09

昨日と打って変わってどこか落ち込んでいる男に、マスターと呼ばれる男はすぐさま気付いた。
この、古い知人が雇えと押し付けてきた若い男は、見るからに外国人でありその人種的ギャップを抜きにしても整った造形をしていて、立ち振る舞いも妙に洗練された、ちょっと見ない華やかな男であった。
知人の女は恋人だと言っていたが、そんなことが嘘であるのはすぐにわかった。釣り合わないとかそういう話ではなく、彼女の男日照りは相当なものだから急にこんな男を捕まえること自体信じられないのだ。それに、男女の関係という雰囲気がない。付き合いが長いからこそわかることである。騙されているのかとも思ったが、どうもそういうふうではない。謎の関係だ。

「ようルクさん、疲れてんのか?」
「マスター、そう見えます?」
「顔青い。今日は早く抜けてもいいぞ?」

昨日は予想外の売上だった。例年より女性客が多かったことが大きい。完全にルクの経済効果だ。掃き溜めに鶴というべきか、この男は本当によく目立つのだ。

「……マスターは、さんと長い付き合いなんですか?」
「ん?まぁな。」
さんって…………優しい方ですよね」
「優しい……」

あの知人をぼんやりと思い浮かべる。
彼女は優しいというよりは、人がいいという言葉の方が似合う。要領が悪いから軽んじられがちというか、誰の敵にもならないタイプだ。悪い人間になり得ない。悪人にすら慣れない。慌てている間に誰かに助けてもらい、それでなんとかやっているような生き方なので、人に助けられる有り難みだけは人一倍体感で理解しているだろうが。

「まぁ、悪いやつじゃあねえよな」
「あの人のために何かをしたいと思うんです……なにがいいんでしょうか」

のほうはどうかわからないが、目の前の優男はどうやら彼女に入れ込んでいるらしい。長年の勘でピンときた。そうでなければ男がこんな表情をするものか。写真に収めておきたいくらい美しい、恋する男の表情だ。
しかし男は、言い訳のようにくちびるを開く。

「自分、故郷に姉がいるんです。だから、彼女を見てると姉を思い出して」

一応恋人と公言している相手に対して、持つべきではない感想だった。聡明そうな男らしくなく、混乱しているようだ。
なにかの事情で同居していて、恩を感じているが、それが恋慕に変わるのが怖い。そんなところだろうか。伊達や酔狂で接客業をしているわけではない。人を見る目はあると自負している。

「あんたにやってもらうならなんでも喜ぶと思うがね」
「そうでしょうか……」

目の前の男は、怪訝そうに首を傾げる姿さえ麗しかった。

「ああ。肩たたき券でも家宝にするはず」
「かたたたきけん?」

肩こりのない文化圏から来た男は、肩叩きという文化も知らなかった。庶民の生活を見てみたい年頃のお姫様みたいな顔をしている。肩こりの概念から親子間での券のやり取りまで説明してやると、彼は納得したように唸る。

「マッサージですね」
「ああ、そんな感じそんな感じ」


マスターは知るよしのないことだが、彼女に抱いてしまったあらぬ劣情への贖罪としての奉仕の心である。まさか健全にとはいえ彼女の体を触ってしまうマッサージなど出来るはずもない。
今日はさんはお休みだ。今頃家でのんびりしているだろう。自分が帰らなければ彼女は眠れないので、急ぎ足で帰路につく。もうすっかり通い慣れた道だ。
この国の夏は騒がしい。セミという鳴き声の大きな虫が昼夜問わず鳴くからだ。ノイズのような声は、なれない自分では辟易してしまうけれど、さんをはじめとしてマスターもサトウさんも平気そうだ。
セミは数年がかりで地中で育つが、成虫として外を飛び回れるのは1週間……あるいはひと月程らしい。最期にはその軽くて小さい体はぽとりと地面に落ちる。そのことを思えば、ミンミンうるさかろうと我慢できるというのが人心だろう。
命というのは、軽くて儚い。
そんなことを、自分や自分の同業はきっとみんなよく知っている。人生に終わりがあるから人は生きられるのだとはわかっていても。そうなのであれば、終わりの見えない自分たちは、生きていると言えるのだろうか。
それはきっと、最期の瞬間までわからないんだろう。
好色と呼ばれるフランスさんやスペインさんは、きっとそんななにかを探しているのだ。と思うほどもう自分は青くない。
自分ではない、かけがえのない誰かを探し続けることなんて、自分たちはとうに止めてしまった。掛け替えのない誰かなんて、いつか掛け替えられてしまうとわかっているから尊いのだ。探してもさがしてもいつか消えてしまう誰かなら、探してしまう必要なんてない。そんな相手は、探さずとも懐に飛び込んでくるのだ。運命なんていう綺麗な言葉では言い表せないそれは、業だ。
兄弟が兄弟として仲良くすることはもちろん、自分自身を保つことさえ難しかった過去を思えばこそ、そしていつか、そうできなくなるかもしれない未来を思えばこそ、例え一時的つながりであろうと、兄弟仲良くできる現在がすばらしいと思う。

そうして、きっとこんな擽ったい繋がりが明日消えてしまってもおかしくないと知っているからこそ、さんのことを大切だと感じるのだろう。
さんとの繋がりが薄く儚く弱ければ弱くなるほど、きっと自分はさんを愛おしく思う。


己はそういう習性のけだものだ。