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英語イタリア語、礼儀作法、文化風俗イタリア史、教養、その他諸々花嫁修業。
ええ、叩き込まれましたとも。それはもうみっちりと。
おかげでイタリア語は日常会話くらいならできるようになりましたよ。私みたいな人間でもやれば出来るものですね。
朝から晩まで授業とレッスン。日曜日はおやすみ。そんな日が3ヶ月ほど続きました。
私の婚約者はジョバァーナさんという方らしいです。
彼はイギリス人と日本人のハーフで、裏社会の“若き貴公子”だとか。老いた貴公子ってあんまり聞かないですけどね。
私抜きで話は進められ、私がこの国の土を踏んだあの瞬間には既に、裏社会では私こと・クラーワとジョバァーナさんの婚約は皆が知ることでした。
知らぬ間に 時の人へと 相成りて、心の俳句。
ジョバァーナさんという方もすごい方で、すごいもすごい物凄い。力関係ではウチなんかより余裕で上だそうです。
もはやイタリアはもちろんヨーロッパの裏社会は彼抜きでは語れず、あのアメリカのSPW財団とまで繋がりがあるそうです。
ジョバァーナさんのギャング組織なんかとうちの政略結婚が成り立つのも、ひとえにうちが伝統あるファミリーであるから。
若く革新的な新興ギャングにはすばらしく勢いがありますが、どうしても伝統という名の老兵に立ちはだかれられることはあるそうです。
停滞を好む古臭い狸には、クラーワの名は有効。
それだけのことです。
しかしそれで生涯の伴侶を決めてしまうのですから、すごい世界です。
そのすごい世界と隣合わせで残りの人生を歩まなければいけないなんて、我ながら人生が不穏すぎですよね。


晩餐に選ばれたドレスは黒と見紛う深い紺でした。裾へと向けてより暗くグラデーションされ、ひらりと動く軽やかなドレープにはダイヤが縫われています。大胆に披露されたデコルテには、繊細な作りのネックレスが飾られました。シルバーで作られた、ファミリーのシンボルであるクローバー。そのハート型の葉っぱの1枚にはてんとう虫のように赤いルビーが据えられていました。
全体的に、可愛いドレスでした。
いわゆる大人の女性が着るセクシーなイブニングドレスだとかではなく、社交界デビューの女の子のドレス、というふうなあどけない可憐さがあります。
……あざとい。
そんな私のちょっぴりの呆れは、ジョバァーナさんに会ったときに吹き飛ばされました。
ジョバァーナさん、ジョルノ・ジョバァーナさん。
英日ハーフでおよそ30歳。裏社会の若き貴公子、誰もが知るドン・パッショーネ。
たっぷりと伸ばされた金髪はそのウェーブに沿って眩く輝き、ボディラインは美しい逆三角形。すらりと伸びた長い手足。透けるような白い肌。瞳はギラギラとブルーに燃えて、鼻筋はすっと高い。唇は赤く涼やかで、それらのパーツが全て、まるで己の収まる場所はここにしか違いないというように完璧な位置についていました。福笑いでこの顔を作れる人がいたら、それはもう超能力の存在を認めざるを得ないでしょう。
あるいは、ほかの不思議な力によって一昔前の少女漫画の王子様が飛びだしてきたみたいです。
なるほどこんな彼を前にしてセクシーさとか美しさとかあでやかさとかそういうものを押し出そうとしても無駄でしかない。同じ土俵にたってはいけない。
せめてこんなふうに、最大限大人しく品の良い慎ましやかな格好でいることが最善だったのです。


「久しぶりだね、ジョルノくん。相変わらず好調のようだ」
「ええ、エリオ。あなたもしぶといようで」
「はは、まだまだギリギリ生きながらえておるよ」


エリオは私の父、エリオ・クラーワ。
彼はスーツを着こんで車椅子に座っています。もう立つ力も無いそうです。本来であればそれでも無理をして立ち振る舞うらしいのですが、ジョバァーナさんに対してはその必要は無いのだと言います。どこか雰囲気も明るく、唇に薄く微笑みを湛えるジョバァーナさんと親しげに軽口を叩きあっています。
そんな見栄や矜持が必要ない相手。
──それって、どういうことなんでしょう……。
安易にいいことだとは言えないなにかがあります。
たとえば、まったくよく知らない宗教における神と信者の様を見せつけられてるような、そんな印象でした。


ジョバァーナさんの背後には、ジョバァーナさんとは違う方向で造形の整った男性が控えていました。ジョバァーナさんと同い年くらいでしょうか、穴の空いた個性なデザインのスーツを着こなした彼は、ジョバァーナさんの側近だそうです。父でいうところのフレデリコさんですね。今も私たちの背後に控えるスーツの男性です。今日の護衛は彼1人。 勿論、室外や別室にはパッショーネとクラーワの人たちがいっぱい居ますが。彼は父が昔面倒を見た街の不良で、そのままファミリーに入ったそう。


、挨拶なさい」
父の言葉にわたしは顔がこわばるのを抑えます。今日はもう、これさえできればミッションクリア、あとのことは全部父に任せる手はずです。
つまり、失敗を挽回するチャンスなし。
伏していた瞳をあげると、身体が硬直しました。部屋の中にいる人という人が、私を見ていることに気づいたからです。
人前って苦手…。帰りたい、逃げたいです。でもそういうわけにもいきません。もたもたしていると変な子って思われちゃいますね。
心のなかでため息をついて…、
「…はじめまして、・クラーワでしゅ」
ええ、お手本みたいに噛みましたけれど、それが何か?イタリア語に不慣れということで許していただけませんかね、無理ですかね。無理ですね。少なくとも私は私を許せなかったので、頬は羞恥でカッと赤く染まりました。
「す、すみません…」
「いえ、お可愛らしい方だ」
ジョバァーナさんは目尻を緩めてくださいましたが、小娘を舐めきった態度が見え見えでした。