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飛行機に乗ったのは随分久しぶりでした。
どこか癖になる特有のGを身体に掛けながら離陸した飛行機は、上空1万メートルで水平になり、乗客を快適な空の旅へと連れ出しました。快適も快適、プライベートジェットですから。
純粋に移動を目的としてこの機に乗り込んだ人間は私だけで、あとは飛行機を飛ばすためのスタッフと、専用のアテンドさん。それから複数人の強面の黒服。私は彼らが私を監視するためにいるのか守るためにいるのか未だに知りません。知らないというのはおそろしいことで、私は私を空の旅へと連れ出した人の正確な名前も知らなければ、母がなぜその人と関係を持ち、一人で私を生むに至ったかもわかりません。ただ目に見える結果として、私という存在があるだけでした。
“私”というものも結構わからないことだらけで、私は一度死んだはずでしたが、しかしその次の瞬間にはおぎゃあと生まれてしまっていました。本来はそう良くないはずの新生児の視力ですが、私はその時はっきりと見聞きすることが出来ました。母は私を抱きしめて、泣きながらこう言いました。
「生まれてしまってかわいそうに」
ええ、ベイビーへの第一声としては、なかなかセンスのあるロックな一言ですよね。今も昔もロックの素養がないので、ロックの定義はわからないですが。
物心ついた頃には母はたまにしか家に帰って来ず、私は持ち前の記憶(ただの記憶です。もしかしたら前世の記憶かもしれないですが、私の意識は前世から地続きなので、むしろ今の人生を来世だと思って生きてます)を使ってなんとか一人で暮らしていました。お金には困りましたが、それでも義務教育を経て奨学金を得て、1人前とまではいかずとも一人の一個人としてなんとかちゃんと育ったと思います。我ながら、成績優秀出席皆勤給食完食、絵に書いたような優等生ですね!
ある日いつも通りお金をせびりに帰ってきた彼女は言うのでした。
「あんたの父親があんたに会いたいっていうから、あんたイタリアに行ってなさい」
これはまったく驚きでした。
母から父のことを聞いたことなど、一度もなかったのです。母がどこかで関係を持ったうちの誰かである、という認識しかなく、私も出生に関して別段アイデンティティを求めていなかったので聞くこともなく生きてきました。
その母がそんなことを言うのですから、これは天地がひっくり返ったようなものです。実際私は持っていたテレビのリモコンを落としてしまいました。角が少し欠けました。無念…。
そして今私はイタリアへの航路の最中にいるのでした。
困ったなぁ、私日本語以外話せないのに。
しかしそれを見越して、黒服のひとりは日本語が話せる方だったので、父はそのあたり周到なようです。何者なんですかね、私のお父さん。
さん、飛行機は初めてですよね。大丈夫ですか?」
「は、はい……平気です」
飛行機が初めてなのはというこの個人のことで、前世の分はノーカウントです。ただ、今のわたしには渡航歴なんてないので、飛行機に乗るのは初めてということで通すことにしました。完全な嘘ではないんですよ、プライベートジェットは初めてです。
座席へついた時にバラの花にお出迎えされたのは驚きました。その花も機内のフライトの時間と乾燥によって今ではもう少し萎れ気味ですが。
噂ではファーストクラスでもこんなウェルカムサービスがあるそうですね、ファーストクラスなんて今も昔も乗ったことがないのでわからないですが。
ともかく私はこうして、イタリアへと至る事になったのです。


父はイタリア人でした。概ね予測の範囲内ですね、ここはイタリアなんですから。そしてここは病院なので、医療関係者ではないらしい父は必然的に病人でした。
病院といえば白いイメージですが、父の個室はとても落ち着いたインテリアの部屋でした。一見普通の部屋のようにも見えますが、それにしてはベッドは清潔すぎるし、父は病院着であるし、素敵な調度の部屋には機材や点滴が所狭しと並んでいます。父らしき人を真ん中にして、私と同じく黒服に囲まれていてなんだか物々しい、物騒な雰囲気で部屋から出たくなりましたが、私の背後には黒服の一人がいるのでそれは無理でした。
素敵な個室といえど所詮は病室ですから、無尽蔵に大きいわけではありません。私はこわばる足を動かして数秒もあればたどり着ける所を、一歩一歩確かめるように進みでました。ベッドを囲んでいた男達は自然と道を開けます。
「お父…さん?」
「………、か」
父はイタリア人です。しわくちゃの顔に深い彫り、老い特有のたるみが鼻の横から口の端を走り、顎へと続いています。白髪と黒が入り混じったグレーの髪はポマードできちんと撫でつけられ、鼻の下にはきっちりと髭が蓄えられていました。
私と同じ暗い色の瞳は、やけにギラギラと輝いています。
とても病人には見えませんでしたが、確かに病人でした。
父は、会えて嬉しいも、ゴキゲンいかがですかも、おはようございますもすっ飛ばして、ただこう言った。


「─────すまない」


私の父はマフィアだといいます。
いまはそんなに大きくはないですけれど、伝統を重んじるここイタリアでは名前だけにすら力があるほどの、歴史のあるマフィアだそうです。
マフィアというものがいまいちなんだかよく分からないのは私だけでしょうか。ギャングとはどう違うのかしらん。
台風とサイクロンとハリケーンの違いみたいなものでしょうかね。
ともかく、父はそのマフィアのドンだといいます。
暗黒街の怪物(イタリア語では“モストロ”と言うらしいです)、ドン・クラーワ。
彼には嫡子はいません。奥様はいらっしゃったけれど、十年ほど前に抗争に巻き込まれ亡くなったと言います。その方との間にも、他に関係を持った女性との間にも、子供は居ないとされていました。
ずっと。
およそ20年間。
しかし持病でとうとう倒れた日、極々信頼できる部下にだけ、彼は言ったのでした。
「たった1度だけ、愛した女のもとに私の娘がいる」
そうです、どうやらそれが私のようでなのす。
それを聞いた周りは大わらわ。娘といえど、ボスの血を引く者です。
順当に行くならば、娘の夫か子供がつぎのボスなのですから。
本当はずっと隠し通すつもりだったそうです。けれど、私のことは知る人であれば知っているような秘密でした。死後にそれを利用されるよりは、せめて生きているうちに最善の道を示したい。
娘が殺されたり、ろくでもない男のものにされるくらいなら。
“せめて自分が選んだ男に嫁がせたい”
あまりに前時代的で身勝手な結論でしたが、彼の心情を慮れば、全否定すべき問題ではないようです。
「こ、このまま黙ってたらバレないってことは……」
「いや、側近のものは知っておる。信頼はしておるが……私の死後のことまではわからん」
ちなみに父の日本語は非常に流暢でした。母のために覚えたらしいです。そこまで母に入れ込んでいた父が、身重の母を手放したのも、やはり父の職業的責任のせいであることは容易に想像つきました。母のあの日の涙についても。
そして父の職業的責任は、娘の私も背負わなければならないようでした。
ひどい運命です。生まれてきたことを呪います。
生まれたこと自体が呪いなのかもしれないですけれど。
「愛している、……」
すまない、と。父はもう一度だけ言いました。