やさしいおおかみ

(連載設定/付き合ってない/狼男)




「ハロウィン、ですか?」
「ああ、このあたりの子供たちが仮装して来るんだ」

マスターは少しめんどくさそうに、商店街振興会が配布したチラシを掲げた。B5の紙にはオレンジと黒と白の3色で彩られたデザインが載っている。“商店街ハロウィンカーニバル”。薄々気づいていたが、この小さな商店街はイベントが好きだ。

「オレは子供には怯えられるからよ、ルクさん代わりに対応してくんねえ?」
「ええ、構いませんよ」
「……そういえば、ハロウィンってルクさんとこのほうが本場だよな」
「ああ、そうかもしれませんね」
とは言ってもハロウィンはケルト系のお祭りなので、当然ルクセンブルクは本家本元というわけではない。大きなパレードなどは催さず、日本のように市民が仮装して飲食店が夜ちょっとしたイベントをする、その程度だ。しかし同業の間で──具体的にはアメリカさんの主催で──大きなパーティを開くことはここ最近の恒例だった。仕事で行けないこともあるけれど、そういう意味では馴染みのあるイベントだ。
「そんじゃあ、仮装もよろしくな」
「えっ?」
ふいにオレンジの紙袋を渡されて、思わず首をかしげた。


「あっはっはっはっ!!似合う似合う、めーっちゃ似合う!」
「笑いすぎですよ…」
着替えて出てきたルクセンを、マスターは爆笑して迎えた。本人としてはとてもいたたまれない、みんながお祭り騒ぎしているさなかであればよいが、まだ昼下がりである。白昼堂々仮装をする趣味はない。
マスターに渡された衣装は人狼のものだった。人工の安価な耳と尾、手足も毛むくじゃらで肉球が着いた手袋とブーツだ。汚し加工されたシャツとベストにスラックス。いつか兄がしていた仮装を思い出した。それと、自分が金にものを言わせて作った衣装のことも。あれを子供に見せれば確実に泣かせてしまうので、この衣装の方がTPOにあっているのは確かだった。
ピロリ、と軽快な電子音に顔をあげると、マスターが笑いをこらえてスマホで写真を撮っているところだ。
「あ、ちょっと、やめてくださいよ」
に送るだけだって」
「ほんとにやめてくださいっ!」
「ごめん、もう送った」
肖像権を気にせぬマスターの言葉に狼男は項垂れた。恥ずかしい。は自分に火の粉がかからないタイプの面白いことが好きなので、確実にからかわれる…。
「いいじゃねーか。紳士なルクさんが狼のコスプレとか、ギャップでウケるって」
「まあ、ウケるでしょうけど…」
「ほら、そろそろ近くの幼稚園児が来るから優しく対応してやれよ」
「はあ…」


子供たちには大ウケだった。男児は蹴ったり尻尾を触ったり、女児は可愛らしく毛だらけの手を握ったり足にしがみついたりした。母親の腕に抱かれた赤ちゃんには驚いて泣かれ、おばあ様に連れられた未就学児の女の子は信じられないものを見るように遠巻きに眺めてフリーズしていた。小学生男子のキックはわりと容赦なかった。女子中学生とは記念撮影をして、部活帰りの男子高校生に絡まれた。
「ほら、たっくんあーちゃん、お兄さんを困らせちゃダメよ」
「いえ、大丈夫ですよ」
「狼のおにーちゃんこれあげる!」
「ありがとうございます」
たっくんと呼ばれる男の子がチョコレート菓子を差し出すので、母親に目配せで伺いを立てて受け取る。
たっくんとあーちゃんとその母親を見送ると、ちょうどイベントの終了予定時刻であった。ルクセンの今日の退勤時間でもある。
「ルクさん、そろそろいいよ」
「はい」


は慌ただしく帰ってきた。息を切らせ大きくドアを開き、片手にスマホすら持っている。
「ねえ!なにこれルクさんただいま!!」
「落ち着いてください、おかえりなさい」
夕食の支度をしていたルクセンは呆れながらも出迎えた。当然退勤する時に私服に着替えているから、今の彼は平素の姿である。オプションがあるとすれば料理用につけているエプロンだけだ。はあからさまに落胆し、高揚していた表情を沈めた。
「なんで着替えてるの…」
「イベントが終わったからですよ」
「……残念」
「ほら、夕食はかぼちゃのシチューですよ」
があまりにもすごすごと洗面台へと向かうので、少し不憫にすら思えた。今日はいつもより帰りが遅いし、疲れているのかもしれない。もう少し労ってあげてもよかったのだろう。
ラフな格好に着替えて出てきた彼女の顔には明らかに疲労が滲んでいた。
さん」
「んー?」
「ハロウィンですし、例のアレ言ってくださいよ、ほら」
「例の…?」
しばらく考え込んでいたが、ルクセンの顔をじっと眺めていたら急に思い出したようだ。とたんにぱぁと顔が明るくなり、瞳が耀いた。
「“Trick or Treat!”」
「はい、どうぞ」
「チョコパイ!」
「昼間に子供がくれたんです」
「すごい……子供にとって最高価値のチョコパイを貰えるなんて……ルクさんよっぽどだね」
「それ、褒めてます?」
「褒めてます褒めてます!」
があまりにも嬉しそうなので、貰い物のお菓子だけでは申し訳ないほどだ。本来ならいくらでも美味しいものや楽しいことをさせてあげられるのに、今のルクセンにはその力はない。その少しの申し訳なさは、が知るのよしのないことだが。
「来年は絶対仮装見せてね!」
「…来年はあなたがしてくださいよ」
「無理だよ恥ずかしいし」
「自分もですよ」
来年の自分たちはどうなっているんだろうか。いつまでも、彼女が笑顔でいられたらいいのに。