安室さんと嘘




「本当はさっきの人、実の親子だったんじゃ……」

 新車の匂いがした。安室さんはなんかお気にの車をバッキバキの廃車にしたそうなので同じのを買い直したのだ。なんだろう、その経済力。探偵って儲かるのかな。喫茶店と二足のわらじなのに。

「ええ、そうでしょうね」

 安室さんはまっすぐ前を向いたまま、滑るように車が走りだす。雲の多い星の見えない夜。雨が降りそうだ。
 ありふれた殺人事件だった。いや、ありふれているなんていうことを言うのはまったく不謹慎だけど。でも、安室さんも毛利探偵もいたのだから解決する以外の選択肢がない。私が犯人だったら毛利さんが居た時点で計画取りやめだけれど、世の中そうもいかないのだろう。人を殺したい衝動に駆られたことはないので、想像すらできないけど。
 犯人は25歳の男性。被害者は小規模な有限会社の社長。厳しいワンマン社長で、18歳の時に雇われてからずっと“こき使われてきた”らしい。その恨みで、後ろからハサミで一突き。平和な健康ランドは騒然。さっぱりしに行ったのにもやもやだけを抱えて帰ることになってしまった。安室さんに送ってもらえるのはいいことかもしれないけど。
 ……毛利一家は私と同じくボイラーが壊れたらしいからともかく、安室さんはなんであんなところに。大衆浴場が似合わないったら。事件でごたついたので、毛利一家男衆と裸の付き合いはしなかったみたいだけれど。私は蘭ちゃんとシャンプー貸し借りしたりしました。あの子すごいスタイルいい。運動部だから引き締まってて、それでも女の子らしく出る所は出ている。黒髪ロングだから裸になっても女子感あって可愛くて大変目の保養。閑話休題。

 加害者と被害者は、本当は親子だったのだ。被害者は小さい頃の加害者を内縁の妻とともに捨てた。それはひどい事だ。最低だ。たとえ償いとして自分の会社に加害者を雇ったとしても。将来継がせるために厳しく教え込んだとしても。許されないこと。
 でも、殺されるほどのことじゃない。
 息子を殺人犯にしてしまうほどの罪じゃない。

「本当に言わなくてよかったんですかね……」
「被害者は認知すらしていません。二人の間には雇用関係しかない。……今さら真実を伝えても、しょうがないことですよ」

 今さら。そう、死んでしまってから話しても意味が無いのだ。殺してしまってからじゃ、取り返しはつかない。
 なんで。

「なんでもっとはやく、教えてあげなかったんでしょう」
「捨てた息子に、父親だと名乗り出る?」
「そうすれば、こんなことにならなかったかもしれないのに……」
「父親を恨んでいるでしょうね、話したところで殺されるかも」
「でも、それでも……」

 はっと口を噤む。それでも、それでも? 私は何を言おうとしたんだろう。真実を告げて、それで殺された方がいいだなんて。そんなひどい暴論。

「……ごめんなさい」
「いえ、俺に謝るようなことではないですよ」

 全く気にしていないというふうに笑う。大人の男の人だなぁ。29歳だっけ。ウン年後こんなふうになれているビジョンが全く浮かばない。一応私だって20歳も過ぎたというのに、ちっともこの人みたいに大人にはなれない。人はいつ大人になるんだろう。甘やかされてぬくぬく育っている私には、一生かかっても無理かもしれない。
 ああ、ダメなやつだなぁ私って。

「安室さんは、すごいですね。いろんなことを知ってるし、視野が広いし……本当に頭がいい人って感じです」
「そんなことありませんよ。僕なんかより、毛利先生やほかの方の方がずっと立派です。それに、さんだって」

 ボンネットをぽつぽつと雨が叩き出す。これはひどく降りそうだ。すぐに勢いを増した雨脚に、安室さんは車のワイパーをつける。

「僕はさんが素敵な方だと思ってますよ」
「私なんかの、どこが…」
「そうですねえ、素敵なところは沢山ありますけど。……うん、優しくて正直なところかな」
「正直、ですか?」
「素直と言ってもいいです。僕には無い部分ですから、本当に尊敬しているんですよ」
「なんですかそれ、安室さんがまるで嘘つきでひねくれてるみたいな」

 ふふ、と吹き出してしまったけれど、安室さんは笑わなかった。いつもにこやかで愛想のいい安室さんが、ちっとも笑わなかった。その空気に、変にニヤついたままの口をどうにか歪めて閉じる。

「そうですよ。俺は捻くれ者の嘘つきだ」

 雨に歪む赤信号をまっすぐ見つめたまま、安室さんは静かにそう言った。