夏は短し恋せよ乙女

( 『空耳の言うとおり』番外。蔵馬と両片思い)




「あつ……」

妹の絶命する前の熊のようなうめき声に、桑原は多少いらつきながら呼応した。周囲で思われているほど、彼は妹に甘くない。理不尽な八つ当たりも相応にするのだ。家族というものはそういうものだろう。

「暑いっていうんじゃねーよ、テンション下がるだろ」
「お兄ちゃんこそ、暑いって言わないでよぉ。テンション下げても気温は上がるのよ」
「お前こそいうな。お前が暑いっていうからオレが暑いっつーはめになんだよ」
「そーやってお兄ちゃん二回も暑いっていうから、より暑くなっていくんだよ、暑いっていうのもう禁止ね」
「器用に3回も言いやがって……」

世間で思われているほど大人しくない妹も、とてもよく口が回るのだ。早々に負けを悟った桑原は口を噤む。この暑さの原因は自分たちにはない。地球が悪い、それから、タイミング悪く壊れたクーラーも。
タイミングというものは不思議と連鎖するらしい。修理を承るお客様サポートの人は、今日中には来れないというのだ。
おかげで、こうして窓を全開にして扇風機をつけてうだるような暑さのリビングでぼんやりしているのだ。
桑原は、もはやタンクトップも脱ぎ捨ててトランクス1枚だ。妹はもう少し恥じらいがあるようだが、それでもブラトップにショートパンツだ。髪の毛もまとめられ、うなじを汗と後れ毛が彩る。白い足が惜しげも無く晒されているが、当然桑原は、妹の肢体になど興味がなかった。こいつ、すげーだらしないな。と感じるだけだし、露出でいえば自分の方がもっとひどい。

「……冷蔵庫にラス1のアイスあったよね」
「…………」

妹の言葉に、兄は無言で右手を上げる。妹も、団扇を持っていない左手をゆるゆると上げた。

「………じゃん、けん────」


「あいこでしょっ!」
「ま、まてまてまて!待て、これキリねーわ!!」

お互い熱で判断力が落ちているらしい。10回を優に超したあいこを経て、先に正気に戻ったのは桑原だった。二人ともじゃんけんは強いのだ。このまま不毛な争いを続けるくらいなら妹に勝ちを譲ろう。そうしようと口を開いたところで。
口を開いたところで、桑原の言葉は紡がれることは無かった。予想外の闖入者がやってきからだ。それは縁側から網戸を開き、当然のようにやってきた。妹は名前を呼ぶ。
「飛影さん」
暑苦しい、真っ黒な服の男は、不機嫌さを隠すことなく堂々と不法侵入を果たした。
顔見知りの不審者の顔は真っ赤だ。明らかに熱中症寸前である。
「……暑い」
「そんなカッコウしてるからだよ!」
緊急時の大胆さに定評のある妹は、男の外套をひっぺがす。その中身が白いタンクトップであることは知っていた。飛影も飛影で抵抗せずに、されるがままでアイスノンを押し付けられ、水を飲まされている。ずっと思っていたが、妹とこの恐ろしく愛想のない男は妙に仲がいい。
「飛影、おめぇ何しに来たんだよ」
「たまたまだ」
なんとなく回答になっていないことを呟き、男は大人しくに扇がれている。妹になにさせてんだ、と思わなくもない。彼女も彼女で、肉親以外の男を前にしてその気の抜けた服装はどうなのだろう。すくすくと育つ艶かしい四肢を惜しげも無く晒している。
「今日はね、クーラー壊れちゃってるの」
「フン、知っていたら来なかった」
つまり、涼みに来たのだろう。飛影の装束は厚いし暑い。いかに妖怪といえど太陽には勝てないのだ。の口調からして、それはいつもの事だったらしい。
「あー。どっか涼めるとこねぇかな」
「図書館は?どうせお兄ちゃん宿題してないんでしょ」
「してねぇけど、どうせとか言うな!」
はきちんと計画立てて、毎日やらなければいけないもの以外は七月中に終わらせている。いったいどんな頭の作りならばそんな芸当できるのだろうか。桑原には到底理解出来なかった。

「結局アイスも足りねぇしよ」
飛影が増えたことで、アイスはさらに足りなくなった。誰かが買いに行ってしまった方が早いだろう。しかし、このメンツだと確実に己が買いに行かされる。桑原は、宿題をするのとは違う知恵を回した。悪知恵と呼ばれる部分だ。
、ちょっと蔵馬に電話して家に呼べよ」
「へえっ?なんで?」
「んで、クーラー壊れてるってのも伝えとけ」
「いやいやいや、そのシチュで友達呼ぶのおかしいでしょ?灼熱地獄だよ?」
―――友達だと思ってるのはお前だけだけどな。
罪深いことに妹自身は自覚がないが、蔵馬はにとても甘い。人の妹をなんで実兄よりも甘やかしてるんだとも思うが、それが蔵馬からの純然たる好意である事は明白だ。それこそアイスクリームのように、時に冷たく時に甘ったるく。
が暑さに喘ぎそれでも蔵馬を呼んでいるとしたら、確実にアイス片手にやってくるだろう。勿論家におじゃまするのだから、家族分も含め多めに買ってくる。
傍から見ていると、伝説の盗賊蔵馬はえげつないほど外堀を埋めにかかっていることがよくわかる。その様については、幽助との鉄板トークテーマになっているほどだ。
狡猾な狐が虎視眈々と兎を罠にはめている。そんなこと、兄としては止めるべきなのだろうが、それでも静観に徹するのはそこんじょそこらの男よりは蔵馬のほうがよっぽどマシだからだ。顔もいいし、強くて頭もいい。イイヤツだってことも、なにより桑原自身がいちばん知っていた。それに、少なくともこれで蔵馬以外の悪い虫はつかない。寄ってくる虫は蔵馬が徹底的に排除するからだ。
なお、蔵馬という虫の凶悪さは計算に入れないことにする。

「んー、じゃあ、一応電話はしてみるけど……」
そう言って、妹は電話の子機に番号を入力する。もうすっかり覚えてしまった相手の番号を。
「──あ、です……蔵馬さん?」
人は何故電話をすると手持ち無沙汰な感じになるんだろうか。子機を耳に当てながらは右へ左へうろうろ歩いた後、壁にもたれかかった。
「ん、いえ──ちょっと、なんとなく。まぁ、そうですね、蔵馬さんなにしてるかなーって……」
用件もなく電話した気まずさから、妹は謎のファインプレーを切り出した。なにしてるか知りたかったなんて、“声が聞きたかった”と同じくらいの破壊力だ。
「──私?は、別に……あ、うちのクーラーが壊れたので、暑いなぁって感じかな─────え?うち?暑いよ?」
近況を聞かれたらしく、律儀に兄に言われた情報を盛り込む。話はすぐにまとまり、通話を切った妹は「蔵馬さん、すぐ来るって」と言った。


「ちーす!」
「こんにちは、ちゃん。これ、よかったら」
罠にはまった狐は──あるいは、それで兎が喜ぶならとわざと罠へ向かった狐は、アイスクリームの箱を彼女に渡した。駅前のアイスクリームショップのものだ。唯一思惑から外れたものがあるとすれば、それは蔵馬とともに来た人物だ。
「いらっしゃいませー、幽助、蔵馬さん」
玄関にいたのは、蔵馬とアイスと何故か幽助だった。
「駅前で会ったんです」
「うわ、お前んちほんと暑いな!」
「お前この暑いのに駅前でなにしてたんだよ」
「いや、昼飯作るのめんどくせーからなんか買おうと思ってよ」
それで、これから桑原家に行くという蔵馬にひっついて、に飯をたかり、ついでにアイスを頂こうと思ったのだろう。
「なー、ちゅわ〜ん!オレ腹減ったよ〜」
「はぁ、まあ……適当に作りますからね」
暑さゆえか普段より粗雑な対応だった。幽助はそれから、じっとの頭から足先まで見つめる。顔はゆるんだスケベ顔だ。蔵馬は小突いて……というより、アイスの箱を幽助の頭に乗せ「冷凍庫に入れてください」と有無を言わさぬ声音で告げた。勝手知ったる他人の家だ。冷蔵庫をあけても今更怒られないことも、冷蔵庫の場所も知っていた。
幽助がキッチンへと行くのを見届けて、蔵馬はに向き直る。
「さ、ちゃん。随分暑かったんだね」
蔵馬のお説教モードを敏感に感じ取ったは、無意識に居住いを正す。しかし居住いを正そうが、着こなしはそう簡単に整えられない。物理的に、隠せる布が足りない。
桑原としては見慣れたそれだが、蔵馬や幽助にとっては、少し年下ながらも同年代の女の子の肌だ。特に蔵馬にとっては、気になる女のそれだ。
健やかに伸びた白い手足は、女らしく柔らかなラインを描いている。手を這わせすことが許されるなら、簡単に下着にたどり着けるであろうショートパンツ。惜しげも無く披露された鎖骨と背中、普段は髪の毛に隠れる首筋は、つややかな黒髪をフレームにしていっそう輝く。
本人は機動性を重視して選んだであろうブラトップは、胸のラインを隠す一方で谷間が見えやすいという構造的弱点がある。桑原はその力学を存ぜぬ事だが、横から支える力が弱いため、はみ出たバストは脇にかけて柔らかな膨らみを作る。
口を開く前に蔵馬がその全てに視線を動かすのが、桑原にははっきりわかった。「テメェどこ見てんだよ」とガン飛ばす前にその瞳はスッと前に向き直ったが。
……むっつりだよな、あいつ。

「家族の前以外で、その格好でいるのは感心しませんね」
蔵馬の言葉に、は“格好…?”と自分の体を省みた。そうして気づく。彼がどうして説教モードなのか。この男は、この目の前の男は一部のことにかけては兄よりも厳しいのだ。
慌てて自分の身体を隠すようにかき抱き、「き、きがえてくるっ」と二階の私室に駆け上がった。

「…………桑原くんがちゃんと言ってくださいよ」
「どーせお前が言うんだから、いいだろが」
妹の服装など、兄にはデリケートすぎる。というより本来は他人である蔵馬にも口を出せない領域だったが、そこは蔵馬が蔵馬であるからも許容しているようだ。なんだかんだであの愚妹は蔵馬に心を許している。もしも自分が結婚するのであれば、相手は蔵馬だろうとなんとなく予感しているのだ。それは運命というロマンチックなものよりは、同年代より少しばかり長く生きている、小狡い兎の唯一の打算だった。
小癪な妹は上からTシャツを羽織り、足首まである長いスカートに履き替えてきた。顔は赤い。厚かましくも服装に口を出してきた失礼な男を、暑さよりも熱さをもって見上げた。髪を切った後みたいな、新しいメニューを夕飯に出したような、伺うような表情で問う。
「……いい?」
あと一押しで篭絡できる少女を前に、まだその機ではないと、タイミングを謀る策士は笑いかける。あと少しだけ、微妙な関係を続けたいのだ。甘酸っぱい、恋愛の過程。妖狐である時分はそんなもの必要なく、数年前までの南野秀一にとっては邪魔ですらあったものなのに。いまはそれを楽しんでいる。狐はとびきり美しく、愛おしそうな熱を込めて翡翠の瞳を細めた。形のいい唇は優しく言葉を紡ぐ。
「かわいいよ」
……妹が顔見知りの悪い男に捕まりそうなのを、ほんともう、兄としてはどうすればいいんだろうか。






(リクエスト/幽白連載設定で蔵馬と両片思い。シチュエーションはおまかせします。)
桑原くん視点にしてみました。時間軸が不明。
リクエストありがとうございました!