桑原くんと嘘

(連載設定外) (失恋)


 という女は気のいいやつだ。成績優秀、スポーツ万能。真面目で先生からの信頼も厚く、しかし堅物という訳では無いので大体のクラスメイトからは「気のイイヤツ」と認識されている。実際、いいやつだ。
 オレが入学早々地震予知なんてやっちまったのを見て、あいつは「やばい人がいるなぁ、って思ってた」なんてあっけらかんと笑った。

「あれは、みんなが危ないと思ったからやってくれたの?」
「そんなんじゃねえよ。わかっちまったから、つい」
「ふうん」

ノートに付箋を貼りながら、は首を傾げる。重要なところだけ丁寧にマーカーが引かれており、向かい側から見ても綺麗で読みやすいノートだ。女のコっぽい丸い字が等間隔にならんでいて、崩して書かれた“ん”が“W ”に見えた。

「はい、じゃあこれ」
「サンキュ! やっぱりに頼むのが一番だな!!」
「貸すだけだからね? すぐ返してよ」
「おうおう、コピーして明日返す!」
「ちゃんとヤマ張ってね」

 自慢じゃないがオレの山勘はかなり当たる。これはごく少ない、というよりオレとだけの秘密だ。「地震予知できるなら、テストの山も張れるんじゃない?」なんて言ったこいつに素直に従ってみれば。なるほど、ものの見事にバッシバシ当たるのだ。しかし、出そうなところが当たっても馬鹿なオレには肝心の解答が出来ない。そういうわけで、にノートを借りたり勉強を教わったりとアシストしてもらう代わりにオレの霊感を使っているのだ。
 当のは霊感やらオカルトを信じないらしいので「不思議、桑原くんよっぽど試験問題作りのセンスあるんだね」なんて首をかしげているが。
 じゃあ地震予知についてはどう思ってるんだよなんて聞けば、ちょっと悩んでから「統計?」なんて答える。そんな頭があれば、に勉強を教わる必要は無い。

「あ、あとね、これ」
「んん?」

 机に引っ掛けていた紙袋を細い指がついと取る。そのまま差し向けられてつい受け取れば、少し重いそれが本であることがなんとなくわかった。

「雪菜さんが読みたいって言ってたミステリー」
「オオー!!! サンキュな! さっすが、気が利くぅ!」
「桑原くんも読みなよ? しばらく貸しとくからさ」
「オレは活字はちょっとなぁ……」
「……同じもの読めば、雪菜さんと同じ話題で盛り上がれるじゃん?」
「っ……そーか! なァるほど!」
 は雪菜さんのことを見たことがない、が、ホームステイしている女のコがいることは知っている。こうして度々気を使ってくれては、オンナゴコロがわからないオレにアドバイスをしてくれる。
 は優しくて気のいいやつだ。


 借りた本は面白かった。ちょっとわからなかったこともあったが、それを雪菜さんに聞くのでは格好がつかない。そんなわけで返しがてらに聞けば、現文の成績上位はすらすらとわかりやすい解説をしてれる。

「はー、なるほどー……だからあのお手伝いさんはあんなに怒ったのか」
「そこわからずに読んで楽しかったの……?」
「おう! すげーよかったぜ、ありがとよ、!」

 は口をモニョモニョ動かして、「そ、それは、よかった……」と珍しく歯切れ悪く言った。の目はキラキラしていて、口元には隠しきれない笑が浮かんでいる。そんなにこの本が好きなのだろう。好きなことを語り合えるのって、楽しいもんな。

「そういえばよ、
「なあに、桑原くん」

 恥ずかしそうに頬を押さえたが、猫みたいに首をかしげる。黒い瞳が楽しそうに輝いて、じっとオレを見詰めた。

「お前って、彼氏とかいねえの?」

 その瞳が急に色を無くしたように沈むのが、馬鹿なオレにもはっきりわかった。やばい。心臓がずんと重くなったように、オレの顔から血の気が引いていく。弁解しようと慌てて口を開いた。

「あ、い、いや! 悪ぃこと聞いたな! ほら、お前っていっつもオレのこと応援してくれるじゃねーか!」

 彼氏がいないことがよっぽどコンプレックスなのだろうか、は答えない。頬に添えていた手を口元に持ってきて、表情すら半分見えなくなる。ぎゅっと、眉根が寄せられて、やばい泣くのかと思った。

「だからさ! ほらこの、桑原様がよ、お前の恋応援してやろうと! 居るんだろ? 好きな相手とか! ほらほらオレサマがチカラを貸してやるから、そんな顔すんなって!」

 はとうとう俯いて、顔を両手で覆ってしまう。泣かせてしまったのだろうか、オレはデリカシーがないから、傷つけてしまったのかもしれない。女子に泣かれるなんて中一の時の帰りの会での女子からの告発以来だ。いや、中3の卒業式のための歌練か? 意外とあるな、オレ。紳士なつもりだったのに。
 なんと言っていいかわからず、口をぱくぱくさせてを見る。俯いた頭のつむじしか見えなかったが。

「…………あなたよ」
「……へ?」

 たっぷり1分はそんな状態だったか。しばらくして手のひら越しのくぐもった声がぽつりと呟く。


「……私の好きな人、あなただよ、桑原くん」


 遠くでバットがボールを弾く高い音がした。野球部だ。毎年甲子園地域予選で敗退するなにひとつ強豪ではない学校だが、練習には真面目なのだ。
 馬鹿なオレはこんな時なんて言っていいかわからない。姉貴が観ていた月9ドラマをちゃんと観ていればうまい言い回しが出来たのかもしれないのに。好き? が、オレを?
 はいいやつだ。気のいいやつで、先生からも生徒からも信頼が厚い。面倒見が良くて、勉強ができて、スポーツも得意でいつも笑っている。よく見れば割と可愛い。胸だって大きい。そんな女子が、オレを?
 オレを好きだって?
 心臓が跳ねたのはどんな気持ちのせいだったか。不測の事態に脳が追いつかなくて、ぐるぐると関係の無いことばかりが浮かぶ。数学の小テスト、図書館に返さなければならない本、昨日の晩飯と猫。
 それから、雪菜さんの顔が。

「っ……ごめん……」

 ひりつく喉から声を絞り出す。いつの間にかカラカラに乾いていて、握りしめた手に汗が滲んでいる。
 の丸い頭がほんの少しだけ、さらに低く俯く。それが助走だったように勢いをつけてが顔を上げた。髪の毛が揺れて、シャンプーの匂いが顔をかすめた。

「はは、嘘だよばーかっ!」

 涙のあともなければ何も無かったのように、はあっけらかん笑う。いつもみたいな明るい笑顔だ。俯いて少し乱れた髪を撫でつけて、首をかしげる。少し明るい色の髪が綺麗に整ったあたりで、俺はようやく理解した。恥ずかしくて見る見るうちに顔に血が昇る。
 やられた!

「っ……な、んっ……だよ! めちゃくちゃビビったじゃねーか!!」
「ちょー深刻な声出しちゃって! よっ、この色オトコー」
「んだとコラ! この主演女優!」

 二人しかいない教室中に響くほどは声を立てて笑い、ついには腹を抱えて悶絶する。よっぽとオレの反応がお気に召したらしい。笑いすぎて涙すら滲んでいる。呼吸困難を肩で息をして直しながら、少し目尻に浮かんだ涙を拭う。越しに見えた黒板に書かれた日付が目に飛び込んできた。
 4月1日。笑顔の名残で細められたの瞳が、夕日に照らされてきらきら輝く。

「わたしが桑原くんを好きになるなんて、そんなこと、あるわけないじゃん」