好奇心で死んだ猫の話

好奇心は猫を殺す。
Curiosity killed the cat、どこかの国のことわざだ。猫は九つの魂を持っているだの、箱に入った猫が死んでいるかどうかだとか、人間は猫という存在をなんだと思っているのだろうか。
「可愛いよね、猫」
なんていうふうに桑原は気のない返事をした。その目は少しだけこちらを向いたが、すぐに参考書に戻されてしまう。女は赤いシートで赤い文字を隠しながら、英単語を覚えていた。いつ死んでもおかしくない身だというのに呑気なものだ。あるいは、異質な状況であるからこそ必死に普段通りに振舞っているのかもしれない。そう思うとなかなか健気で可愛げがある。己の矮小さを弁えているのは、この女の数少ない美徳だ。
「シュレーディンガーの猫というのだろう」
私の手には比較的初心者向きの量子力学の本が収まっている。左京がこの女に買い与えたものだ。あの男も奇特で悪趣味であるため、人間の女のガキ1人を好きに出来る状況を不思議と楽しんでいるらしい、さながらペットを飼うように。その気になればあの男は人間も妖怪も好きなだけペットに出来る立場であるし実際ブローカーとして他人に斡旋はしているが、不思議と彼個人所有のそういうものは無いようだった。
案外この手のかからない娘を所有して、養育や絶滅危惧種保護や動物愛護に目覚めたのかもしれない。
なんて、当然本気でそんなこと考えてはいないが、オレは冗談が好きなんだ。
「物騒な実験だな」
女はもうこちらに受け答えするのには飽きているので、ちらと目線を向けただけで瞳はすぐに手元に戻る。私はそんなことは構わずに話し続ける。この女も暇なので、琴線に触れる話題があれば返事をしてくるのだ。そういうところが甘いと言える。
「そういえば貴様、猫を飼っているんじゃなかったか?」
「……なんで知ってるの?」
「ターゲットの調査も仕事のうちだ」
調べたのは左京の子飼いの人間だが。確か、複数匹の猫を飼っていたはずだ。
「…お兄ちゃんが拾ってくるの」
「何故猫なんだ?犬は見捨てたのか?」
「たまたま最初に飼ったのが猫だったの。犬は他の引き取り手を探すのよ、動物病院とかに頼んで」
別にこいつ自身は特別猫に偏って愛情を持っている訳では無い、という口ぶりだった。当然ペットとして大切にはしているのだろうが、最初に拾ってきたのが犬であったら犬を飼っていたのだろう。
人間の間ではしばしば2通りのもののどちらを選ぶか選択を迫られる、らしい。肉と魚や、きのことたけのこ。そして犬と猫。こいつの場合は飼っているから、という理由で猫を選びそうだ。間違ってはいないのだろう、人間として。
「飼ってると愛着はわくかな、鳥を飼ってたら鳥を推してたし」
「愛着、なぁ……」
猫と同じことだ、この娘が桑原として在ろうとするのも愛着のせいだろう。愛情に執着。つまりは、この女が生まれた時に“オレの傍に在った”ならば、こいつは雛鳥の刷り込みのようにオレに愛着を持っただろう。今からでも遅くはないだろうか、人口飼育においてはインプリンティングの扱いも重要だ。
今更暗記できる環境ではないと気づいたのか、赤いシートを本に挟み込んだ女は身体を伸ばしてベッドに倒れ込んだ。のぞき込むオレを気だるげに見上げて、身体を丸めた。
これではどっちが猫がわからない。
「眠るのか?」
「んー」
この女、ごろごろしすぎてちょっと太ったんじゃないか?ついと白い頬を抓むと反抗的に睨んでくる。目つきは人相に大いに影響するので、そうしていると顔立ちの印象が違うな。
「まぁ、犬というより猫だな。貴様は」
その目つきを見る限り。
しかし本当のところは犬でも猫でもなんでもなく、ほかでもない兎であるのだが。
「猫、ねぇ……でも猫って、飼ってるというより飼わせていただいてるって感じ」
「なんだそれは、主従が逆転しているだろう」
「でもよく言うでしょ?猫は人間を飼える唯一の生き物だって」
人間の思い上がりも甚だしい言葉を、事実上人間に飼われている人間は言う。
「人間なぞ、人間にも妖怪にも飼われている」
「そうなのかもね……」
飛影さんも言っていた、と半ば夢現で女は言う。まぶたを閉じられてしまうと、どこか視線がオレを苛立たせる黒い瞳は見えなくなった。見えなければ見えないで、むしゃくしゃとさせる瞳だった。それにこの女が寝てしまうと、オレは暇を持て余すのだ。
「おい、起きろ」
「んやー…」
「今までの話は、オレが貴様の主人だという前振りではないのか。命令だ、起きろ」
「主人は左京さんでしょ……」
ゆさぶると嫌そうに眉を顰めて、娘はくるりと布団に潜り込む。それに、と厚い布の奥からくぐもった声が聞こえた。
「飼うか飼われるかでいえば、私は断然飼う派だから」






(リクエスト/幽白長編のifストーリーみたいな感じでいいのですが軟禁生活中?の鴉と主人公の少し甘めのお話を読んでみたいです。)
ifというか普通に本編番外になっちゃいました。ほんとに微糖ですみません。
リクエストありがとうございました!