気持ちになんと名付けよう

(ヴィクトル)




人と人との関係には色んな名前がつく。
肉親は家族だし、ミナコ先生は先生。西郡は幼馴染みで、ゆうちゃんは───憧れの人。
じゃあにはどんな名前がふさわしいかと言うと、友達というには近すぎて幼馴染みと呼ぶには少し遠くて、まるで家族みたいだけれど疎遠な時期もあって。でも今更女の子として意識できるほど他人でもなくて……僕には丁度いい名前が見つけられなかった。便宜上幼馴染みではあるけれど、どうもしっくりきていない。
そんな幼馴染みがアルバイトからそのままうちに居着いたことは知っていたけれど、五年ぶりに会う彼女は昔よりずっと大人っぽくなっていて、それでもすっぴんは昔のままだったから、僕は酷く安心したのだ。
よかった、変わってないのは僕だけじゃないんだ。


「でも、勇利はちょっと変わったね」
そう言って彼女は缶チューハイを1口含んだ。ちなみに、自分は減量中なので麦茶である。彼女が持ち込んだチータラも、浮腫むからとお預けだった。
「そうかな」
「そうだよ」
と呼び出したのは、たしか中学からだ。それまではずっとちゃんと呼んでいたけれど、西郡にからかわれるから止めたのだ。はそれでもずっと、僕を勇利と呼び続けている。こうして部屋に泊まろうとするのだって、中学ぶりだ。最後はいつだったか、僕がこの国を離れる日以来かもしれない。
「勇利、あっちで彼女とかできなかったの?」
「ぶはっ」
ぐいと麦茶を飲んだ時にそんなことを聞くものだから噎せてしまった。はあらまぁと楽しそうに笑う。洗い髪をかきあげた拍子に耳たぶに小さなピアスが光った。いつのまに開けたんだろう。
「っ……僕はスケートのために留学したんであって…」
「そんなんでいいの?全力のエロスぶちかますんでしょ?」
「ぅ……」
噂の回りがはやすぎる、さすが田舎。確かにフィギュアでは表現力というものが重視されるし、ヴィクトルだって言っていた通り、恋愛経験だって重要だった。
「………まぁ、勇利は昔からの優子さん一筋だからね」
「……ゆうちゃんは、そんなんじゃないよ」
僕のゆうちゃんへの憧憬について誰より知っているは、そこで話題を区切った。この話の不毛さは、僕だってよく知っていた。
時間は過ぎて行く。人生は短いし、人と人とは出会っては別れる。僕達はそのなかでいつまでもぐるぐる、同じ場所を停滞していた。自分の尻尾を追いかける犬みたいだ。
「ヴィクトルポスター、外したんだね」
「あー……本人に見られちゃうと、恥ずいから…」
「ヴィクトルガチ勢だもんね、勇利は」
「……そう言えば、僕がいない間この部屋泊まった?」
「うん、おじゃました。ちゃんとシーツは洗ったりしてるからね!」
「ああ…部屋、やけに綺麗だと思った」
聞けばたまに母さんのゴリ押しで泊まっていくことがあったらしい。泊める母さんも母さんだし、止まっていくだ。でもまぁ、そんなことは今更か。部屋を綺麗に保っていてくれたんだし、感謝しておこう。
「そういえば昼間ユリオくんが……」
がユーリに関する面白トークをしようとしたけれど、その中身は結局分からないままだった。噂をすれば影がさすというのか、闖入者が現れたからだ。
「ユーリ!!一緒に寝よう!!!」
「びっ…ヴィクトル!?」
「…!?」
大きく扉を開いて、枕を抱いたヴィクトルが現れた瞬間に、は声にならない悲鳴をあげて僕のベッドへダイブした。といっても、頭だけ羽毛布団に突っ込んで、あとは丸見えだったけれど。
「ええー!?どういう反射!?」
「あれー?…もしかしてオレ、なにか邪魔したかい?」
「違う違う!ちがいます!」


「………」
「Peekabooかい?」
……」
は俯いたまま、顔を両手で覆って固まってしまった。最近のはヴィクトルを前にすると妙にぎこちない。最近、といっても本当に、昨日今日はじまったことだけれど。
その前はスター相手に恐縮はしていても、もう少しコミュニケーションが取れていたはずだ。は面食いなのでイケメンは大好きだけど、ヴィクトルレベルはさすがに格が違いすぎたようだ。
「すみません、ヴィクトル。最近こいつ変で……あの、酔ってもいますし」
「いいんだ、多分オレのせいだからね」
そう言って笑うヴィクトルはいつも通りだけど、なんだかうっすらとした凄味があった。有無を言わさぬ、追求を許さぬ雰囲気。何日か前にヴィクトルがを家まで送ってったらしいけど、その時になにかあったんだろう。
……僕の幼馴染みに何したんですか、この人。
「2人で晩酌?本当に仲良しだね」
そういいながらふいに僕のグラスの中身を確認するあたり、やはり彼はコーチであった。それからの缶を見やった。コンビニで買ってきたごく普通のチューハイ。安くてそこそこの美味しさでアルコール度数が高めの、手軽に酔えるやつだ。
「ワオ、梅味?」
「あっ」
止める間もなくヴィクトルが口をつけたのを、は指の隙間からしっかりと見ていたらしい。形容し難い悲鳴が上がったけれど、二本しかない手は顔を隠すのに必死で彼から缶を奪うことは出来なかった。
「うん、甘いけどすっぱくてしょっぱいね!Amazing!」
「な……な…………」
叫ぶかと思ったけれど、彼女は顔を覆ったまま深く深くため息をついて俯いた。ああ、諦めたんだな。気持ちは痛いほどわかる。ヴィクトルにいちいち反応していたらこっちが持たないのだ。髪の毛の隙間から見える耳は真っ赤だった。
はどうして顔を見せてくれないんだ?」
「……それは…すっぴん、だから……」
「スッピン?」
「お、お化粧をしてない女の人のこと……」
そもそもすっぴんは素顔が美人、みたいな意味だったなと思ったけれど、さすがに今のに追い打ちをかけるのは哀れだと思ってやめた。の顔はとても平凡である。
そういえば最近のはお風呂上がりでも眉毛あったもんなあ。僕には大して違いはわからないけど、本人にしかわからない矜持があるんだろう。そしてその矜持は、がヴィクトルを異性として少なからず意識しているという証拠でもあった。
「そんなこと気にしてるんだ?」
「ぅ……」
「大丈夫、オレはどんなでも好きだよ!」
自信もって!ドンウォーリー!と熱血元テニス選手みたいなことをいいながら、ヴィクトルはぎゅうと拳を握った。
あまりにも熱く言うので、は恐る恐る、そろりと手を離した。僕にとって見慣れた顔だ。20年近く見てきたの顔。化粧をしている時よりは、肌の感じが違うし唇の色も違う、眉毛は少し短くて目元の印象も薄い。
「ふむ……」
ヴィクトルはマジマジとを見つめた。は居心地悪そうに視線をそらして、俯く。ヴィクトルの見透かすような瞳を至近距離で向けられるなんて僕だって耐え難い。

「なーんだ、いつもと変わらないじゃないか!」

「っ!!」
ヴィクトルの無邪気な評価がの心にぐさりと刺さるのがわかった。わかる、わかるよ!なんとなくその気持ちは想像できた。気合い入れた演技に気づかれないとか、あまつさえいつものほうがよかったとか、そういう心無い評価に対する複雑な気持ち。
そんな繊細な心の機微はヴィクトルにはどうやらわからない。
「いつも通りの子ジカちゃんだよー?」
「あ、あの、ヴィクトル、そこらへんにしてやって…」
僕の幼馴染みがあなたの心無い言葉で、未だかつて見たことないレベルで落ち込んでるからっ!!