食べちゃいたいくらいカワイイきみ

(連載設定/付き合ってない/吸血鬼)
(スマートじゃないヴィクトル)




── ロシアのハロウィン?ああ、あんまりやらないかな。日本ではどうなの?へえ、最近台頭してきたのか。
なんて彼は言っていたから、そうかそうかつまりあんまり関係ない、彼にとってはただの秋の1日なんだな。と思ったものだ。だから今日もいつも通り、早番上がりのまだ明るい時間に一風呂浴びて、ご飯を食べて軽く挨拶して帰ろうと思っていた。
「Trick or Treat~!」
「やらないって話なんだったの!?」
私服に着替えて座敷へと顔を出すと、彼はお風呂に入る前に見かけた姿から一変していた。数十分前までは普段通り、さらりと下ろした髪に黒いカットソーでシンプルだけれどスマートな姿だった。それが今は、白いフリルブラウスに黒いスラックス、同色のベストに上から黒いコートを羽織っていた。前髪は少し撫でつけて、いつもは銀の隙間から覗く瞳がとてもよく見える。
それだけならただのクラシカルな装いだけれど、極めつけみたいに、よく動く唇の奥には牙があった。
──なんかもう、似合いすぎるっていうほどに似合った吸血鬼コスプレだった。
「ローマではローマ風に過ごせっていうね。オレ結構似合うだろ?」
「似合いますけどっ!」
「かっこいい?」
「ええ、まあ…すごく。…それ、どうしたんですか?」
「……えっと、スケオタちゃんたちと優子が来るっていうから、真利が…」
「あー…」
ヴィクトルの何故か歯切れの悪い言葉に納得する。ここ長谷津は田舎だけれど、それでも小さな子を持つ若いママさんたちにはハロウィンが浸透来てきている。町内の子供会が所定のお家やお店に練り歩く催しがあって、たしかゆ〜とぴあもそこに名を連ねていたはずだ。時間帯的に関係ないからあんまり意識してなかったけど、せっかく勤務時間外なんだし。子供たちの相手をするのも悪くないだろう。
「どうせだから私もコンビニでなんか買ってきとこうかなな?」
「……えーっと、オレも行こうか?」
「騒ぎになるから来ないでください、絶対」
いやほんとに。ヴィクトル・ニキフォロフの吸血鬼コスとか絶対Twitterとかに上げられてバズるから。これ以上長谷津を混乱させないで。さっきから微妙に挙動不審というか、目が泳いでるし。


コンビニから帰ると座敷に吸血鬼はいなかった。
あれは夢だったのかな?なんてことは流石に無く、お菓子を袋から出している私に真利さんが声をかける。
「ヴィクトル部屋で待ってるって」
「え?なんでですか?」
「さあ?行ったげたら?」
真利さんって私とヴィクトルをどうしたいんだろうな。
ともかくヴィクトルが泊まっている部屋へと向かい、障子の木枠を形式的に軽くノックする。
「ヴィクトルさーん、戻りましたよ?」
スパン、と子気味良い音をさせながら、半ば来訪者を驚かせるように障子は勢いよく開いた。
「Trick or Treat!!」
「はい、Treat」
「NOOOOO!!!」
予想通りの言葉を叫んだ吸血鬼にお化けをかたどったチョコレートを渡すと、彼は頭を抱えた。
「なんでー、なんで持ってる?仕事終わりなら持ってないと思ってたのに…にイタズラできると思ってたのにぃ…」
「いや、普通にお菓子買いに行く私止めませんでしたよね?」
お菓子を渡せなかったらいったい何をされてたんだろうな、わたし。1度目のTrick or Treatを軽く流して置いてよかった。
しかしヴィクトルさんらしからぬ爪の甘さには疑問がある。普段はもっとぐいぐいくるし、最初のTrick or Treatを会話の流れでそのままスルー出来たのはありえない事だ。コスプレに驚いた私にTrick or Treatをしかけてからかう口実を作る、それが普段のヴィクトルさんらしいやり口。
「だって、オレの事かっこいいって言った」
「え?言ったっけ」
「言ったよ!かっこいい?って聞いたらうんって!」
「あー、言った、かも?」
「普段は言ってくれないから……びっくりした。頭が真っ白になっちゃって」
「そ、そうでしたか」
そうは見えなかったですけれど。つまりあのとても普通、むしろ普段より淡白な対応は動揺を隠していたのか。あの時妙に返事が遅れがちというか、言葉のキレが普段より随分悪いと思ったけど、まさかそんなことだったとは。
「せっかくと色々出来ると思ったのに…」
「ご、ごめんなさい。色々はしないで下さい…」
拗ねたみたいにベッドに寝転ぶ彼はシーツが絡まって、もはや吸血鬼というよりは白いおばけである。
彼の思い通りに物事が進むとちょっとむかつくけど、彼の思惑から外れてしまうとそれはそれで申し訳ない気持ちになる。きっといつも通り私をからかって遊ぶつもりだったろうに。一矢報いろうとしてやったことではないので、私としてもそんなにすっきりはしない。だってまさかヴィクトル・ニキフォロフが私にカッコイイと言われただけで動揺してしまうとは思わないのだ。あなた世界中の女の子に(そして男の子にも)きゃあきゃあ言われてるでしょ。知ってるんだから、ファンサで美しいウィンクとか決めちゃうこと。
「ごめんごめん、起きてよ。西郡ファミリーが来ちゃうよ」
せっかくの衣装もシワになっちゃうよ。
ベッドに腰掛けてシーツお化けをぽんぽんと軽く叩くけれど、白いイモムシは無言だ。マッカチンが飼い主の変わり果てた姿にぴすぴすと鼻を鳴らして心配そう。シーツから手を離して、飼い主思いのカフェモカちゃんのもふもふの毛皮をなでる。
「ご主人様だめになっちゃったねー、マッカチン」
「ワオン」
「……ダメじゃない…オレも撫でて…」
青い目のお化けは拗ねた顔でこちらを見上げる。シーツからはみ出た銀髪はさらさらしていて柔らかかった。
「………ていうか、そこまで落ち込むことですか?」
「オレとしても不覚なんだよ…」
「きゃっ」
白い塊から腕が生えて私の腰に巻き付く。身体を起こすのは面倒なのか、低い位置にある頭は私の膝の上に乗っかった。シルバーブロンドが私のお腹に顔を埋める。さすがにスキンシップが一線を越えてる気がして私は慌てた。
「ちょ、ちょっとっ」
「あーあー、もう立ち直れないなー」
「立ち直って、ていうか起きてーっ」
一時期の勇利ほどではないけれど、わたしもこの天高く馬肥ゆる食欲の秋でちょっと質量が増えたのだ。お腹や太ももを触られるのはいやだ。
「Why?柔らかくてキモチー…」
「柔らかいから嫌なんです!」
「これくらいの方が抱き心地が好みだよ。もっと太ってもいいよ~」
「やめてっ、すりすりしないで!」
彼は逃がさぬよう強く腕を固めて頬で擦る。さすがにセクハラの度が過ぎてて腰を引くが、当然アスリートの筋力からは逃げられない。バランスを崩して背中からぽすんとベッドに倒れ込んだ。「それに」と彼が言ったが、続く言葉は私にはわからなかった。布に紛れて声がくぐもっていたし、お腹で喋られて私は恥ずかしくてしょうがなかったし、なにより早口のロシア語だったから。
「──オレとの赤ちゃんが居るみたいだし」
「え?ごめんわかんな…」
「なーんでもないよっ♡」
「わっ」
一瞬身体が解放されて、またすぐに身動きが取れなくなる。彼はベッドに仰向けに倒れ込んだ私に覆い被さり、牙の生えた口内をちらつかせながら舌舐めずりをした。
「柔らかくて美味しそうだね、
がぶりと肩に噛みつかれて、獲物は悲鳴をあげた。