人魚は歩けない

(※下ネタ注意)

「ぁっ」

靴下が破れた。足の指の爪を切るのをサボっていたからだ。
親指の爪は堅くて鋭いからタイツだとかパンプスインをすぐに突き破って困る。
耳敏く聞き付けたるくくんが「どうしました」とキッチンから顔を出した。手には私がお願いしたアイスティーがある。
グラスを置きながら覗き込む彼に靴下をみせると、彼はぴこぴこと揺れる親指をみて苦笑した。

「爪を切らないからですよ」
「うーん、爪切り貸して」
「はい、待っていて」

るくくんは大きな銀色の爪切りが入ったプラスチックケースと古新聞を持ってきてくれる。
そうしてなぜか洗面器にお湯を張り、私の靴下を白魚の指先でするりと脱がせた。

「ん?」

あれよあれよという間に、私は足湯の人となった。ソファの前に跪いた王子さまはにっこりと笑う。

「るくくん?」
「足の爪は硬いし不衛生になりがちなので、お湯につけてから切った方がいいんですよ」

そうですか。ちゃぷちゃぷ水面で指を動かす。ちょっとしたネイルサロン気分だ。名前を知らない材質の床に飛沫が跳ねた。

「足の親指の爪ってかたいよねー」
「そうですね」
「足って雑菌繁殖しやすいし、やだなー、水虫とかなったら」
「あなたの生活だとうつる要素ないですけどね」

そりゃそうだ。うつるとしたらるくくん経由だ。

ふやけてきた指をお湯から出すと、るくくんはすかさずそれをふかふかのタオルでつつんだ。水気を綺麗に拭くと、ひざまずいた膝の上にかかとを乗せてくれる。かかと、ガサガサしてないかな。

「足きれいですね」
「そうかな、虫刺され痕が消えないんだけどね」
「ええ、指がまっすぐで」

そうは言ってもわたしの足は靴の形に最適化されてすこし曲がっている。きっと土足文化圏の人間はみんなそうだ。革靴もハイヒールも滅多に履かないのでるくくんよりはまっすぐだけと。
シルバーの大きな爪切りを取り出して、当然のように彼はぱちんと爪を切り出した。私の体でもトップレベルに硬い部分も、ゾーリンゲンの刃には敵わずにその形を変える。
ほどよい長さになった爪を今度はガラスのやすりで整える。ケラチン質が擦れて独特の臭いが鼻に触れた。

「猫のペニスってさ」
「はい?」
「いや、猫のおちんちんって、トゲトゲしてるじゃん?」
「あー、そうですね。陰茎棘ですっけ」
「あれって太古の昔には人間にもあったらしいよ。それがケラチン質で」
「髪とか爪と一緒ですね」
「ってことは結構痛いのかなぁ。よかった、進化後の人間でっ、いでで……!」
「あ、すみません」

ごり、とるくくんの指がわたしの足の裏を指圧した。マッサージをしてくれているようだ。予想外に痛い。そうやってひとしきり私を痛め付けたら、今度は指を動かして指の間を開かせたり、足首を擦ったりしている。

「うう……痛い」
「内臓が悪いのでは?病院いきます?」
「いかないよぉ……」

薔薇の香りがする保湿クリームを爪先からかかとまで丹念に塗られてようやく解放された。べたつくクリームではないけど、それでも摩擦を軽減されて指の股がするする滑る。

「すごい、いいにおい」
「気に入ったのなら、また塗ってあげますよ」

それは私が自分で塗る選択肢はないのだろうか。微笑むるくくんに曖昧に笑ってかえす。この王子さまと来たらとことん尽くしたいタイプらしい。
まだクリームの残る彼の手がついとふくらはぎに触れて、するすると滑ってかかとに辿り着く。止める間もなく足の甲に口づけが落とされた。固いそこにやわらかな唇がくすぐったい。

「る、るくくん……?」
「ほんとうに、いいかおりですね」

いい香りって、あんたね。