鴉と嘘

(連載設定)(軟禁時代)




「四月馬鹿」
「しがつばか」

 なんだよ一体。唐突に発された声にオウム返すと、鸚鵡ならぬ王蟲ならぬ鴉は手に開いた文庫本から顔を上げていた。びっくりするなぁもう。

「とはなんだ?」
「あー……」

 人のことなんとかペディア扱いするのやめてくれないかな。無視すればよかった。私は赤ペンをおいて鴉に向き直る。勉強中だったのだ。頭の中は英単語でいっぱいである。

「エイプリールフール。四月一日の……午前中だけだったかな、その間は嘘をついていいっていう……外国の、文化」

 ふわふわっとした説明だけれど、そもそもあんまり興味のある文化ではないのだ。バレンタインほど浸透していると思えないし。生前(?)は、SNSなんかのオンライン上で企業が本気出して取り組んでいたイベントだけれど、この時代はインターネット自体がそこまで浸透していない。

「そんなことして、なんの意味がある?」
「ええー、知らないよぉ……。外国の文化だし……」

 鴉は役立たずとでも言うように鼻を鳴らした。いや、無茶ぶりだって。答えてあげただけ褒めて?
 どうやら読んでいた本に出てきたらしい。鴉の手の中ですこし丸めて開かれたそれは新刊のミステリー短編集だ。

「で、エイプリールフールがどうしたの?」
「四月馬鹿で騙された男が、バカにしてきた恨みで女を殺す話だった」
「そ、壮絶」

 そんな理由で殺されたら溜まったものじゃない。ハンガーを投げられたから殺す並の暴論だ。同情も何もあったものじゃない。いやしかし、それらはきっときっかけにしか過ぎないのだ。描かれていないだけで、敵意はこつこつと溜まっていたはず。コップに少しずつ水を入れるように。遂にぽろりと零れてしまったことが殺意のスイッチになっただけで。
 人の気持ちは複雑だけど、閾値が存在することだけは確かだ。その数値が誰にもわからないからコミュニケーションは怖いのだ。多分、本人にすらわからない。あー、怖い怖い。なんだかんだで鴉と馴染んでる自分が怖い。

「おい」

 会話の切れ目を感じて、テーブルに向き直る。nから始まる英単語が目に飛び込んできた。頭の中で反芻しようとしたけれど、oiの2音で意識が逸れる。振り返る暇もなかった。

「あまり慣れた気になるなよ。私は貴様が嫌いだからな」

 はいはい、わかってますよ。
 返事はしなかった。