夢と知りせば

(蔵馬との幸せの未来…と思ったら夢オチ話)




誰かが髪を撫でている。くすぐったい感触に身をよじれば、相手は少し息を吐いて手を止めた。
しばしの沈黙。
それからそっと肩に手が置かれて、するすると身体をなでて腰までたどり着く。そこを安息地のようにぎゅうと抱きしめられたので、私はやっと薄目を開けた。
「……んー?」
「ああ、起こしちゃいました?」
時計を見れば予定時間より30分は早い。蔵馬さんは朝だというのに睡眠の名残のない艶っぽい声だった。
────あぁ。
漸く動いた頭にふわりと記録が浮かぶ。あぁ、そうだ。結婚したんだ。わたしたち、結婚したんだった。
「コーヒーでも入れてきましょうか?」
「んんー…」
寝起きの悪い私に苦笑して、蔵馬さんの手が離れる。名残惜しいな、と思う私に彼は目を細めた。「すぐ戻ってくるから」私は目を擦って窓から薄く差し込んできた光を見る。やっと日が昇ってきた。冬の朝は寒いし暗い。リビングで石油ストーブがつく音がした。何故かその音を聞くとオムレツが食べたくなった。
「花子、そろそろ起きてください」
コーヒーの香りを引き連れた蔵馬さんは、まだ身体をベッドに沈めたままの私に片方を差し出す。起き出して受け取る時に、少しだけ不安そうな顔をされ た。そんな顔をしなくてもベッドにぶちまけたりしない。
熱いコーヒーを胃に流し込むとやっと目が冴えてきた。ぱっと部屋が蛍光色に明るくなったと思うと、蔵馬さんはベッドに座り小脇に抱えていた新聞を広げる。インクの印字は今日が日曜だと書いていた。1面から読む姿に感心して、彼に倣って新聞をのぞき込む。気づいた彼が少し頭を動かしたので、肩に顎を乗せた。
「目が覚めました?」
「ばっちりです」
振り向いた顔が思ったより近くて動揺したけれど、彼は恋人を通り越して夫であるのだからこんな事でいちいちドキドキしてはいけないのだ。いやしかし、夫に恋してはいけないなんて法律はないわけで。火照ってしまった頬が触れ合いそうになるのを慌てて逸らした。朝だと言うのに髭のない蔵馬さんの顔はつるつるだ。もしかして彼、ヒゲとか生えないタイプの新人類?

コーヒーの香りがした。
遊ばせていた手に、蔵馬さんはそっと手を重ねる。ちょうどいい位置を探すように指が動いて、絡み合うように締められた。武器を使い薬草を煎じる指は、意外とごつごつでかさついている。
「蔵馬さ…」
ん。
音もなく重ねられた唇が最後の響きをかき消した。離れる時にちゅ、と軽い音がして、それからもう1度。私はそっと目を閉じて、空いている方の手で蔵馬さんの背中を手繰り寄せた。硬い指先が私の頬を撫でる。ひやりとした指輪の感触が肌の上を滑った。
呼吸の合間に“”と呼ばれ、それが合図になった。再び身体がベッドに沈められて、私はゆっくり目を開ける。蛍光灯が眩しかった。けれど、すぐに蔵馬さんが光を遮った。長い髪が私の顔すれすれに揺れて擽ったい。
……ちゃん」
ごくりと蔵馬さんの喉仏が揺れた。らしくなく緊張しているようだ。少し唇が震えて、瞳が細められる。
微かな違和感に、本能が警鐘を鳴らした。
ああ、違う。これは“違う”。ほとんど天啓めいた思考が脳を刺した。こんなものは全部嘘で、全部違う。
「ようやくキミを、オレのものに出来る…」
指先が、壊れ物に触るみたいにそっと私の肩に触れた。震えている。蔵馬さんの瞳が少し戸惑うみたいに揺れて、私の身体をじっと見た。張り詰めた空気に耐えきれず少し息を吐くと、彼は大げさにびくりと身体を震わせた。
その手がもっと深くへ滑り込む前に、私は強く念じる。
───こんな夢、はやく覚めろ。


「恥ずかしい夢を見てしまった……!!!」
なんだあれなんだあれ、なんで私あんな夢見てるんだろう!?蔵馬さんに顔向け出来ない!
自室の、もちろん自分のベッドのシーツの上で私は蹲った。
なんのことはない、探偵風にいえば「懸命なる読者諸君はお気づきであろう」と言った感じだ。途中で消えたコーヒーのことだとか、結婚してそれなりに経っているのにまるで初夜のように緊張した蔵馬さんだとか……それ以前に、緊張する蔵馬さんという存在自体がもう冗談みたいな話だ。
そんな現実とも論理とも整合性が取れなくなった夢特有の地に足つかない感なんて、気づいたところで褒められることではない。ていうかあんなよこしまで願望丸出しな夢をのうのうと見てしまった時点で私という人間の最低さがとめどない。罪悪感が迸る。夢の中とはいえ蔵馬さんになんてことさせてるんだ私は!
その昔夢の中で人を殺してしまった時くらいのショックである。自分にはそんな潜在意識があるんだろうかと自失呆然したものだ。夢占いに詳しい人教えてプリーズ。ていうか欲求不満なのかな私!?
ひどい罪悪感のせいで、このあとおよそ1週間は蔵馬さんに顔向けできなかった。






(リクエスト/空耳番外編で、蔵馬との幸せな未来…と思ったら夢オチ。みたいなのを希望で…。本編に影響の無い範囲で!)
思ったよりいちゃいちゃしませんでした…!
リクエストありがとうございました!
以下は蛇足というかおまけというか、後半戦です…






目を覚ますと、ちゃんは静かに寝息を立てていた。枕元に転がる目覚まし時計を見ればまだ時刻は午前5時過ぎ。外は暗いし、部屋の中ももちろん薄暗い。
ああ、夢か。
生きていれば何度も見ることになる、ありふれた明晰夢。明け方に見る苦悶の夢だ。
ちゃんを出演させてしまうことはよくあることで、その度に己の根底のもはや無視出来ないほど膨れ上がってしまった欲望を見せつけられ、少しだけ反省するのだ。
オレの記憶と知識から作られたちゃんは、こちらの苦悩など知らずに気持ちよさそうにすやすや寝こけている。
我慢出来ずに手を伸ばして、やわらかい髪の毛に触れる。つるつるしていて、オレのくせ毛と違って素直な髪だ。ひとしきり撫でて遊んでいると、くすぐったかったのか「ん」と甘い息を漏らして身体が揺れた。
快適な睡眠を邪魔してしまったことに罪悪感を覚えて少しだけ身体を離したけれど、それでも我慢出来ずに細い肩に手を置く。ちょうどいい場所を探して滑る手は彼女の腰にたどり着いて、不安になるほど薄くて柔らかいそこを抱きしめる。
「……んー?」
「ああ、起こしちゃいました?」
鼻にかかった甘えるみたいな声で鳴いて、彼女は薄く目を開いた。寝起きの少し赤い瞳。焦点の合わないそれに自分はどう見えているだろうか。
「コーヒーでも入れてきましょうか?」
「んんー…」
猫みたいにむずがる姿は微笑ましい。手を離すと黒い瞳がじっとオレを見上げて、胸がざわつく。──やめろよ、そんな顔するなよ。
夢の中とはいえ、越えてはいけないところを越えてしまいそうになる。隠すように瞳を眇めてキッチンへと向かう。
夢は自分がどこかで記録した情報で再構成されると言われている。見知らぬ間取りだったけれど、きっと何処かの誰かの家だ。いつもそうしているみたいな顔でリビングのストーブをつけてキッチンへと向かう。新婚の家だな、と悟った。どうやら今日のの役割はオレの新妻らしい。どことなく尻に敷かれている予感がするのはご愛敬だ。たしか前に見た夢では彼女は同級生だった。オレの脳が盟王の制服を着ている彼女を想像しきれなかったのか彼女だけ皿屋敷のセーラーを着ていたので、すぐに夢だと気づけたけれど。それに比べたら今日は随分と完成度高く作られている。
キッチンで2人分コーヒーを入れてその間に新聞を取りに行き、彼女を起こしに寝室へと戻る。まだ寝転んでいるにマグカップを差し出すと、けだるそうにのろのろと身体を起こした。覚束無い手つきでマグをとるので、こぼさないか不安になる。
日はまだ顔を出したばかりで部屋は薄暗い。ぱちんと電気をつけると彼女は眩しそうに目を細めた。
新聞を読み出すオレをじっと見つめながらコーヒーに口をつけた。それからふいに動く気配がして、ぬくいなにかが背中に触れた。少し頭を動かしてやれば、甘えるみたいに小さな頭が肩に乗る。
「目が覚めました?」
「ばっちりです」
飲んだばかりのコーヒーの香りがする彼女は、長いまつげをそっと伏せた。
初めてあった時から一年は経ったか、成長著しい時期である彼女は日毎大人っぽく、女性らしくなっていく。まだあどけなさの残る顔に静流さんに似た面影が射す度に、自分の気持ちを抑えてきた。
彼女は桑原くんの妹である。仲間の家族に触れるなんて、そんなこと天が許してもオレ自身が許さないし、なにより桑原くんが許さない。オレは妖怪で、彼女は人間だ。悪虐非道の妖狐蔵馬に、誰が好き好んで大事な妹を渡すというのだ。
なによりちゃん自身の気持ちは、きっとオレには向いていない。からかえば照れたり、はにかんだりするけれど、それはオレが兄の友人だからだ。桑原和真の友人だから、無条件でオレのことを信頼している。オレにはその信頼に応える義務があった。
───だけどここは、夢の中だ。
閻魔だってコエンマだって、夢の中の罪まで捌けるもんか。

彼女の手に触れると、しっとりして生暖かい手が少しだけ強ばった。逃がさないように指を絡める。
蔵馬さん。いつもまろくオレの名を呼ぶ唇を塞いでやれば、暗色の瞳が揺らいだ。それもすぐ伏せられてしまったけれど。
小さな手が辿るように背中にまわり、ぎゅっとシャツを掴んだ。
瞳が見たいな。
キスする合間に頬に手を滑らせて、吐息混じりに名前を呼ぶ。力の抜けた身体は押しただけで簡単にベッドに倒れ込んだ。覆いかぶさる影に薄く瞳を開いたは、大人びた表情で誘うように微笑んだ。
もう1度唇を重ねる。今度は深く、もっと奥まで。腕がするりと首に回ってオレを引き寄せる。胸板で押しつぶされて形を変える柔らかな感触に手を伸ばす。
あと少し。
夢の中とはいえ罪悪感は拭えない。こんなことを彼女に知られたら、きっと軽蔑されるだろう。だけど、どうせ知られることなんかない。だったらいっそ──


自分の部屋の天井を見つめて、深くため息をついた。まだ身体に感触が残っている気がして理性をぐらつかせる。
10世紀以上生きているというのに、オレもまだまだ若いな。南野秀一の身体に引っ張られているのかもしれないが。またこんな夢を見るなんて。
淫夢にも満たない、本当に子供じみた欲望の夢。こんなの、いっそ中学生くらいが見るものだろう。夢の中ですらあの子を抱けないのか、情けない。
ちゃん…」
呟いた声が掠れていたのは、寝起きだからか。それともらしくなく満たされない渇望のせいか。
やけにリアルに残る身体の感触を思い出して目を閉じる。身体が欲を呼び起こす前に寝てしまおう。薄い微睡みの中でなんとなく、桑原家の屋根を想起した。遠い屋根の下で、あの子は安らかに眠れているだろうか。


完全に欲求不満である。
リクエストありがとうございました!