烏兎匆匆

【52日目】

「SFとファンタジーってどう違うんだ?」
「そういう難しいこと聞かないでよ……」
いつも馬鹿にしてくるくせに…。
ミステリーにおける本格と新本格とはなにかとか、ライトノベルの定義とか、世の中には触れない方がいい話題が多いし、私には背負えない。高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないし、高度に細分化されたジャンルは垣根が素人にはわからない。
「まぁでも、宇宙とか科学とか未来とかがSFって感じするし、剣と魔法と王国がファンタジーって感じはあるよね」
当たり障りない返答に、鴉はふぅんと鼻を鳴らした。
「どう分類すればいいかわからないものってやっぱりあるよね、サスペンスなのかミステリーなのか、ノワールなのかハードボイルドなのか、とか」
詳しい人には当然きちんと区別があるんだろうけど。私も鴉も乱読のきらいはあれど詳しいわけじゃないので答えは迷宮入りだ。蔵馬さんがいればきっぱり教えてくれそうだけれど、生憎ここには居ない。
「妖怪なのか人間なのか、とかな」
「ん?ごめん、例えがよくわかんないんだけど」
「いや、気にするな。いずれ分かることだ」
彼の言葉に素直に気を取り直して、私は鴉が持っている本に目を向ける。たった今読み終えたばかりらしい、名作SF文学だ。少女と異星人の友情を描いたジュブナイル感の強い作品で、結構恋愛だとか性だとかを描いているから一般的にイメージされるSFとは一線を画している。
「あなたみたいな人も、コーティーのことを悼んだりする?」
「いや、特には」
ここでコーティーを思って泣かれても始末に困るので、鴉という存在はこれくらいが丁度いいのかもしれない。
「強いていえば、この寄生生物は口ばかりでひとつも主人公のためになることはしなかったな」
「あ、それはそうかも。“たったひとつの冴えたやりかた”というのも、案外“役立たずで迷惑な寄生生物を友として受け入れ続ける”という盲目的判断のことかもしれないよね」
人は敵になりたくないと思った相手に友情を感じるという。異物を受け入れる覚悟さえあれば、それもまた良いのかもしれない。
「…………」
「……なに、急に黙って」
「いや、なんでもない。愛着行為も生物にとっては立派な本能だろうな。本当の家族ではないのに家族として生きるだとか、本当は人間ではないのに人間を選ぶだとか、敵である相手とのうのうと会話を楽しむだとか、そういうこともまた、生きていく上で大切なんだろうな」
────人間にとっては。
鴉はギリギリのところで私に踏み込ませないように会話を切った。代わりに私が言えることはひとつで、鴉もそれを望んでいるように見えた。模範的で優等生な、ただひとつの回答。
「誰にとっても大事じゃないかな」


【46日目】

エスプレッソマシンは人生を豊かにしてくれる。なんてったって自殺部隊の紅一点だって欲しがる逸品だ。これさえあればどこでもホーム、どこでもリラックス。コーヒーの香りが広がるだけで、冷めきった部屋にもぬくもりが戻るようだ。エスプレッソが何かは知らないけど。
「抽出方法が違うらしいぞ」
「なるほど」
なるほどわからん。“コーヒーのひみつ”と書かれた本を手に、コーヒーより尚黒い鴉は言った。子供向けマンガ形式のやつだ。ガムのひみつとか電気のひみつとかクッキー・ビスケットのひみつとか、童心に知識をざくざく植え込んでいくタイプの本。相変らず誰が何のためにチョイスしているかわからない蔵書は、もはや私と鴉の共用になっている。
ホテル備え付けのエスプレッソマシンは数少ない癒しだ。テレビと本とお風呂とエスプレッソ。この四大文明がなければ私の心はもっと荒んでいただろう。
「カフェインというものは身体に毒なのだろう?」
「うーん、まぁ。ニコチンとアルコールみたいに、社会に根ざしてるから許されてるみたいなとこはあるよね」
なんにしたって過剰摂取は毒だから、程々が一番である。そして私は程々の域を越えそう。13歳だし、ちゃんと節制すべきなんだろうけど。口寂しくてつい飲んじゃうのだ。
「そういえば、鴉。あなたって物を食べたりするの?」
鴉はマスクをしている。頑丈そうなやつで、外しているところは見た事ない。
「人間ほどのスパンでは食わんな」
燃費が恐ろしくいいのだろうか、飛影さんはそこそこの頻度でご飯を食べに来ていたけれど。あれは生きるためなのか、それとも私のコーヒーみたいに、嗜好品なのか。
鴉が食人タイプなのかどうか気になったけれど、そこをつついたら蛇が出そうで聞けない。コーヒーを1口。もしかしてもう依存症なのかな……。不安になってきた。
「オレは人も食うし、それ以外でもかまわん」
「なんでも栄養に出来るタイプなのかー」
飛影さんタイプらしい。ほかの人はどうなんだろう、武威さんに戸愚呂兄弟に左京さん……いや、左京さんは人間か。
「コーヒーのむ?」
「………」
鴉は私が掲げたカップを手に取った。しばらくじっと黒い水面を見つめたあと、私を見遣る。
「私のマスクは能力を制御するためのものだ」
「ふうん?」
さすがに波紋の呼吸の修行中だとは思っていなかったけれど、オシャレとかでも無いようだ。
鴉はふと目を閉じた。コーヒーの香りを楽しむような仕草だったのかもしれない。
「リミッターを外せば私は誰より強い。しかし暴発しやすくなる」
誰よりって、戸愚呂兄弟より?と思ったけれどそういう雰囲気ではないからスルーした。間を持たせるためのコーヒーは今は彼の手の中にある。
「だからこのマスクは外さぬし食事も摂らんのだ。無知で浅慮な女め」
いつものような悪口雑言だったけれど、不思議と腹は立たなかった。
なんというか、こいつも色々大変なんだなぁ。


【38日目】

泣くことすらままならない夜がある。

夜と名付けられた闇の中。大きな窓からは遥か下に大きくうねる冷たい波が見えた。星の綺麗な夜だった。月はくし切りにされたレモンみたいな形で夜空に張り付いているし、夜の海はコーヒーみたいに黒い。
桑原がまだほんの小さい頃、お兄ちゃんの背中におぶさりながら夜空を見上げたことがある。たしかお兄ちゃんお姉ちゃんと3人で行ったお祭りの帰り道だったか、ゆらゆら揺れる小さな兄の背中からは同じように遠い月が見えた。
お兄ちゃんはお姉ちゃんに言った。
──「月がずっとついてきている」
お姉ちゃんは答える。
──「家に帰るまで付いてきてくれるよ」
私はずっと寝たふりをしていた。月がついてくるように見えるメカニズムなんて知っていたし、お姉ちゃんが昔同じことを母に聞いて同じ答えを貰ったことあるのだと、お父さんとお姉ちゃんの会話を盗み聞いて知っていたからだ。

「泣いているのか?」
振り向くと、鴉は月明かり届く場所へと足を踏み出したところだった。そのまま闇の中から生まれるようにその身を光に現す。黒くて長い髪は薄明かりのなかでも艶やかで、白い肌はそれ自身が薄く発光しているのではないかと見紛うほどだった。
「最近のお前は泣かぬからつまらん」
人のことなんだと思っているんだろう。……なんとも思っていないんだろうな。鴉にとって、今の私はなんでもない。
「鴉って、ハムスターとか弄り殺すタイプでしょ」
「ハムスターとかいうネズミの亜種など触れたこともない」
「…そっか」
眼下では荒れ狂う夜の海が見えるが、その音も臭いもここまでは届かない。夜風に当たりたいな、と思ったけれど、この部屋の窓はバスルームの上部がほんの少しだけ開くくらいだ。
だからこんな気持ちになるのも、閉鎖環境が見せるネガティブな夢みたいなものだ。
私がこうしている間に家が消えたりはしないし、お兄ちゃんやお姉ちゃんやお父さんと家族であることは変わらない。絆に永遠はないけれど、それが途切れるのは今じゃないだろう。
帰る場所がないんじゃないかなんて不安に襲われる必要は無いのだ。
「帰ったらお父さんのご飯が食べたいな」
お父さんの作る料理は豪快だけれど美味しいのだ。それで、お母さんの仏壇に手を合わせてお姉ちゃんに髪を切ってもらって、お兄ちゃんと猫達のグルーミングをしよう。無事に帰れさえすれば楽しいことはいくらでもある。前向きにならなきゃ。
「鴉は、したいことってあるの」
「したいこと」
「……なんでもいいけど、食べたいものとか着たい服とか」
「食事にも衣服にも頓着しない」
「そっかぁ……」
そのわりにはビジュアル系みたいな服装だけれど。己は美しいからなんでも似合うってことなのかな。 鴉に世間話を期待した私が悪かったのだ。
短い間にも、外の景色は変わらない。相変わらず星はキラキラと瞬いている。あいにく素養がないので、ひときわ輝くあの星の名前はわからない。せっかくだから今度調べてみようか。
月は赤く、傾きながら必死に夜空にしがみついて見えた。
夜の波は─────
「コーヒーのようだな」
見上げると、鴉は冷たいガラスに手を添えていた。瞳はこちらに向いていない。ガラスが手の温もりで曇って、この人も生きてるんだなぁと当たり前のことをぼんやり思う。
「……コーヒーというのだろう?貴様が今朝飲んでいた黒い飲み物は。夜の海はあれに似ている」
「………ふぅん」
海の面白い話でもしてあげようとおもったけれど、困ったことに地学は苦手だ。星の名前も知らないし、海のつくりも知らない。人類は月まで到達したけれど、海の8割は未開拓なままらしい。
「夜の海って怖いよね」
「魔界の海はもっと恐ろしい場所だ」
「魔界にも海があるの!?」
「当然だ。山もあるし昼夜もある。めったに見れんが星もある」
星も。つまり魔界は魔界で別の宇宙の元にあるのかな、マルチバースとかそういう話だろうか。魔界の海は、凄くでかくて凶暴な海獣がいそう。
「星って、こっちと同じなの?」
「さあな。基本的に厚い雲に覆われていて、空は見えんのだ。…だから星が、こんなに美しいと知ったのはこちらに来てからだ」
鴉が昔は魔界にいたらしいというのはなんとなく今までの会話からわかっていた。そして左京さんは、魔界と人間界の間にある境界に穴を開けたがっているということも。
もし本当に道が通じたら、彼の言う魔界を見てみたいな。不謹慎かもしれないけれど、ほんの少しそう思った。
その時にはもう私は死んでるかもしれないんだけどね。






(リクエスト/可能でしたら幽白で、軟禁中に鴉との会話で気が抜けてしまうお話などをば……。)
烏(鴉)と兎は伝統的にコンビとして成り立つので、何だかんだで特異な関係性を築かせたい。相互理解していく話でした。
ていうかこいつら普通に仲いいのでは。
リクエストありがとうございました!