或る日曜日

(桑原妹と蔵馬がお付き合いしている甘い話)

(若干程度に妖しい雰囲気)




馬鹿みたいだ。
小さく身じろぎした真横の生き物にぴくりと指先を跳ねさせて、それからゆっくりと力を抜く。いい年して一体何をしているんだろう、本当に、馬鹿みたいだ。
横目でちらりと見つめてから、そっと腕を回す。背中から綺麗に湾曲した細い腰に滑らせるように忍び込ませると、簡単に抱き寄せられた。女の身体には腕を回すためにあるとしか思えない場所がいくつかある。腕枕するときの、頭から肩をつなぐなだらかなうなじだってそうだ。この子にそんなことをする機会は、不幸なことに現状一度もないが。
オレの行動に今度はのほうがびくりと肩を揺らしたが、抵抗はしなかった。むしろ体重を預けるように、丸い頭が肩へともたれてくる。甘い匂いがした。彼女が愛用しているトリートメントの香りだ。柔らかい髪の毛から覗く耳は真っ赤だった。
テレビ画面では、社会的に成功した男がドラッグと女に溺れている。立地で退廃的で俗物の官能だ。そういえば大昔に似たようなことをしたが、それだけは彼女にバレないようにしよう。普通に軽蔑されそうだ。「最低」とか言われてしまったら、立ち直れない。
こんな内容の映画だと知らずにビデオを借りたらしいはそういう雰囲気になる度こちらを気にしては、しかし映画の官能シーンなどは見慣れているらしく、ギリギリ平常心を保っていた。それもオレがちょっかいをかけるまでだろう、この子は自分で思ってるよりもずっとオレのことが好きなのだ。

「っ!」
ふるりと頭が震えて、大きな瞳がおそるおそるとこちらを見上げる。捕食者に狙われた小動物のようだ。こういう危うさにいつも頭を悩まされるが、本人に言っても仕方ない。今まで桑原くんが守ってきたように、今度はオレが守ればいいだけの話だ。桑原くんだって、まだその役目を譲る気はないだろうし。
「これ、面白いですか?」
「……思ってたのと、ちがうかんじ」
わざと声を潜めて聞けば、もつられて小さくつぶやく。もっと知略策謀入り交じるコーンゲームな金融映画だと思っていたのだろう。パッケージの裏面説明とか見ないタイプの子らしい。
「次はオレが借りてきますね」
「うん……」
以前に観たのはやっぱりオレのセレクトで、かなり無難な作品にしたのだ。名前だけなら誰もが知ってる名作映画の続編。1はもう観ていると知っていたから。それがそれなりに面白くて、「じゃあ次は私が選んだの観ようね」なんて言ってくれたのが二週間前の話。
この映画もそう悪い訳では無いが、未成年のカップルで観る映画としては多少猥雑すぎるきらいがある。セレクトした側としての責任を感じるらしく、は少し申し訳なさそうだ。
気にするなという代わりにそっと髪を梳いてやると、は恥しそうに目をそらして映画に視線を戻す。映画が気になるんですという風だが、集中は全く出来ていない。
そのいじらしさが面白くて、トドメを指してやろうと指を動かす。細い髪を耳にかけてやり、朱に染まるそれにそっと唇を寄せる。ひ、と小さく彼女の喉が震えた。
「かまってくださいよ、暇なんです」
「ひ、暇って……映画…」
「飽きましたね。キミの方が面白いので」
「人をなんだと……」
つんと猫みたいに睨みつけてくる瞳に笑顔を返せば、すぐにバツが悪そうに眉尻が下がる。ただつまらない映画を観せたと言うだけの罪で、人はここまで負い目を感じるものだろうか。まったく、真面目というかなんというか。
馬鹿な子だなぁ。
「責任とって、なにか面白い話してくださいよ」
「そんな無茶な…」
「オレの大事な時間を二時間近く無駄にしといて?」
「うう……」
有無を言わせぬ笑みで問い詰められ、はオロオロと視線をさまよわせた。映画はいつの間にかエンドロールにさしかかっている。まぁ普通に面白い映画だったけど、と喉元まで出かかって、やっぱり言うのはやめた。どのみちニヒリズム気取りなロマンチストの彼女と一緒に観るのには不向きだ。人と人とは助け合い、子供は飢えを知らず愛され、空は青く風は暖かい。それが世界の全てだと本気で信じている。信じようとしている。そんな必死さに応えるのはやぶさかではないが、やはり世界の真実を向き合わせることが、恋人への誠意というものではないか。
例えば、それはそれは優しい年上の恋人もたまには魔が差すことがあるとか。
「っ……くらまさっ」
突然唇を塞がれたことに驚いたが、名前を呼び終わる前にもう1度唇を重ねる。噛みつきもせず、目を閉じて大人しくされるがままになる彼女をちらりと睨めつけ、放り出されたままの手をやわく握る。なんだ、この子も期待していたんじゃないか。それも当然か。何度目かのデートで家にふたりきりで、これで下心がなかったら男として泣きたくなる。
「っは……」
息をつく間もなくもう1度重ねてから、名残惜しげに顔を離す。これ以上はダメだな。本人よりも、家族に対する責任がある。信頼を裏切るわけにはいかなかった。
「くらまさん……」
「二時間退屈した分、これでチャラです」
その点にいまいち無自覚な箱入り娘はとろりと瞳を甘く濡らして、そっとオレの服の袖を引いた。多分、これも無自覚。
「それ、安い…」
「どっちがですか? キミが? オレの2時間が?」
は頬を染めたまま少し緊張したように唇を引き結んで、思案するように首を揺らした。掴んだままの袖に気づいたように指を離して、けれどやっぱりすぐに服に指を引っ掛けた。恥じらうような、けれど決意した瞳がじっと目の前の男を見上げる。
オレは男で、彼女は女だった。
「蔵馬さんの…2時間、が」
「それは……」
誘う様にニットに絡んだ指を、思わず掴む。女はひくりと喉をしゃくりあげただけで何も言わなかった。けれど視線はほんの一瞬だけ、小さな部屋の壁に添うように置かれたベッドに向かう。ほんの少し動くだけでたどり着ける場所だ。抱えさえすれば、彼女は動く必要すらない。
実際のところをいえば、別に2時間も退屈していない。百面相するを見るので忙しかったからだ。だからこれでは明らかに貰いすぎる。さすがに今日ここまで求めるつもりはなかった。けれどくれるというのだから、受け取らなければ男が廃るのではないだろうか。大丈夫、正直言って自分はかなりリードできる方だ。彼女が支払うと言っている分以上に与えられる自信がある。それこそ、酒池肉林の成果だ。
「……蔵馬、さん?」
少し考え込みすぎていたらしい。
が不安そうに小さく名前を呼ぶのに、大丈夫と言い聞かせるように頭を撫でる。一体何に対して誰が大丈夫なのか判然としないけれど、とにかく大丈夫だ。キミが心配するようなことはなにもない。オレに任せてくれれば大丈夫。健全に不健全なことをするための道具はパスケースにちゃんと入っている。なんだ、オレも期待していたんだな。
……」
触れた肩は細い。閉じたまぶたに唇を寄せると、背中に回る腕の感触。もう何度だってその腕に触れてきたけれど、今日はもっと深く触りたい。ブラウスのボタンはたかだか6個。膝丈のスカート。料理よりもずっと簡単な手順。いや、ここにたどり着くまでに数年かかった。数年と、二時間。
大切なことを一つ、理性が欲望に食い尽くされる前にきちんと告げておこうと口を開く。何度か伝えたけれどいまいちちゃんとわかっていないみたいだから、馬鹿な恋人に分からせないと。
今日日ブレーキランプの点滅でも伝えられるはずの言葉の、最初の一文字を告げるために唇を開いた。


気づいてからは早かった。お互い耳はいいのだ。
彼女が1歩分、オレが半歩分身体を離して、は少し身だしなみを整えた。その間にオレはとっくにメニュー画面に戻っていた液晶を切り替えて地上波放送を写す。はぎゅうとクッションを抱えた。あの顔は多分我に返っていたたまれない表情だ。
居住まいを正しているともう階段を上がってくる音がする。重い体重に、気だるげにすこし引きずったような足音。
桑原くんは年頃の妹の部屋を、しかし兄故の身近さで忌憚なく開いた。ノックも無しだ。
「おう、蔵馬が来てたのかよ」
「おかえり。おじゃましてます」
「お、かえり……お兄ちゃん」
玄関の靴で来客があることはわかっていたらしい、オレの姿を確認した桑原くんは機嫌良さそうに笑った。この全幅の信頼もなかなかどうして辛いものがあるな。極悪と呼ばれる妖狐相手にこの兄妹は良くもまぁ。
取り立てて邪魔しに来たわけでもないので、桑原くんは「今日の猫の餌やり当番変わってくれ」とだけ告げて踵を返した。オレと妹に見送られ、部屋から出る前に不思議そうに振り返る。
「なーんでふたりして真面目くさった顔でまる子ちゃん観てんだ?」






(リクエスト/幽遊白書長編「空耳の言う通り」の夢主ちゃんと蔵馬でお願いします! 出来れば雰囲気甘めで、お付き合いその後、のようなものでよろしくお願いします)

いちゃついてるだけ。お兄ちゃんガードがあるので、付き合うまでも長いし付き合ってからも長そうですね。

リクエストありがとうございました!