来ないで、帰らないで

(風邪っぴきの時に来ちゃう安室さん)
(転生トリップ新一双子妹で江古田生)



風邪を引いた。
“昔”はそんなことなかったが、転生して工藤家の一人娘となった今、私はどうやら身体があまり強くないらしい。
年に一度は必ず体調を崩すし、変化に弱く季節の変わり目は要注意。生理だって重めだし日頃から貧血になりがちだし、日常生活でもあまり無理がきかず、所謂最弱系というやつだ。
最近はなんだかんだといって双子の兄の幼児化やそれに伴う事件遭遇率の急上昇。沖矢昴さんと同居することになったり、そのせいかやたらと安室さんに絡まれたりする羽目になったことがじわじわとストレスとして溜まっていたのだろう。
ふらつく身体を引きずってリビングまでいけば、ご飯を作っていた沖矢さんにお粥と薬つきでベッドに押し戻された。

「一日安静にしていてください」
「…………」

喉がいたいから喋るのもしんどくて、こくこくと頷く。
それからお粥を食べて、薬が効くまでの間紅子ちゃんとついでにコナンくんに“風邪引いちゃったよ……”とメールをいれる。
紅子ちゃんからは“馬鹿は風邪引かないはずなのにね”という返信のあと、“あなたが来ないとランチタイムのお誘いを断る言い訳が無くなるからはやく治しなさいよ”というツンデレのデレパートのメールが時間差で届いた。
新一からはなにも届かなかった。

「…………」

こうしていると、我が家はとても静かだ。
両親が住んでいた頃はいつも明るい母の気配があったし、出勤のない父もなにかと気にかけてくれた。兄もこういうとき必ず私の部屋に顔を出してから登校していたから、物足りない気分だ。
沖矢さんが居るとはいえ彼は静かなタイプの人だから、なんだか一人ぼっちな気分になる。
蘭にも連絡しようかなと思ったが、それはあまりにかまってちゃん過ぎる気がしてやめた。面倒見のいい彼女に過剰に心配かけてしまうし、コナンくんに連絡したのだから経由してそのうち知るだろう。
そう考えているとぴったりのタイミングでコナンくんから電話が来た。この時間はまだ学校だろうが、休み時間かな。

「も、しもし」
『うわ、ひでぇ声だな!』
「う゛ん」

開口一番それか。

『なぁ、これからそっちに人が行くんだけど、お前以外居ないってことにして絶対に“追い返して”くれ!』
「へ?」
『頼むよ、お前も知ってるヤツなんだ。俺もできるだけはやくそっちに行くから』

言うに事欠いて風邪っぴきにそんな頼み事をするのか。
しかしたしかに、風邪でぐったりしてる女が出てくれば帰るしかないだろう。沖矢さんを隠したいのだとなんとなく察する。
でも沖矢さんがうちに住んでいるのは公然の事実だから、とりあえずの先伸ばしにしかならない気がするけどなぁ。

「えっと……おきやさん、系?」
『ああ。わりぃな、後でいくから』
「ん゛ー……」

プリンとかアイスとか買ってきてね。そう頼んで通話を切る。やっぱり、話すだけでしんどい。相手がすぐ帰ってくれたらいいけど。

二十分ほどで、ピンポーンと玄関のベルが鳴った。
私はのっそりと起き上がって、マスクをつけて玄関へ向かう。
沖矢さんは――赤井さんは、気配を消して部屋に潜んでいるようだ。大変だなぁ。

「はあーい……」
「あれ、さん?」

髪の毛を手櫛で整えながら重い玄関の扉を開けると、そこに居たのはきょとんとした顔の安室さんだった。コナンくんが言っていたのはこの人か。
ああ、そうだ、この人赤井さんと犬猿だっけ。なんかこの家に乗り込んできたのちに“なんか勘違いだったカモ!めんご!(笑”というなにも誤魔化せてない態度で敗走していく話があった気がする。しかしやばいな、熱に乗じていらない口が滑りそうだ。
今沖矢さんに会わせるわけにはいかない、でも居留守を使えば住居侵入して来そう。そんな消去法から私が矢面に立つことになったんだろう。

「あ、むろさん」
さん、どうしたんですかっ?」

きれいな眉毛がぴんと跳ねて、目を見開いた安室さんが詰め寄る。近い。

「かぜ、で……げほっ」

けほけほと咳をするたびに喉がいたい。こんな状態のときに新一のごたごたに巻き込むのは勘弁してほしい。なんて迷惑なシルバーブレットコンビめ。

「ぁ……」

やばい。
ふとした瞬間にかくんと身体の力が抜ける。遠退いた意識のどこかで安室さんがで“!”と呼び捨てに名前を呼んだ。

気付いたら私は安室さんに抱き止められていた。ほんの一瞬だけ気絶したらしい。安室さんが焦った顔でこちらを覗き込んでいる。ちかい。かおがちかい。

「……はれ」
「へろへろじゃないですか!誰もいないんですか?」

安室さんの体臭が嗅げる距離だ。ということは、汗ばんだ私のもろもろも安室さんにはわかるわけで、慌てて離れようと思ったけれど力がうまく入らない。思ったよりもずっと体調が悪かったようだ。
それでもどうにか沖矢さんの居留守を助けるべく、こくりこくりと頷く。勢いでまためまいがした。

「……お部屋はどこです?」

くんにゃりと重力に負けそうな私の身体を、安室さんがひょいと抱えた。高低差でまためまいがして反応が遅れる。待って、このひとなにがしたいの?

「ま、だめ、です」
「そんな身体じゃあ、ベッドまでたどり着けないでしょう」
「んん、やぁ……」

安室さんを家にいれるわけにはいかない。この人潜入とかぐいぐいしちゃうから、私が朦朧としているのをいいことに家のなかを漁られたら困る。
むずがる子供みたいに言葉をつむいで、どうにか安室さんを引き留めようと無い頭を搾る。

「おへや、きたないからあ」
「大丈夫ですよ、気にしませんから」

私が気にするんだよ!
安室さんは全然引き下がる気がないようで私をあやすように背中を撫でた。

「誓って、あなたをベッドにお送りするだけです。それ以上あなたにも、あなたの部屋にも指一本触れませんから」
「……ほんろ」
「本当です」

そういう間にも安室さんは足を器用に使って靴を脱いで、ずかずかと上がり込んでしまう。こうなるともうダメだ。組織で幹部にも食い込めてしまうほど有能な公安警察と熱でヘロヘロの駄目工藤家の私では勝てる見込みなんて最初からなかった。

こうなればもう、それを見越しているであろう……あるいは、作戦失敗に気づいた沖矢さんが助け船を出すまで、私の部屋に居てもらうしかない。

「階段を上って、ひだりのほうです」


工藤家の玄関で、野垂れ死にそうな工藤を拾った。
というより、自分の押したインターフォンのためにわざわざ冷たい玄関先までやってきたのがトドメなんだろう。若干の罪悪感を覚える。
ふらついた彼女を抱き止めると、彼女は自分が今倒れそうになったことにも気づいてない様子だった。小さな体は熱い。パジャマの胸ぐらから覗く肌はじっとりと汗ばんでいる。黒い髪も首筋に張り付いて気持ち悪そうだ。
青紫の瞳は潤んで虚ろにこちらを見上げる。
もしも自分の読み通り沖矢昴が赤井ならば、こんな状態の彼女を置いてどこかへ行っていることに腹が立つ。
不在ならば家に侵入しようと思っていた自分が言うのもアレだが、彼女も彼女で不用心すぎる。もしインターフォンを押したのが自分ではなくよからぬ男であれば、簡単にどうにかされていただろう。それくらい今の彼女は無力で無防備だ。

呂律のまわらない様子で、それでも俺を家にいれたがらない彼女をなんとか説き伏せて部屋の場所を聞き出す。
本当は彼女の部屋なんて外観から推測できていたのだが。そういうところだって危険だ、あんないかにも女の子の部屋ですなんていうふうな可愛らしい柄のカーテン、変えてしまった方がいい。

予想通りの場所に到着して扉を開けると、そこはやはり星柄のカーテンに合わせて広くて女の子らしいインテリアで飾られていた。
確かに、雑誌やプリントなどの紙束類で雑然としてはいるが。
サイドテーブルに食事をしたあとと薬の空き袋が置かれたままのベッドに彼女を横たえる。
布団をかけてやると、んん、と身じろぎしてうっすらと目を開いた。

「あむ……」
「さぁ、もう休んでください。悪化しますよ」
「んや……」

ふるふると首を横に振る。いつもの印象とはずいぶん違う、有り体に言えばだだっ子だ。
彼女は元々甘えたなところはあるが、それを俺に対して発揮することはあまりない。蘭さんや園子さんといった友人や、なぜかコナンくんにはやたらと頼るのだが。

「あ、そうださん。おうちの鍵を貸してください。出るときに鍵をかけてポストにいれておきますから」

出る前に軽く家捜しをさせてもらうが。そんな本心はおくびもださずに人好きのする笑みで言うが、は一層顔色を悪くして首を横に振る。

「ですが……それしか……」
「ゃ……」

小さな手がベッドに置いていた俺の手に重なる。熱く、汗ばんでいる。
洗い呼吸と共に、か細い声が楔を打つ。

「行っちゃ、やだ……」

なんの力も入れられていないのに、俺はそれきり動けなくなった。熱で浮かされて潤んだ瞳がまっすぐとこちらを見つめる。

「あむろさん、いかないで……」
さん……」

ぎゅうと目が閉じられた拍子にぽろりと涙が頬をつたう。
もう一度の手を見る。かよわいだけが取り柄の、無力な手だ。

だけど、この場においてはなによりも強い拘束具だった。

「……わかりました、さん。そばにいます」
「ほんと……?目が覚めても、いてくれる?」
「もちろん」

ぎゅうと手を繋ぎ直すと、はほっとしたように表情を緩めた。応えるようにゆるゆると俺の手を握り返す。小さくて白い手だ。黒くて大きな俺の手と正反対の。

「おやすみ、……」
「おやすみなさい……」

まるで家族や、恋人のようだ。とろんと下りてきたまぶたが綺麗な瞳を隠してしまう。
繋いでいない方の手で額に触れる。やはり熱い、かなりの熱だ。そのまますべすべして丸い頬に手を滑らせ、指で形を確かめるように顎までなぞる。なんて小さい顔だろうか。

その時、ガチャリと玄関が開く音がした。手は繋いだまま警戒する姿勢をとる。しかし、軽いぱたぱたとした足音が聞こえた瞬間警戒を解いた。この足音はコナンくんだ。

ねーちゃん!!」

焦った顔のコナンくんが部屋に飛び込んでくる。
の顔を見て、それから俺を見て、繋がれている手を発見した。

「あー!!安室のにーちゃん、ねーちゃんになにしてるの!?」
「こんにちはコナンくん。人の部屋に入るときにはノックをしなきゃダメじゃないか」
「安室の兄ちゃんこそ、どうして寝てる姉ちゃんの傍にいるの?」

コナンくんは警戒したように俺ととの間に割り込んで繋いだ手を離してしまう。大好きなお姉ちゃんをとられるような気がするのかもしれない。
手が離れた反動で、は小さく唸って寝返りを打つ。

「ほら、さんが起きてしまうよ」
「ぼ、僕新一兄ちゃんに頼まれて姉ちゃんの様子を見るように言われたんだ、だから安室の兄ちゃんはもう大丈夫だよ!」
「ええ、しまったなぁ。僕、さんに起きるまで傍にいると約束したんだけど」
「それも大丈夫だから!ほら、安室の兄ちゃんも忙しいでしょ?僕がいるから大丈夫!」

コナンくんはぐいぐいと玄関の方に俺の腕をひっぱる。随分と傍にいられるのが気に入らないみたいだ。

「はいはい。では、さんが元気になったらポアロに来るよう言ってください。栄養のある美味しいものをごちそうしますから」
「はーい!ばいばい!安室の兄ちゃん!!」

ばたんと鼻先で玄関の扉がしまる。そのままガチャリガチャリと鍵がかかり、チェーンロックまでしてしまう音がする。
男の子とは小さくても男だ。俺だって、近くにあんな可愛いお姉さんが住んでいたら入り浸っていただろう。
否、事実そうしていた。脳裏に懐かしい女性の姿がちらついたが、すぐに掻き消した。
貴女のことを悼む暇は、まだない。


「……ふぅー」

玄関からの部屋までを一通り調べ終わり、盗聴器類が無いかを確認して一息つく。には玄関先で追い払ってもらいたかったが、そうもいかなかったらしい。
隠れて様子をうかがっていた沖矢さんから、が倒れて安室さんが部屋まで運び、そのまま二人が部屋から出てこないと連絡があったのだ。
は安室さんを憎からず思っている――少なくとも沖矢さんよりは男として意識している――し、安室さんがはまだ謎が多い。なにかあったらと慌てて学校を早退したのだ。

すやすやと呑気に眠りにつく妹を見る。倒れるなんて、やはり無理させたようだ。
“起きるまで傍にいて”なんて約束、部屋まで入れてしまった安室さんに対する苦肉の策だろう。どうにか、なにか行動を起こされる前に帰ってこれてよかった。

「……悪いな、

代わりのように、今の俺より大きくなってしまった妹の手を握る。
目が覚めたら謝ろう。無理をさせたことと、プリンもアイスも買ってこなかったことを。