僕の妹と再会します
(家族夢/勇利と5年ぶりに会う16歳の妹)
僕の家はまぁ平凡な家庭。家業は温泉宿で両親健在、三人兄弟がいて、愛犬が1匹……居た。まぁ、この話は別の機会に。
ちょっと人に驚かれることがあるとすれば僕自身の職業と、兄弟の年齢差だ。姉の真利姉さんは30歳、僕は7歳差の23歳、それから末っ子のも7歳差の16歳。僕まではともかくとして、に至っては本当によく驚かれる。所謂恥掻きっ子と言われるやつで、家族はもちろんお客さんや近所の人に可愛がられ今年で高校1年生。五年前は11歳だったことを思うとそりゃあ僕も歳をとるわけだ。
日本にいない間も、もちろん手紙やメールやビデオ通話で家族とは連絡を取っていた。けれどは僕に負けず劣らず大人しくて内気で、その姿を見るのは年賀状の家族写真くらいだった。ごくまれに──年に一度くらい──は、通話する機会もあったけれど、その会話はどこかぎこちなかった。それもそのはず、僕と彼女が最後に対面したのは彼女が11歳の頃だ。小学生の時に会ったきりの兄のことなんて、中学高校と成長して思春期を迎えた女の子にはほとんど他人としか思えないだろう。
「は?」
「まだ学校」
「……遅くない?」
「部活でしょ」
アイスキャッスルから帰ってきてお風呂に入り、もう外は日が落ちているのに妹はまだ帰ってこない。真利姉さん的にはいつも通りのことらしい。何部なんだろう、文化部?運動部?それも知らないな。女子高生にもなると、彼氏とか居たりするのかな、身長はどれくらい伸びた?お土産にとあっちで買ってきたSサイズのTシャツも、それでよかったのか心配になってくる。
16歳って、めちゃくちゃ思春期の女の子だぞ、Tシャツなんか喜ぶのか…?
「勇利、あんた暇ならちょっと前掃いといて」
「うん…」
落ち込む僕に真利姉さんは容赦ない。久しぶりの感覚だけど、家族ってそういうものか。僕が色んなことで──スケートのことでも、家族のことでも──煮詰まっていることに気付いて、頭を冷やせと言ってくれているのかもしれない。頭どころか湯冷めしそうだけれど、そうなればまたお湯に入ればいいか。この時期は桜が舞散って掃いても掃いても限りがない。
納屋から竹箒を引っ張り出して土間から外にかけてゴミを掃いていく。丸い体に背中を丸めて、もしかしたらかなり滑稽な姿だったかもしれない。賑やかな座敷と一枚隔たれたフロントは遠い喧騒の下、どこか寂しかった。
ようやく一段落してふぅと息をつき、顔をあげる。
「ぁっ……」
気の抜けたような高い声が響く。
そこには、女の子がいた。
薄闇を背に今まさに扉を潜ろうとしていたところで立ち止まっている。いつから居たのかはわからないが、冷えた春の夜風に吹かれて凍えた頬は赤い。僕の母校の県立高校の制服を着ていて、校則に準じたスカート丈を女子高生らしく着こなしていた。あのスカーフの結び方は女子の間で必ず流行るやつで、在学時には真ん中の結び目が小さくて綺麗であればあるほど良いという風潮があった気がする。
髪はつやつやとした癖っ毛で、少し丸っこい顔に同じく丸っこい瞳で、とびきり可愛い訳では無いけれど愛嬌のある顔立ちだった。人に紹介されたら「あっ、いい子だな」と感じるタイプだ。
そのいい子な顔立ちの女の子は、なんだかゆるゆるとした締りのない口元をふいに緊張したようにきゅっと引き結ぶ。それからこわばった口を開いた。
「え、えっと、こんばんは?」
「あっ…こんばんは」
ぺこりと頭をさげて、僕がいるから入ってこれないのかと少し身体を避ける。しかし女の子は入って来ずに、寒空の下にじっと立ったままだ。困惑したような表情で、きゅうと眉毛を潜めている。なにか言いたげに二三度唇が開いて、閉じた。
「……あの、どうしました?」
「………」
僕の問いかけに少し首を傾げて意を決したように唇が開き──僕を、呼んだ。
「お、お兄ちゃん、だよね…?」
「…おにい……………えええ!?っ…!?」
5年ぶりに会った妹は16歳。僕の知らない間に、随分大人びて女の子らしくなったものだった。
「えっと、久しぶり…」
「う、うん…これ、お土産…」
気まずい…。私の気まずさにお兄ちゃんの気まずさが更にまして気まずさの累乗が起こっている。
お兄ちゃんに最後にあったのは5年前、わたしが11歳の時。当時小学生。わたしの頭の出来があんまり良くないのもあるし、間には中学から高校と濃密な時間が挟まれている。お兄ちゃんに対する記憶が薄れても仕方ないと言い訳させてほしい。女の子として二次性徴を迎え反抗期を迎え思春期に突入し、というイベントを丸々お兄ちゃん無しで生きてきたのだ。体感としてもうほとんど“昔あったきりの年上の親戚(しかも男)”なんだから、人見知りの私からしたらそれはぎこちなくもなる。
それに再会の時すぐに兄だと気づけなかったのも不覚だ。だって、駅前とかにベタベタ貼ってるお兄ちゃんの写真と違うじゃん。お兄ちゃん、なんか丸くなってるじゃん。うち太りやすいもんね、わかるわかる。
「わあ、ありがとう!」
「ごめん…そんなので」
「ううん、好きだよTシャツ」
無理にテンション上げたせいで食い気味にTシャツが好きだと言ってしまった…。Tシャツが好きってなんだろう、そこまでTシャツに特別思い入れがあるわけでもないし。ていうかなんでTシャツ?そこは食べ物とかでよかったよ。
お兄ちゃんはそれきり困ったように手持ち無沙汰そうにして、座敷のテレビを観る。誰かお客さんがつけた夜のニュースだ。
野球の報道の後にフィギュアスケートについての報道がはじまり、私はにわかに背筋を正す。お兄ちゃん、フィギュアでぼろ負けしたんじゃなかったっけ?ちらりと兄を見やるが。
「なに!?今のジャンプ…っえ、もう1回!」
……平気そう。
と、思ったら次の瞬間にはなんだかショックを受けたみたいな顔してるし。画面には有名な(なんてったってお兄ちゃんが大ファンだしね!)ヴィクトル選手と金髪の男の子。兄は食い入るように見つめたあと、瞳を伏せた。
「……かっこよか選手やね」
「え?ああ、ヴィクトル…?」
「うん、金髪の方も、素敵だよね。王子様みたいで」
「………」
お兄ちゃんはとても生暖かい目で私を見ていた。お兄ちゃんが、王子様みたいな金髪美少年ユーリ・プリセツキーくんにトイレで超脅されたというエピソードは今のわたしには知る由もない。
妹にとても気を使われている。
「お兄ちゃん、夕ご飯カツ丼にする?しちゃう?私作れるようになったんだよ」
遠い昔の高校の校外実習で、班の輪から外れ気味の僕を必死で混ぜようとしてくれた女子班長を思い出して胸が痛い。どこか空回りしたように感じる明るいテンションとかが特に胸に来る。僕のテンションの低さがより僕自身と彼女をも孤独にしてしまう、この感覚。
「えっと…じゃあ、うん、お願い」
「まかせて」
気合を入れる妹に、座敷の常連さんからの愛ある野次が飛ぶ。
「がんばれー、ちゃん!」
「おじさん達にも頼むよー」
「お客様にはまだお出しできませんー!また今度ね!」
記憶の奥底にある11歳の妹らしくない、すっかり板に付いた16歳の愛想笑いとリップサービス。
当たり前だけど、僕がいなくてもあのちっさかった妹はこんなに大きく成長するし、お客さんに愛されて家業の一端を回していくんだな。なんか落ち込む。
「はい、お待ちどうさま!」
「…いただきます」
妹の作ったカツ丼は普通に美味しかった。お母さんのほどではないけど、よく似ている実家の味。僕の向かいに腰を下ろした妹は、しばらくじっと僕の顔を見ていたが、そのうち飽きたようにスマホをいじり出した。
「…えっと、美味しい、デス」
「なんで敬語?」
変なお兄ちゃん。そう言って照れたようにはにかまれるとなんだかくすぐったい。その顔を見ていると笑う時に下がった眉尻が僕や姉にソックリで、なんとなく「妹だな」と気づいた。当然のことだけれど、5年間では変わらないことだってある。
「……いや、久しぶりだからさ。なんか緊張しちゃって…」
「うん、わたしも。久しぶり、おにーちゃん」
机に向かって課題をやっていると、充電中のスマホがぶるぶると震えた。見れば“ねえ、これあんたの兄貴でしょ!?”なんてメッセージが友達から届いていた。URLを開いて動画サイトに飛ぶと、サムネイルにはそのものずばり、さっき見たばかりの私のお兄ちゃんが表示されている。
「……勝生勇利…滑ってみた……?」
タイトルにヴィクトル選手の名前が入ってるし、どうやらヴィクトル選手のコピーの演技らしい。再生すると音楽に合わせ、小さな画面のなかでお兄ちゃんが滑り出す。大人っぽい表情で滑るお兄ちゃん。この間ライブビューイングで観た時とは雰囲気が違った。この背景はアイスキャッスルだ、とすると撮っているのは優子さんかスケオタ三姉妹かな?随分とリラックスした表情だ。
動画を見ていると、砂壁越しにお兄ちゃんの部屋から「ひええ!?」と断末魔みたいな叫び声が聞こえて心臓が跳ねる。それからドタドタとした足音がして、ミナコ先生の大声が聞こえた。
「なにあの動画!?めっちゃRTされまくってんだけど!!」
再生回数を見れば、とんでもない数字が記録されている。なんかよくわからないけど、とりあえずお兄ちゃんすごい!…ってことで、いいのかな?
この動画がお兄ちゃんの豆腐メンタルをタコ殴りにしていることも、時差を超えた遠い国で金髪の王子様やお兄ちゃんの憧れの人が見ていることも、私は何も知らなかった。
知らなくってもしょうがないよね。私の想像の範疇を軽く飛び越えて、いつだってお兄ちゃんはすごいんだから。