少しだけ特別

(連載設定/付き合ってない)




バターを量っていると、蔵馬さんは目を丸くした。
「そんなにいれるんですか」
「うん、ケチっちゃうと美味しくないから」
刻んでください、と板チョコを渡した時も「こんなに」とささやかなショックを受けていたけれど、脂肪分の割合に戦いているらしい。ケーキってそんなものだ。

チョコレート菓子の作り方を教えて欲しい、と頼まれた時はおどろいた。まさかの逆チョコ。しかも蔵馬さんが。けれど考えれば当然のことで、お母様想いの蔵馬さんがホワイトデーを待たずしてサプライズプレゼントをしようとしう心がけは私の胸を強かに打った。この人はこれで健気な人なのだ、お母様絡みのことでは。
それなら一肌脱ぎましょうと13日の放課後、わたしは蔵馬さんと待ち合わせをした。場所が盟王の前だというのは面食らったけれど、それならば皿屋敷の前で待つというから断固として拒否した。皿屋敷中みたいなちょっと荒れ気味中学の前に蔵馬さんみたいな育ち良さげなイケメンが立っていたら、一月は語りぐさになる事件だ。

ちゃんがいてくれて良かった。俺ひとりじゃ作れないから」
「レシピさえ見れば蔵馬さんだって簡単に作れますよ」
「キミに教えて欲しいんです」

さいですか。まぁ、蔵馬さん宅のキッチンはお母様の領土だから、そこに踏み込む気になれないのはわかる。せっかくだったら驚かせたいしね。
手のあたたかさ故に苦戦をしつつチョコを刻み終わった蔵馬さんに次の指示を出しながら、私はさくさくと自分のクッキー生地を作っていく。蔵馬さんは生地を混ぜながら私が抱える銀のボウルを覗き込んだ。

「作ってると、カロリー考えて恐ろしくなったりします?」
「割となる。二月はずっとダイエット期間ですよ」
「そこまで気にするほどでもないと思いますけどね、ちゃんは」

そうは言ってもこの身体は結構食べたものが肉になりやすいのだ。年相応にニキビだって気になるし。成長期というのもあるだろうけど、気は抜けない。

「正月太りの名残がですね…」
「そうですか? あんまり気づかなかったですけど」
「お姉ちゃんが厳しいんだよね、そういうの。美意識高いから」
「髪も静流さんが切ってるんですよね」
「うん、カット代浮くから嬉しい」

お父さんに美容院代を貰った上でお姉ちゃんに頼むという、組織的犯罪じみたことをしている。お兄ちゃんの髪型は自宅では不可能だから私とお姉ちゃんだけの秘密。

「蔵馬さんは、髪とかどうしてるんですか?」
「普通に、昔から行ってる散髪屋ですよ」

料理のために一つに結んだ髪は、少し癖があるがふわふわして綺麗だ。元々の髪質というのもあるのかもしれない。雨の日は跳ねるから大変らしい。
型に生地を流し込んでしまえばあとはもう焼くだけだ。その間にクッキーを仕上げてしまおうと、私は型を取り出して蔵馬さんに渡す。この時期ぴったりのハート型である。

「俺が抜くんですか?」
「私洗い物するから、お願いします」
「こういうの初めてやりますね」
「蔵馬さんが作ったハートが、飛影さんや幽助さんやらに贈られるとか、だいぶ面白いですよね」

なんて言うと冗談めかして顔を顰めて、蔵馬さんはステンレスのオープンハートを指で転がす。誰と作ったかは、面白いから飛影さんたちには食べるまで秘密にしておこう。
それでも蔵馬さんは合理的に、うまくハートを作っていった。クッキー作りをする南野秀一、レアすぎる。はっきり言って非常に可愛い。可愛いなんて言うと気を悪くするから言わないけど。
私が見ていることに気づいて、蔵馬さんは抜いたばかりのココア色の生地をぺらりとかかげた。当然ながら綺麗なハート型だ。ハート型って、心臓を象ってるって言うけど全然似てない。星を繋げて“獅子 に見える!”とか言い出した人と同じくらいノーセンスだ。

「これは、義理チョコ?」
「うん。お父さん達と、飛影さんとか幽助さんとか。あ、もちろん蔵馬さんもね」

お父さんお兄ちゃんお姉ちゃん、それから飛影さん幽助さん、蔵馬さん。あとは仲のいい友達幾人かと。全部合わせるとそれなりの量になるから、クッキーは量産できて楽だ。義理丸出しだけど、イベントなんだし配ることが大切なのだ。

「本命は誰かに渡すんですか?」
「いや、本命はないかなぁ。そういう相手いなですいし」

忘れがちになるけれど、バレンタインって本来はそういうイベントということになっているのだ。好きな人に想いを伝える日。リリカルでポピュラーな記念日だ。私自身そういうことに縁がないのであんまり意識しなかったけれど。

「蔵馬さんこそ、本命チョコすごい貰いそうですよね」
「さあね、今年は受け取らないつもりですけど」
「ええ!? なんでですか?」
「食べきれませんし、受け止めきれませんし」

応えられませんし、と付け加える蔵馬さんに、私はなるほどと頷く。蔵馬さんはそこのところ本当にドライだなぁ。人へのプレゼントを自分で処分するのって結構つらいし、受け取るくらいしてあげてもいいと思うけど。
あ、でも。“今年は”ってことは去年までは受け取ってたのか。どんな心境の変化があったんだろう。
何でもないことのように蔵馬さんはオーブンレンジを覗き込むので、私はそれ以上追求せずに、同じように赤く輝く仕組み不明な箱を覗く。甘い、いい匂いがしてきた。ベーコンがカリカリに焼ける匂いの次に、この世の幸福の匂い。
ふいに目が合った蔵馬さんが笑った。

「志保利さん、きっと喜ぶよ。息子からの逆チョコ」

蔵馬さんは大きくて猫みたいな目をぱちくりと揺らして、困ったように眉根を寄せる。少し逡巡したみたいに瞳を逸らして、ややあって答えた。

「違います、母さんにもあげますけど、そのためのじゃないですよ」
「へ?」

甘い匂いに気を散らしていた私は、ものすごく間の抜けた返事をして彼を見上げる。あ、やっぱり蔵馬さんはポニーテールが似合うな。

「キミにだよ」