01

ゴミ捨て場に王子様が落ちている。
ざんざんと降りしきる雨にうんざりしながらついた家路、近所のゴミ収集所にその王子様は落ちていた。カラス避けのネットがまとわりついて寝苦しそうだ。ていうか生きてる?
王子様――かどうかは実際には知らない、世界的人口の割合からして十中八九王族なわけはないけれど、そのさらりとした髪の毛や、目を閉じていても顔立ちのよさがわかるすっと通った鼻筋や小さくて形のいい顎、イケメンのみに許されるかもしれないカマーベストという出で立ちから勝手につけた称号である――は、濡れたストライプのシャツを身体に貼り付け、あまりにも寒そうだった。それでも行き倒れではなくまるで眠る白雪姫のような高貴さを感じるから不思議なものである。

「……あ、あの、大丈夫ですか」

もしかしたら日本人ではないかもしれなかった、ハーフか、外国人かもしれない。冷えて青ざめた頬は白いし、骨格も所謂ハーフ顔系統という方向性で、彫りが深く涼やかだ。

「あの〜……」

意を決してそっと腕に触れてみると、微かに温もりを感じた。血液を送る鼓動も感じる。よかった、生きている。
これは警察か、救急車を呼ぶべきだろうか。傘を持っていない方の手でコートのポケットにあるスマホを取り出し、スリープを解除したところで先程まで触れていた腕がついと上がって私の手首をつかんだ。

「ひぇっ!?」

驚いてスマホを取り落としそうになるところを、どうにか持ちこたえる。慌てて腕の持ち主を見ると、王子様は薄く目を開いた。血の気の引いた唇が何事かを呟く。

「は、はい?」
「……すみません、ここは、どちらでしょうか……」

グリーンの瞳が虚ろに揺れている。泥で汚れたストライプのシャツから、詳しくない私でもわかるほど洗練されたデザインの腕時計が覗いている。彼は、なんだろう。いったい。

町名と近くの建物を教えてやると、意味を持たない単語のように無感動に復唱される。続けて市名を告げても、やはり彼はよくわからないとでもいうようにもごもごと繰り返した。
そしてほんの数秒思案するように瞳を閉じて、最後にもう一度、確信めいた確かな声で私に問うた。

「ここは、なんという国ですか」


「すみません、お借りして」
「いえ……」

のびた私のジャージをつんつるてんながらも着こなして、シャワーあがりの彼は微笑んだ。下着はお風呂に入ってもらっている間にコンビニに買いに走った。さすが、近くて便利だ。

「日本茶しかないんですが、それでいいですか?」
「ええ、ありがとうございます」

座布団に座った彼は興味深げに少しだけ瞳を動かした。別に物珍しいものない、ただの男っ気のない独身女の部屋だ。ああでも、彼のようにハンサムな男性には縁のないステージかもしれない。

「それで、えっと、いったいどうなさったんですか?」
「…………自分は、昨晩いつも通り就寝したんですがね」
「起きたらあそこに?」
「はい。なぜか服のままで」

そうか、就寝したということはパジャマなりなんなり寝る様相をしていたということだ。それが、先程の服装はスラックスにシャツにカマーベスト。もちろんベルトも腕時計もついているし、ご丁寧に革靴も履いていた。寝るときの服装としては三流だ。

「それで、ここは日本なんですよね?」
「はい」
「…………新聞をお借りしてもいいですか?」
「はい、どうぞ」

まるでタイムスリップしてきた人みたいなことを言う王子様である。グレーの紙束を渡すと、彼は真剣な顔でそれをめくった。日本語が読めるなんて珍しい。話者が自国民ばかりだから、他国でも使われる英仏西独あたりとくらべるとやはりマイナー言語だ。
暇を持て余してテレビをつけると、彼の意識がちろりとそちらに向くのがわかった。なんとなく気まずくて音量を下げてしまったが、家主は私なんだから別にそんな必要なかった気がする。

「……あの」
「はーい?」

夕飯のこと忘れてたな、なんて思いながら王子様に返事をすると、彼は困惑した顔にそれでも笑を絶やさず問うた。

「いくつか電話をしてきていいですか?」
「え、はい」

そう言うと彼はどうやら雨にも負けなかったらしいiPhoneをとりだした。よく見れば財布もキーケースも持っている。なんだ、手ぶらかと思っていたら意外とちゃんと持ち物があるじゃないか。ぼんやりと見つめていると、湿った革小物はそのまま、iPhoneだけを持って彼は申し訳程度にくっついているベランダへ出た。ぎりぎり干場になるだけの小さな小さなベランダだ。

電話をかけだした彼を尻目に、キッチンへ立つ。今日はうどんの予定だったけど、あの人うどんとか食べるのだろうか。なんとなくメニューを変更して親子丼を作っていると、カラリと窓が開けられて声が掛かる。

「ほんとうにすみません、WiFiが通じてるならお借りしたいんですが」
「え、いい、ですよ。テレビのとこに機械があるんで、パスワードはその下です」

グレーの機械の下につけられた白いカードを取り出すのを横目で確認してから味噌汁に取り掛かる。ずいぶんとずうずうしいな、しかしまぁ、拾ってしまったものはしょうがないか。
ほとんど無策で拾ってしまったから、今のところ乱暴や狼藉を働くつもりがなさそうなのが幸いだ。

大根としめじの汁に味噌を溶いていると、もどってきた彼は「少しお話したいことがあるんです」とえらく固く低い声で言った。

「え?あ、はい」

私といえば味噌汁の火加減がきになるので、とても気のない返事をしてしまった。温度差にひとりで気まずくなって火を消して向き直ると、スマホを持ったままの彼が「いえ、作業しながらでいいです」と少し柔らかくなった声で言ってくれる。もうほぼ出来上がってるから大丈夫だよ。

「どうやら自分は、思ったより遠いところに着てしまったようです」
「はい?」
「電話をしようとしたら、自分の携帯の回線が使えないんです。それで、Wi-Fi経由でメッセージアプリや電話アプリ使ったんですが、それでも誰にもつながりません」
「はい」

それから、細々とした手段や方法をつらつらと説明される。途中から私にはピンと来ない話になり、ぼんやりと聞き流してると、それに気づいたらしい彼は少し言葉を切って曖昧に笑って、ついに結論を口にした。

「自分は、この世界の人間ではないようです」