偽物の星は昼に笑う

( 『空耳の言うとおり』番外。蔵馬が皿屋敷の文化祭に来る)




案外凝った文化祭なんだな、と飾り立てられた校門を前にして海藤は校舎を見上げた。道行く人は子どもも大人もどこか浮き足立ち、あちらこちらから賑やかな音楽と歓声が響き窓からはそれぞれ用意された出し物が顔を覗かせている。喫茶店に研究展示に、どうやら何もなさそうな教室もある。あのダンボールで窓を塞いだ教室はお化け屋敷かもしれない。
「うわ、あの人カッコイイ」
「盟王じゃん、超やばい!」
通りすがる女子中学生が海藤の隣の男を見ながらきゃらきゃらと声を弾ませる。制服のままで来たのは失敗だったかもしれない。しかし土曜とはいえ進学校なので半日授業があったのも事実だ。
「オレ達目立ってないか?」
「困りましたね」
絶対困ってない表情で隣に立つ南野は笑った。半ドンを終えさっさと帰ろうとした海藤をここへ連れてきた張本人である。皿屋敷中については詳しくないが、この学校に自分と縁浅からぬあの中学生たちが通っていることは知っていた。
「浦飯達は何組なんだ?」
「幽助はこれですね……あは、休憩所とはまたサボりましたね」
「やる気ないんだな…」
「桑原くんはヘアサロンですね、凝ったことするなぁ」
配られた紙に目を滑らせる男は楽しそうに笑う。校舎の平面図とクラス名、それから出し物の名前が書かれている。珍しいことに合唱コンクールは存在しないらしく、“生徒の自主性を尊重して”なんてもっともらしい文言が書かれているが、つまりこの不良の多い中学では教師に求められて歌うなんてしゃらくさいという生徒が多いだけだろう。
この男の数少ない致命的な弱点を海藤は知っていた。ドライな男をわざわざこんな幼稚な中学の文化祭などに出向かせるものを。いくら仲間とはいえ……仲間だからこそ、こんなぬるい出し物を見に来る男ではない。この男の目的はたったひとつだ。
「桑原さん…?の、クラスはどうなんだよ」
たしかそんな名前だった、あの女子中学生。鴉に拐かされた兎、似てない兄を持つ妹。この男が執拗に埋める外堀の中身。
「プラネタリウム、みたいですね」
当然クラスまで把握している彼は珍しく目元を緩ませて呟く。真面目なのか不真面目なのかわからない、地味なのか派手なのかもわからない、どっちつかずであやふやな、彼女らしい出し物だった。


……桑原さんのクラスはここですか?」
あざといな、と突然のイケメンの来訪にきゃあと悲鳴をあげる女子中学生を見ながら思う。あざといのは女子中学生ではなく、勿論南野のことだ。ここが桑原のクラスであることなど聞かずともわかっているだろうし、最初に名前を呼んだのもわざとだろう。やらしい男だなぁこいつは。
「く、桑原さんはいま自由時間だからいなくて…」
「そうなんだ。どこにいるか分かります?」
「さあ…多分お兄さんの教室じゃ…」
真っ暗にされた教室の入口。ダンボールに“プラネタリウム”と書いただけの看板を背中に、受付の女子中学生2人は頬を染めながら話す。海藤のことなんてきっと視界にも入っていないだろう。
「そうなんですね、ありがとうございます」
爽やかに笑い、男は踵を返す。海藤は無言でそれに付き従った。去っていく背中に、緊張を解いたように「きゃー!」と女子中学生2人の黄色い悲鳴が聞こえる。
「見た!?超かっこよかった!」「盟王だったね!」「桑原さんの彼氏!?」「彼氏じゃない!?名前で呼んでた!!」
スキャンダルに盛り上がる女子特有の甲高い声は廊下の端から端まで響き、道行く保護者らしき人が不思議そうに注目している。元凶である男は我関せず涼しい顔だ。
「桑原君たちのクラスは上の階ですね」
「……お前、変な誤解させんなよ」
「さあね」
なんでこんなタチの悪い男に捕まってるんだろうな、桑原さん。本気で同情する。


桑原は“ヘアサロン”の椅子に座っていた。
ヘアサロンといいつつもカットやパーマみたいな凝ったことはしない、どうやらヘアアレンジをするだけの店らしい。本当に中学生かと疑うような派手な見た目の女子2人に囲まれた桑原さんは、海藤にはわからないなにか複雑なヘアスタイルにされている。
「蔵馬じゃねーか」
目立つ知り合いにいち早く気づいた男、兄のほうの桑原が大きく手を振ると南野は片手をあげて答えた。案外人気者らしく、残念そうにする男女生徒をかき分けてこちらへ近付いてくる。兄の動きに気づいた妹のほうもこちらをちらりと見て驚愕した顔をして、「あー、顔動かしちゃダメ」と上級生に顔を掴まれていた。
「よう、来たのか」
「ちょうど半日授業だったので。凝ったことしてますね」
「今年が最後だしな!幽助んとこはやる気なくて休憩所」
「榮子ちゃん、よく止めなかったですね」
「雪村は今年生徒会だから忙しいんだよ。その隙を突いたらしい」
「彼はホント、サボることに一生懸命ですね」
放流されている浦飯幽助は今もどこかを彷徨いているのだろうか。桑原は番格で人望に厚いのでそういうときは舎弟とでも巡ったり律義に他を手伝ったりしていそうだが、浦飯の場合は想像がつかない。一匹狼を気取っているらしい彼が、桑原も雪村さんも居ない今いったいなにをしているんだろう。
「海藤さん!」
「……桑原さん」
ようやく上級生から解放された桑原は退屈している海藤に後ろから声をかける。つやつやした髪の毛はなにやら立体的に上手いこと編んである。もしかしたら少し巻いてもいるのかもしれない。
「それ、校則的にOKな髪なの?」
「今日は公認なんです」
そう言って笑う顔は、やはり桑原には全然似ていない。まだしも蔵馬の方が兄妹に見える程だ。
「お、。いい感じにしてもらったじゃねえか」
「ほんとだ。よく似合ってますよ、ちゃん」
「えっと……ありがと」
桑原は肩に垂れた毛をひと房、照れたように指でいじった。瞳は泳いで兄を向く。誰を意識しているかがとてもよく表情に出ていた。
「盟王、今日登校日だったの?」
「ええ、半ドンだったのでせっかくだから」
「大変ですねぇ、進学校」
少し俯きがちに喋るので、黒い眼がくるりと上目で蔵馬を見つめた。狐は至極嬉しそうに目を細める。
ちゃんのクラスはプラネタリウムなんですよね」
「うん、もう見た?」
「軽く前を通っただけです、キミを探して」
「そうなんだ…」
完璧にふたりの世界である。海藤が自分より少し背の高い桑原を見上げれば、桑原もぎゅうと眉根を寄せてこちらを見る。元々きつい顔つきなので、凄むと恐ろしい形相だ。
「海藤、オレここ見なきゃいけねえからよ。蔵馬がミョーなコトしないようちゃんと監視しとけよ」
「ミョーなコトし出しても、オレには止められない」
だよなぁ、と兄は諦めた様に呟いた。


、おかえり!」
クラスメイトにきゃあきゃあと黄色い声を上げて出迎えられた桑原さんは何かを察してジトっと南野を見上げる。南野は飄々とした顔で微笑むばかりだ。彼によって完全に勘違いさせられているトピックはとっくに複数人に広まっているらしく、スタッフ役のクラスメイトはわいわいと高校生2人に注目する。教室の隅の男子生徒たちが「どっち?」「背が高い方」と声を潜めて噂し、なるほどと納得した顔で頷いた。
「ちょうど今空いてるから、すぐ入れるよ」
「彼氏さん達もどーぞ!!」
「彼氏とかじゃないよみっちゃん」
「まぁまぁ照れなさんな!」
机が片付けられた教室の真ん中には、教室の容積を半分ほど占める物体が鎮座している。ダンボールで作られた半球状のジオデシックドームだ。中にはピンホールプラネタリウムが設置されているらしい。なるほど考えたな。見栄えがするし、学術的だ。
「1組10分交代なんです!」
「前の組があとちょっとで出てきますから、ささ…お2人で!」
「3人で!3人で入るからね!」
他人の色恋沙汰にテンションをあげる友達に、桑原さんは頑として接した。「なにこいつ…」みたいな目で見てくる見知らぬ女子中学生の視線が気まずい。彼女達からしたら、海藤は馬に蹴られて死んでほしいタイプの邪魔者にしか思えないだろう。
「いや、オレは遠慮しようかな…」
「海藤さん!そんな水臭いこと言わないでください!一緒に星みましょうよぉ!」
どこにそんな握力があるのかというくらいガシッと腕を掴んで、桑原さんは本気の懇願である。南野は「いやあ、それは残念ですね」と相変わらず余所行き顔で笑っている。今日の全ての元凶はこいつだ。
「あ!そうだ!海藤さんと蔵馬さんが二人で入れば…」
「それは嫌だ」
「勘弁してくれ」
「はぁー?何言っちゃってんのー!?」
海藤と妖怪と見知らぬ女子中学生の意見が初めて一致した瞬間だった。


「結構本格的な作りですね」
「頑張ったんですよ!ほら、あのあたりが夏の大三角形」
「おお……これは凄いな」
男子高校生2人と女子中学生1人だと、ダンボールのジオデシックドームはやはり少し狭い。南野を真ん中に、左右に2人がしゃがみ込む。人工の星ぼしが輝いて、微かにBGMも鳴っている。高校の文化祭でも通用しそうな出来栄えだ。
「そういえば桑原さん、地学得意なんだっけ」
「はい、星が好きなんです」
「ふうん……」
桑原さんと鴉の経緯をよく知らないため、珍しく南野がつまらなそうな声を出した理由は海藤にはわからなかった。ただ、この狭い空間で機嫌の悪い南野と一緒にいるのは果てしなく辛いため、慌てて話題を変える。
「あ、あの星!なんの星?」
気になる星。海藤が指さした星を見て、桑原さんは声を弾ませる。薄暗い中、南野の向こうにいる桑原さんの顔はよく見えずとも、彼女の表情は手に取るようにわかった。
「すごい!海藤さん、あれの星はフェイクの星なんです」
「フェイク?」
「ほかの星は星図通りなんですけど、あれだけはみんなでこっそり作った教科書の星図にない星です」
「へえ……本当にあったら面白いですね」
「有り得ますね!肉眼で見えないだけで、もしかしたら実在するかも」
広大で無限な星を思うと、教科書に載っていないだけできっとこの星と同じ場所に星はあるのだ。誰かが見つけて、名前をつけているはずである。
「なんて名前の星かなぁ…」
ぼんやりと桑原さんは呟く。その声は歳不相応に大人っぽく響き、海藤の鼓膜を揺さぶった。南野が妙に彼女に執着する理由を少しだけ理解した。この男は、きっと彼女のアンバランスでアンビバレントでアンチノミーな部分に弱いのだ。
その惚れた弱みに免じて、彼が桑原さんにだけこっそりと耳打ちした言葉は聞こえなかったことにしてやろう。正直に言うと聞きたくなかったし、聞かなかったことにしたい言葉を。気障で狡猾な狐が兎に囁いた、聞いてるこっちが恥ずかしくなる言葉を。
────「君の名前で呼びたい」だなんて。






(リクエスト/皿屋敷中の文化祭に蔵馬が遊びにくるお話が読んでみたいです。)
何故か海藤目線。演劇とかコスプレとか告白大会とか合唱コンクールとかそういうのも考えたんですけど、とりあえず今回はこれで!
リクエストありがとうございました!