るほどに高まる圧力。引く血の気に下がるテンション。


 ワンフロアまるごとというお部屋はテレビにしか存在しないと思っていましたが、なるほどある所にはあるんですね。


「ちなみに下がコネクションルーム」
「こねくしょん」
「夜はオレらが下で寝るってこと」


 なるほど控え室。
 グイード・ミスタなる男性はパッショーネのNo.2、会社でいえば副社長。本来であれば護衛業に勤しむような人ではないはずですが、どうしてでしょうか、どうしてでしょうね。ジョバァーナさんの考えなんて私にわかるわけないでしょ。
 簡単な部屋の説明を受けて、私は一通り部屋の中を見渡します。ベッドルームには大きなベッドがどんと置いてあって、枕が二つ。この大きさはダブルより大きいのでキングかクイーンサイズですね、名推理!


「どうして枕が二つあるんですか?」


 ミスタさんはぱちぱちと大きくて黒い瞳を瞬かせて、当然のように言います。


「ボスとマダムのベッドだから」
「へー、ボスとマダム」


 ボスって、ドン・パッショーネですよね。ていうことはジョバァーナさんです。さすが実力派組織のボス。ベッドも王の風格です。


「………ボスと……マダム?」
「あんたアタマの回転おっせぇーって言われねぇ?」


 マダム? で自分を指で示せばミスター・ミスタ、一拍遅れて大爆笑。